08/12/12 18:09:39 fXi5UQxZ
>>58
野村監督の『野村ノート』、街中の本屋でも並んでいるのを目にするが、
この本、中学の教科『選択国語』に導入されることになったらしい。そしたら、私の住む中学でも、選択国語は「野村ノート」が採用されるのかな?
中学の国語の先生は、ヤクルトや阪神の選手同様に、生徒に『野村の考え』をノートにたくさん書かせるほうがいいね。中学のみならず、高校の国語の授業や野球部でも、「アタマ使う」野球ができるように、『選択国語』で野村ノート導入したら?
その野村監督は、「勝負」の正体を突き止めようと、いろいろな書物を読んだり、人の話に耳傾けたりした。その中からヒンズー教の「考え方が変われば人間や運命が変わる」とか「念ずれば花開く」といった野球に還元できるような名言・格言を作った。
野村克也『ノムダス 勝者の資格』扶桑社(95年11月)によると、かなりの歴史的文献を読んで、それを言葉にしていることがわかる。たとえば、
仏教
怠は欺、瞋、恨、怨と並ぶ罪である
金色夜叉
ああ金なりき金なりき、すべてこの世は金なりき…智者も勇者も豪傑も金の前に倒るべし
論語
故旧ハ大故ナケレバ則チ棄テズ
老子
天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧し
菜根譚
得意の時、便ち失意の悲しみを生ず
利休百首歌(千利休)
茶の湯とはただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかりなる本を知るべし
釜一つ持てば茶の湯はなるものを数の道具をもとむ拙なさ
孟子
終身の憂いあるも、一朝の患いなし
どうだろう。高卒のプロ野球監督すらここまで口にしているのに、学問を教える立場である学校教師(しかも仏門系など)や高校野球の監督が、こうした書物を読もうとしたり、
また授業やミーティングで喋ったりできずに板書もおろそかにしているから、試合に出ても勝てず、選手の学力は年々下がり、選手の素行も悪くなる一方なのだ。
野球部監督や学校の国語の先生は、立場的にも「古典や漢文を教えるのではなく、野村監督のように古典や漢文を使って生徒(選手)を育てる」べきだ。