くるまオタク養成講座 MkⅧat CAR
くるまオタク養成講座 MkⅧ - 暇つぶし2ch250:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/26 00:16:44 RS/7vpUz0
>>249
ハーリー・アールさんが厚みのあるデザインを好んだという話に関して、
昨日も触れたSCG07号の記事にはちょっと面白い事が書かれていました。
アールさんという方、身長2m体重120kgという巨漢だったそうです。
これ、一般向け工業製品のデザイナーとしてはあんまり良い条件とは言えないと思うのですが、
彼はそれを気にする事も無かったそうです。
また、飽くまでデザイン部門の帝王として振舞う為に、自分と体格が近い者は決して傍に置かなかったとか。
その為に、当時の若手デザイナーさんたちは皆「ミスター・アールの視点からはどう見えるのか?」を
常に意識しながら働かざるを得なかったと。

無骨なT型で先行したフォード社に対して「デザインの良さ」を武器に追い上げ、追い越して
世界最大の自動車メーカーとなったGMの、そのデザイン部門を統括しGMに驚異的な絶頂期をもたらした
正に“デトロイトの帝王”だったハーリー・アールさんですから彼について書かれた物は幾つも有って、
その書かれ方も様々ですが。
後にアメリカを代表するスポーツカーとなったコルヴェットのように、彼のアイディアから生まれたとされる車も有り
(正確には彼と、当時大学生だったその息子さんとの会話からうまれたとか)
単なる一人のデザイナーさんとして語る事は難しい存在でしょう。

再びSCG誌の記事の中の言葉を借りるなら
「アールの車は売れた。しかもすごく売れた」のは事実であります。
消費者が僅か1~2年でまた新型に買い換えたくなる程に、毎年新鮮な形を提出してみせたエネルギーは
それが彼が若い部下達の才能を絞り使い捨てにした結果であろうと、今の時代には考えられない事。

最近の自動車がモデルチェンジした時に、4~5年前に発表された旧型と比べて
「あんまり代わり映えしないね。どっちが新型?」みたいな風に感じる事を思えば尚更。
恐らくはアールさんという方
「良いアイディアは小出しにしよう」なんてケチな事は全く考えなかったのでしょうね。

251:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/27 00:20:05 nc9TnUlL0
昨日の話の続き
元々ハーリー・アールさんという方は自身で西海岸にデザイン事務所を開いていたそうですが
キャディラックとの関わりが縁となり、請われてGM入りしたのは1925年・彼が32才の時だったそうです。

以来、30年以上に渡り、途中第二次大戦を挟みながら次々に新型デザインを提示して
アメリカ自動車デザインを牽引したその手法は
20才前後の若手デザイナー達に休む間も与えずに仕事をさせて、3年程で文字通り使い捨て
次の若手に入れ替えるというやり方だったそうですから、今見れば酷い話ではあります。
しかしそれが成功したのも事実ですし、現代の我々がどう言うものでもないでしょう。

アールさんがGM入りした時代から60年前後までのアメリカ車の形の移り変わりを見れば
その間常にデザイン部門の帝王として第一線にあった彼の凄さっつうのは呆れる程のもので
勢い余って最後には実用も大衆の嗜好も飛び越して、先日の“Fire-bird”とか
59年のキャディラック“Cyclone”といったドリームカー
URLリンク(cache.jalopnik.com)
URLリンク(www.autocult.com.au)
に至ってしまい、自ら饗宴に幕を引いてしまったのも無理もないでしょう。

行き過ぎた繁栄は後に反動を起こし、空虚な思いを残すってのはいつの時代も同じで
アール時代の後にアメリカ車が迷走に入ったのも当然の成り行きと言ってしまえば簡単でしょうが。
その規模を小さくしたような事は、バブル期の日本でも有った訳ですし
誰も当時のアメリカ人達を安易に批判は出来ないものだと思います。
また、現代の路上を行くマッチ箱のような車達を見る時、それらは確かに実用的ではあっても
「かつての車好きな人達が夢に見た未来が、結局はこんな風であっても良いモノか?」
という思いも、僅かながらですが感じることがあります。

252:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/28 00:28:45 Cnh9A+0h0
このスレッドでは、これまでに自動車史上の様々な人をネタに取り上げましたが、
結構人の好き嫌いの激しい私の性格もあり、好意的に取り上げた人もあれば、そうではない人もあり。
まぁ、あまり好きではない人について書くのも面白い物でもないので、
多くはそれぞれに興味深いところを選んで取り上げている訳ですが。

