09/09/12 15:53:59
>>279
第一段階
1610年代、最初にチューリップの美しさに心を奪われたのは、植物愛好家たちであった。手に入りにくいチューリップの球根は、当初から高値で取り引きされた。
園芸家・愛好家たちは自分で品種改良や栽培も行い、多様な名のチューリップが生まれた。
「リーフキン提督」(Admiral Liefken)「ファン・デル・アイク提督」(Admiral Von der Eyk)「フィセロイ」(副王、Viceroy)「フェネラリーシモ」(大元帥、Generalissimo)などが代表的な高級品種である。
なかでも愛好家たちが絶賛したのは、ブレーキングを起こして紫と白の縞模様の花を持つ「センペル・アウグストゥス」(無窮の皇帝、Semper Augustus)であった。
単色の品種は安く売買されたが、こうした美しい花の球根は少なくとも1000フロリンの値がついていた。そしてチューリップの人気が高まるにつれ値上がりしていった。
第二段階
チューリップの人気に投機家が目をつけたのは、1634年ごろと伝えられる。
かれらはチューリップを栽培することや花の美しさに興味はなく、
その値上がりを目的として市場に参入していった。
チューリップ人気がライデンからアムステルダム、ハールレムなど他都市に伝わり、
需要の増大を見込んで球根の売買を行った。
はたして彼らの目論みは当たり、一攫千金をなす者も現れた。
高級品種の球根ひとつと邸宅が交換されることもあった。
第三段階
チューリップで短期間に莫大な富を得られるという噂が職人や農民などに広がると、
かれらが徐々に市場に参入してきた。
元手をもたない彼らはまず自分でも買える程度の球根から始めた。
その程度の品種でも値は上がり、転売で利益を得る者が続出した。
それに伴い、市場に大きな変化が起きた。通年取引とそれに伴う先物取引制度の導入である。