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インパール作戦
補給が困難な中で本土から海軍の護衛を受けて命がけで輸送していた輸送船団の軍需物資の中身。
芸妓、女中、料理人、髪結い、三味線屋、鳴物屋、仕立屋、洗濯屋、医者(婦人科兼泌尿器科医)。計150名
畳、座布団、屏風、障子、会席膳一式
本作戦に従軍した従軍記者の感想。
「湿気の多いビルマでは三味線も太鼓も、鼓も、こわれやすいし、御相手がお相手で、相当の破損を覚悟してのこと、
暑いビルマではおべべも、汗まみれになるというので仕立屋さんや、洗い張り屋さんの配属となったもの。
それでも輜重行李から、衛生隊まで引きつれての進撃ぶりは大したものだ。それだけにお値段も滅法おたかく
相手にもしてくれなかったが、なにもかも留守宅送金の僕ら軍属どもには無用の長物、高根の花だった。灯と
もしごろともなれば、青、赤、黄の小旗のついたトヨダさんが門前に並んで、椰子の樹陰から粋な音じめが
もれてくるという始末で、チークの床に青畳を敷きつめた宴会場では明石か絽縮緬の単衣かなにかをお召しに
なった久留米芸者の お座付きからはじまってあとは、例によって例の放歌乱舞が日ごと夜ごとの盛宴に明け暮れていた。」
この従軍記者は客(牟田口)のことを「星の旦那」と名づけていた。
司令部に清明荘という料亭を併設。毎日午後5時に仕事を切り上げ、その後は芸者とハッスルハッスル。
しかもそのハッスルぶりが英軍に筒抜け。前線の部隊には拡声器を通じて逐一報告される。