09/12/22 01:32:39 lNwH3L7Q
>>233
自分も飼い主と猫に依ると思う。
自分は二十年から十年、5頭の猫と暮らしてきた。
勝手ながら、うちの猫については、平等であるべき数ある命の一つとしては見られない。
家族が他人より大切なのと同じく
自分が人生を分かち合ってきた猫を安楽死させ
その余禄で、飢えて飼い主のいないよその猫を
自分の家族の代わりに生かそうとは思えないし考えない。
もちろん、生かすことが苦しませるだけの意味しかなくなったとしたら
安楽死については考えてみるかもしれない。
だが、多分自分は、僅かな瞬間でも
猫が穏やかに過ごせる時間が訪れる限りは、安楽死は選ばないと思う。
何故ならそれが、生き物が生きて死ぬということだから。
自分は同年代に比べれば、近しい人間の身内を多く看取ってきたが
自分自身が不治の病で末期になっても、命ある限りはあがくと思うし
できることなら体が動かせなくなるまでは、療養せずに普通の生活を送りたい。
痛みや苦しさがあったとしても。
避妊去勢を施し、一生狭い室内に閉じ込め
安楽で、生き物の自然に背いた生涯を強いてきたうちの子達の
命の終わる時期まで自分が干渉したくはないし
まして、自殺させることはどうしてもできない。
例え彼女らに人間の言葉が話せて、安楽死を頼まれたとしても
よほどの苦しみしかない余生でもない限り
自分は命ある限り生きて欲しいと頼むと思う。
もし自分がうちの猫のために安楽死を選ぶとすれば、末期癌くらいかな。
致死量スレスレの鎮静剤を痛み止めとして処方してもらい
それが効かなくなった、もしくはそのために
全身状態の回復の見込みがなくなった時が、その時だと思う。
これまでに見送った人間の身内の最期と同じく。