09/05/06 22:31:47
続き。
(拙訳)もし鼻をつまんで我慢して新しい古典派やニューケインジアンの完全市場の
道具立てで遊ぶにしても、政策に関係しそうなモデルは非線形の度合いが大きいことが
すぐに分かる。そしてその非線形や不確実性の相互作用は、概念および技術上の大きな
問題を突きつける。マクロ経済学者は勇敢だが、そこまで勇敢ではない。そこで彼らは、
そうした非線形DSGEモデルを地下室に連れて行き、行儀良くなるまでゴムホースで
お仕置きする。その結果、非線形性はモデルから完全に剥ぎ取られ、確率変数の複雑な
畳み込みと非線形写像は、振る舞いの良い加法的な確率的擾乱に変質させられる。
非流動的な市場の資産価格と、時価会計や証拠金要求や担保追加要求などを通じて
そうした資産価格の悪影響を受けた金融機関の手元流動性の悪化、その両者の間に
形成された非線形的な悪循環に驚いた者ならば、このマクロ経済モデルの去勢に
よって何が失われたか理解できるだろう。
・・・
モデルから非線形性をすべて除去し、かつ不確実性の興味深い側面も概ね除去した後に、
実際の政策の数値分析に適用する、という習慣は、大いなる退歩であった。主要な
中央銀行ではそれは既に歴史のゴミ箱に葬り去られたものと私は信じている。※
※っていうのは言いすぎな気はする。要するに「道具のひとつ」として考えれば
いいんだろうと思うけど、現代の「経済学」とか「政策提言」というものが、
そういう曖昧な態度を許すのかってのはまた別問題だろうけどね・・・。