09/02/25 10:52:42 g7deRhsA
猫をペットとして飼う文化があり、かつ野良猫が害獣として処分される対象の地域においては
例え里親を探せるとしても避妊は決して子殺しと同様に非難の対象にはならない。
子を産ませ里親を見つけるという行為は里親が他の猫を飼う可能性を減らす行為であり
その子猫が生まれていなければ里親に飼われていたかもしれない猫は「不幸な猫」になる。
同様に生まれた子を自分で育てるのも自分が他の猫を飼う可能性を消す行為である。
猫を飼いたいと考える人間よりも猫の数が多い以上、繁殖制限によって猫の数を減らすのは重要である。
それは「野良猫を増やさない」という社会的責任と共に
「不幸な猫を増やさない」という倫理的な判断でもある。
その為、里親を探せる、自分で育てられる環境にあっても避妊を選択する事は
「不幸な猫を増やさない」という倫理的目標に何ら矛盾しない。
出来た子を生かそうが殺そうが、産ませるという行為そのものが
「不幸な猫を増やす」行為である為、個個人の道徳的価値観において糾弾されるのだ。
これが倫理的観点における「避妊が容認されて殺しが容認されない理由」だ。