ハーリー・アールさんって方は、単純に言ってしまえば仕事上の付き合いは絶対に持ちたくない種類の人です。
しかし、敵対するとかなり恐ろしい種類の人であることも間違いなく、こういう人は扱いに困ります。
仮にアールさんがいなくとも、アメリカ車は巨大化し装飾的になったでしょう。
元々過酷なデザインチェンジ競争を仕掛けたのは30年代・エドセルさん時代のフォードであって
GMは当初は毎年のように見た目を変化させることには乗り気ではなかったという話もあります。

30~40年代のビッグ3の力関係は現代よりも拮抗していたようで。
35年には一時的にフォードがGMを抜き全米一位(という事は勿論世界一)になったこともあれば
それから10年と経たぬ内にクライスラーにも抜かれて三位に転落した時期も有ったという具合。
そうした中で、競争相手が毎年外見を変化させるという手に出るのであれば受けて立たざるを得ず
行く先がどうなろうと、行くところまで行くしかなかったのでしょう。
もしもアールさんがいなくとも、過酷な競争は起きたと思うのはそういう意味ですが
アールさんがいなかったら、GMが首位を守り通せたか?ってのは多少疑問でもあります。

確かに>>248さんが書いた通りに、単なるデザイン史の中だけでは語れない人ってことなんでしょう。

253:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/30 00:17:33 /hUQGacD0
特にこれといって思いつくネタも無いので、もうちょっと50年代のアメリカ車絡みの話。

先日250でシヴォレー・コルヴェットは
ハーリー・アールさんとその息子さんとの会話から生まれたみたいな事をちょっと書きましたけど
コルヴェットの歴史を少し詳しく取り上げた雑誌記事を改めて読んでみると
1951年のこと、53年型ドリームカーのデザインに着手したアールさんが、
当時大学生だった息子さんとの雑談から「若者はカッコイイ、スポーツカーを求めている」と判断し、
具体的なデザインは大学を出てアールさんの部下になったばかりの若手デザイナー
ロバート・マクリーンさんという方に任せる形で開発が始められたそうです。

で、よくこの車は「欧州製輸入スポーツカーへの対抗馬として開発された」と言われますが
それは車の形となった以降の事で、当初はそうした意図よりも純粋に「若い人が欲しがるカッコイイ車」として
デザイン面から始められたのでしょう。
欧州製スポーツカーを意識していたのは、むしろコルヴェットに一年遅れて誕生した
初代フォード・サンダーバードだったのではないでしょうか?
こちらも計画が始められたのは51年の事、当時フォード・ディヴィジョンのトップだったルイ・クルーゾーさんと
後に副社長兼チーフ・デザイナーとなったジョージ・ウォーカーさんという方が
パリで目にした欧州製スポーツカーに感化されてのことだったとか。

そう思うのには、コルヴェットは常に量産向きとは言い難い樹脂製ボディーを用いているのに対して
T-birdはスチール・ボディーを用いて生産性を考慮している事も有ります。
輸入車との市場争いを考慮するのであれば、量産に限度がある樹脂ボディーを用いるというのは考え難いと。
ちなみに最初のコルヴェット53年型URLリンク(www.vette1.net)
主要な部品は量産セダンからの流用でエンジンも古い“鋳鉄の奇跡”直6をチューンして使用
トランスミッション二速ATのみ。当時のお値段は3500ドル強。
基本的に同じエンジンを搭載し、五人乗れたベルエア・コンバーチブルが2200ドル弱だったそうですから
やはり値段の方は割高に感じられたかも。
この年式の生産数は300台に留まっているそうです。

254:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/30 01:14:06 lhAD8rH90
うーん、流れから云えば

帰国兵を端緒とした、戦後アメリカへの欧州スポーツカーの流入
 ↓
カーティスやグラスパーなどに代表される、アメリカ車のシャシーにかぶせる
ファイバーグラスボディのスポーツカーが雨後の筍状態
 ↓
GMが同じことをやってみた
 ↓
その苦戦に学んだフォードが、量販車のイメージリーダー的スタイル+スチールボディで参戦した

こんな感じじゃないでしょうか?
自伝を書くのが好きな国の『エピソード』という奴は、時折ひどく胡散臭く感じられるものです。

255:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/30 09:02:00 InQNGHECO
まずデザインありきだったのか、ただ単に間に合わなかったのか、
初期のコーベットは、雰囲気を楽しむ車だったんでしょうね。

