08/10/23 19:49:13 mVV3+NS4
デカルト革命により、西欧では、神の領域と、自然界で起きる出来事とを切り分けて考えようとする二元論が出来上がった。
教会側は、自然界で起きる出来事には干渉しないようにしましょう、その代り、神の存在を否定しないで下さいよといって、
自然哲学者、即ち科学者側と折り合いをつけた。
それによって、宗教と科学は、欧米においては、現在も共存を続けており、
欧米では科学者の家庭でも、週末は教会に祈りを捧げに行く習慣が残っている。
日本は、明治維新のときに、富国強兵のため、西洋の科学文明を積極的に取り入れる政策をとったが、キリスト教を取り入れる事には不熱心であった。
日本は神の国であると、誰もが信じていたからである。
ところが神風が吹かず、敗戦を迎えた事を契機に、古神道への信仰心は急激に衰えて行き、西欧科学に基づく唯物論が急激に台頭して行った。
しかし現代でも日本人は、正月になると、どの家庭も神社にお参りに行って、手を合わせて1年の家内安全をお祈りをする。
厄年になるときは、厄除けの祈祷を神社に行って、やってもらう。
そのような、精神世界の事柄に対しては、まことにいい加減極まりない現代の日本人が、どうせ死ねば物質だとか、
そもそも物質が、物質を構成する原子が、原子を構成する素粒子群が、一体いかなるものかも全く理解していないにも関わらず、また解明されていないにも関わらず、
死ぬときだけ自分たちが育てた唯物論を持ち出して、自己満足に浸っているのは、まことに嘆かわしい限りだ。
だからと言って、葬式業者や因業坊主らに金儲けをさせてやれと言っているのではない。
神仏、あるいはノーベル医学生理学賞候補者の村上和雄氏が提唱する Something Great への信仰心を持つ事が大切だと言いたいのだ。
信仰心が無くなって行くにつれて、日本では拝金主義が横行し、格差は拡大し、底辺側に押しやられた人間による凶悪犯罪が増加し、
どんどん殺伐とした、人々が生きにくい世の中になってしまっている現実を認識しなければならないのだ。