06/11/28 20:10:44 R4DTbef1
>>282
>「外人と話す」という機会そのものの経験のが、
>ゼノフォビアを克服するのには必要なんじゃない?
あのねえ、こんだけ日本に外国人がいるのにいまさら何を言うのかね。明治の内地雑居みたいなことを
いつまで言っとるのか。外国人=英語を話す人とは限らんよ。もっと周りを見たら?
会話の重要性を、外国人との触れ合いみたいなくだらん理由で語らないでくれ。
外国語の学習において、会話は読解・作文と同等の重要性があるからやるんじゃねーか。
それ以上でも以下でもない。誰と話そうが何の違いもねーわ。
外国語教育は文法を押さえた後、「読む」「書く」「話す」「聞く」の4つの次元の能力を均等に訓練する
ことで総合的に伸びるものだ。しかも、「読み」「書き」は文字を介するため(特に綴りと発音があまり一致
しない英語では)比較的習得が難しい。手で書いて、目で見て覚える記憶ばかりに頼り、同様の可能性
のある、実際に聞いて、話して覚える記憶をどうして使わないのか理解できん。日本の英語教育の読解
偏重傾向(「読み」「書き」の中でも「読み」ばかり)をなんとかしないとどーしようもない。
>現実は量も質も充分に確保するのは困難だから、独りでできる作業で
>担保していく必要がある。つまり読書を徹底するのが現実的。
今の英語教育が偏っているんだから、現在の授業を前提にするならそりゃ「困難」に決まっている。
「読書の徹底」をこれまで散々やってきたわけで、それで駄目だから問題になっとるのに、それが現実
的だと言うわけ?こんなんでは永久に何も変わらんわ。読書が独りでできるとするなら、むしろ相手が
必要な会話を授業でやれという方が自然なんじゃねーの?