でも、さすがのアメリカでも、2座席の高価なムードカーじゃ売れなかったと。

それで、ゾーラ・ダントフという人が中心になって、
レース活動やV8搭載などの喝を入れて、ようやく台数も増えて・・・という感じでしょうか。

サンダーバードも2座席の頃は大分苦戦してたようですが、
こちらはラグジュアリー路線に変わって、それなりに成功したんですね。


それにしても、アメリカ車のスポーツイメージって、
軽量コンパクトな方向なはなかなかいかなくて、
とりあえずV8積んじゃえ、ってなっちゃうんですよね~ w

256:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/01 00:22:20 o8kxjGYc0
>>254
そう言われてみれば・・なのですが、カイザー・ダリン
URLリンク(www.canadiandriver.com)
程度の規模ならともかく、GMくらいの規模となれば樹脂ボディーを最初に研究していたならば
「やっぱり割に合わないからやめようよ」ってなりそうな気もしますし、事実はどうだったんでしょうね?
>>255
そう言えば、GMのコルヴェット、フォードのサンダーバードの成功に刺激されてクライスラーが
「手持ちの駒を用いてスポーティーモデルを作れない物か?」と考え、生まれたのが
300“レターカー”シリーズだったなんて話を読んだ記憶が有ります。
車の出来は別として、こうなると欧州製スポーツカーの影響も“若者向きのパーソナルカー”も
有った物では有りませんけど
アメリカ人の“パワフル=スポーティー”みたいな考え方の一端を見るようで
これはこれで興味深いところが有ります。

昨日も書きましたが、最初期のコルヴェットの写真を見ていると、GMはこの車で当時の欧州製スポーツカー
例えばジャガーXK120
URLリンク(www.worldofstock.com)
この辺と本気で張り合うつもりが有ったのか?疑問に感じます。
むしろ最初に狙ったところは、スポーツカーと言うよりもフォードがサンダーバードに用いた“パーソナルカー”で
後にナッシュがメトロポリタンで狙った市場かそれより少し上を考えていたようにも思えます。
一応“スポーツカー”と呼ばれる事を狙うのであればトランスミッションが二速ATのみってのは考え難いですし。

最初の“T-Bird”URLリンク(www.vanitydisplays.com)
やはり純粋な2シーターでは市場に限りが有ったとかで
こちらはたった二年で2シーターという初心(w)を捨てて二代目にモデルチェンジしてしまいましたけど
それでも同じ年のコルヴェットの倍以上の台数が売れたそうですから、ある程度の成功ではあったのでしょう。
ちなみにお値段は55年型ベースグレード(4.8リッターV8 193hp)で3000ドル弱と
同じ年の(量産で値下げされた)コルヴェットよりも一割程高価だったそうです。


257:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/01 01:55:41 h8KWPMxM0
豚風邪にやられたか、なんとつうかつひにクライズラー破産決定。
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
なんと言ふことか・・・、まぁクライズラーだからと言へたのはもはや昔。
オールズモービル既に無きGM、遂にポンティアックも廃止。
残るはシヴォレーとキャデのみ。世も末としか言ひやうがありません。

258:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/01 19:28:56 IoFYYBZ0O
ビュイックやGMCのリストラも時間の問題ですな。

259:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/01 19:49:30 U3dhgBn7O
>>257
無責任な外野としては、フィアットとの提携でマセラティと同グループになった事でもあり
クライスラーTC・バイ・マセラティの復活は無いものかと期待したりw

260:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/02 00:14:35 fOokYzmL0
フィアットとの提携つうのもピンと来ないのですが。・・大丈夫なんですかねぇ・・?

クライスラーは以前にも何度か危機に陥りましたが、フォード社を追われたアイアコッカさんを招聘して
立て直した時も作っている車自体は以前と大して変化無かったですし
フィアットと提携して品揃えが抜本的に変化するものでしょうか?
それと、これは推測ですが。
アメリカ人って今は買わなくても「アメリカ車は大きくあって欲しい」みたいな願望を何処かに持っていて
「いつか時が来たらそっちに乗り換えたい」みたいに思っているような気もします。
だから自国製小型車ってのには目を向けないんじゃないかと。

