09/07/17 21:01:35 cLt4biP2
日本の場合、後期近代社会を向かえ確かに「共同体の崩壊」
すなわちゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ移行したわけだが
“帰る場所”を失った流動的個人は、“より大いなるもの”すなわち社会たいして
その無力さゆえに、社会的価値観に従うしかなくなってしまった
これは他国の場合だと、非社会的な領域(西洋ではこれをキリスト教が担っている)により
個人の非社会的要素は保護されるわけだが、元々宗教色の薄い日本でそれを望むわけにもいかない
故に社会的価値観を反復する―社会の代弁者―がより、道徳というパトロンを背景に
非社会的要素を多く持つ個人を排斥するのは必然と言えよう
これは日本社会の教育にも問題がある
もともと「教育」とは、社会的要員を生みだす装置であるから
当然、教育によっては道徳懐疑論は展開されえない―それを行うと社会が崩壊する
よって社会の代弁者―自称善人―が高圧的な態度に出て
自己の利己心を覆い隠し、なんら省察せず、無思慮に他者を排斥し出すのも無理からぬことか