09/08/22 03:54:46 wxJ3mzHo0
2000GTのデザインを手がけた元トヨタデザイナーの野崎さんは、春先に亡くなられたようです。
会社のせいで現役時代には名前も出ませんでしたが、
デザインとしては日本車最高水準の作品が一つ世に残っただけでも、もって瞑すべし、でしょうか。
一方、初代ZのプランナーでもあるミスターK・片山豊さんは来月で100歳になりますがまだご健在。
ご出身が浜松郊外の春野というのは、
Hマークのヤヴァいぶち切れオヤジや、中小企業のオヤジを称する怪社長のいる会社を連想させて、面白いものがあります。
浜松には何か変な自動車関係の放射性物質が埋まってるんでしょうか。
思えば片山氏、車を運転して80年近い経歴があるだけで凄い。
戦前のダットサンの販売に関わり、鮎川社長に満州に行かされたりもし、
戦後はフライングフェザーのアイデアを冨谷龍一氏に進言し、
オーストラリアラリーには難波さんなどの猛者と共に
トラック同然のノーマルダットサン共々現地へ乗り込んで指揮を執り、
完走とクラス優勝で凱旋して国に帰ってきたのに
恐るべきバカ社長の川又克二らのせいで冷や飯を喰わされて、アメリカへほとんど左遷として送られ、
そこで商社系のやる気のない連中をけり出してダットサンを売り込み、510やZをアメリカで成功させ……
そしてまた冷や飯を喰う形で引退せざるを得なかった……
エンジニアでない自動車人で、これだけ波瀾万丈なキャリアを歩んだ人も貴重ですな。