それに、資本面で一息つけたところで新聞紙上で言われるような
「小型車に強みを持つフィアットの技術導入で競争力強化を狙う」みたいな事が出来るでしょうか?
今やディーゼルに軸足を移しつつある欧州メーカーとの提携で
ディーゼル嫌い・ガソリン車にこだわるアメリカ人向けの低燃費車に必要な技術が得られるものかと
ちょっと不安に感じるところも有り。

261:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/02 00:17:55 YaiVVHX9O
マセラティブランドの付いたフェラーリのエンジンを載せた、
ダッジ・バイパーSRT12(←無い無い

262:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/03 06:47:29 WuCVFkS0O
ヴァイパー・バイ・フェラーリ、悪くないじゃん。
かつて、カロッツェリア・ギア絡みのコンセプトカーや少量生産車がいろいろあった。
今回だってアルファやランチアのデザイン部門が関与するフルサイズカーなんてのも悪くはないな。
かつてのTCやアランテみたいな、米伊連携の徒花が再来して欲しいね。

263:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/03 23:02:24 hisdv1ckO
いっそ逆パターンでHEMI-V8積んだパンダとかw

264:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/04 00:18:10 +hDevPQ70
みんなお気楽過ぎ(w
そうした“いいとこどり”な車って、いろいろと思いつくもので、
今の300Cなども“HEMI積んだE-クラス”で成功したのでしょうが、フィアットとの提携で何が生まれるものか?
量産モデルに何としてもヒット作が欲しい筈の今、あんまりおかしなモノは期待出来ないかも。

・・とは言え。
かつて“日本車キラー”の役割を担って華々しく登場して期待に応えられなかったネオンのように
実質的ではあっても別に面白くも無さそうな車では大して売れないとも思います。
やはり車には何処かに華が必要でしょう。“走らせる事自体に刺激が有りそう”と思わせるような雰囲気とか。

で、先日の話の続き(・・に無理矢理持ち込む w)
50年代にフォードが使い始めた“パーソナルカー”という言葉は、勿論“ファミリーカー”の対語といった
意味が有ったのでしょう。
そこには“自分だけが自由に使える車”であるとか“うるさい家族達に口出しされずに自由に楽しめる車”
といったニュアンスが有ったと思われ、サンダーバードが大型化してファミリーカー的になった後には
マスタングがそのイメージを引き継いでいったと考えられます。
そしてマスタングに刺激されて多くのクーペスタイルの車たちが若者向けに売り出され
一家に一台以上の所有を促す原動力となったと。

ですからこうしたパーソナルカーって実用性は無くても良いっつうか、
むしろ実用的ではないのが良いみたいなところも有り。
例えばデートに出掛けるとき、家族に「ついでにそこまで乗せてって」と言われて面倒な思いをしないで済み
また、自分の留守中に親に「買い物に行くからお前の車を貸せ」とか言われる心配が無い車が望ましいと。
まぁ不景気になれば、真っ先に売れなくなる手の車ですが。

つまり暫く前に、こうした車の需要が無くなった時。
今の自動車産業の低迷の予兆は始まっていたと考えられるのではないでしょうか。


265:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/04 01:29:34 UT7g6XcL0
間違へて歳バレに書ひてしまひました。
スレリンク(car板:234-235番)
仕方無ひので転載。

ぅーみゅ、アテクシはクルマそのものがだうかうではなく
ディ・モンテゼーモロ氏が如何にクライズラー立て直すかだと思ってます。
その中にはまぁもちろん新型車とかだういふクルマを出してくるかもありませうが
はっきり言ってそれは後からつひてくる部分、経営建て直しつうのはさういふことでは無ひ、と。

FIATは故・アニェーリ御大の最晩年に物凄くダメになりました。
なった理由は度が杉た巨大化と多角化により組織そのものが肥大化し
肥大した内部がスカスカ状態になって散漫つうか、
まぁ言はば筋肉の塊の引き締まった巨体ではなく中年太りの贅肉と脂だらけになり
動脈硬化起こした状態になってゐたこと。これが結果FIAT車の競争力を無くしていきました。
アルファやランチャは飼い殺しとなり、股88年アルファ合意によりアバルトが封印された等々もそんな事情。
こんな大FIATグループのの散漫な運営経営が商品の魅力と競争力を失はせ
営業力をも奪っていった。そこにEU統合の自動車輸入緩和策があり、
最終的に”外車”ブームに押し倒された為です。

266:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/04 01:30:37 UT7g6XcL0
FIATはクルマ屋ではありません、つうかありませんでした。
イタリアのあらゆる産業のあらゆる業種に傘下の企業を持ち
発電所も製鉄所も印刷工場も不動産関連も全て自前で持ってゐる状態。
これは訳あってかうなったのですし戦後復興期や高度成長期には意味のあったことですが
それが今や足枷になり、その一方で既得権益と無意味な寡占の利益にしがみつく人達を生んできた。
それらの旧体制・しがらみはそれを作ったアニェーリでは切れなかったのです、おそらく。
ディ・モンテゼーモロがそれを破壊し刷新できるかだうか、それをアテクシ注視しておりました。
おそらく最晩年のアニェーリはそれをディ・モンテゼーモロに託したであらう、と。
そこでディ・モンテゼーモロが旧体制の利権にぶら下がる人々を打破できるのかだうか、と。
アテクシ、このディ・モンテゼーモロといふ男の力量を高く買っております。
しかしそれでも不安はありました、それほど旧FIATは大き杉ました。
アテクシいつも言っていたことして”FIATが潰れたらイタリアが潰れる”
これは冗談ではありません、それほどFIATは大き杉、その背負ってゐるものも過剰だったのです。
それを打破出来るか、さう思ってゐたのですがディ・モンテゼーモロは今のところ
それを進めて成果上げております。
このディ・モンテゼーモロの手法と力量が米国で通用するか、
クライズラーの贅肉をそぎ落とし筋肉質に変へられるか、
マッスルカーではなくマッスル企業に変へられるか
それをアテクシ注視、期待してゐるのです。

267:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/05 00:33:57 pTujI9kv0
>>265-266
確かに。
提携が具体的な車の形となって現れるにせよ、数年先の話であって。
とりあえず今の段階では、そこまで辿りつけるかどうかの方が余程問題な訳でしょう。
ですが経営の刷新とかは自動車やその周辺を穿り返す趣味とは別な筋のこと。
また、もしもクライスラー(フィアットも)の建て直しを成功させたにせよ、
作られる車に変化が無ければ、アイアコッカさんが以前立て直した時と同様に
一時的なもので終わる危険もあると思います。

似たような事はルノーと提携して業績回復に成功したニッサンにも言え、
宇宙開発だのナンだのといった様々な部門を手放す事で企業規模を分相応に縮小させて
一時はその回復の様子が話題になりましたが。
製品(自動車)そのものにはヒット作が現れないままで、現在また楽観出来ない状況になりつつあるようです。
当たり前な話ですが、自動車会社は良い自動車を作れなければ将来は無いものでしょう。
そして(他人事だから言えるのでしょうが)良い車を作って、それでも潰れるならそれも仕方ないこと。

現在作っている車の性格が全く異なるフィアットとクライスラーの場合
ニッサン&ルノー以上に困難が予想されると思われ、先の事は読み辛いところであります。

268:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/05 04:55:23 dCZZUqY1O
下手に似てないほうが上手く行くかもしれませんよ。

夫婦みたいに w

269:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/05 13:58:55 LlZZue3UO
ここは、新たなイタロ・アメリカンがどんな妙味を醸すか、どんなデトロイト・ピザが出来るかある意味楽しみだ

270:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/06 00:33:58 edNv/oR80
最近のニュースを見ると、フィアットはクライスラーとの提携の次には
オペル等GMヨーロッパとの統合も視野に入れているようです
URLリンク(www3.nhk.or.jp)
フィアットも一時GMの資本傘下入りしたように、長期的には単独での生き残りは困難と考えているのでしょうが
オペルやヴォクスホールとの提携が進むとすれば、業界再編の第二波の引き金になるかも知れず、
数年の内にまた自動車業界は大きく動き幾つかの巨大グループに分かれることになるのかも。

今回はフィアット・オペル・クライスラーと量的には日本市場では存在感薄いメーカー同士の話ですが
次に話題に上るのは三菱・マツダ・スズキといった日本車メーカーなのかも知れません。
こうした一連の合併や提携の動きってのは、結局のところ自動車メーカーの数が減る事に変わりない訳で
自動車趣味の観点から見れば、選択の幅が狭まる危険性の方が高いのでしょうか。

まぁ、冷静に考えれば車買うときに10も20も候補が有る状態ってのはそう無いもので
三つのメーカーの、ほぼ寡占状態だったかつてのアメリカでもユーザー達が
選択肢が少ないという不満を常に感じていたってことも、あまり無かったでしょう。
それに新車でなければ嫌だと言わなければ、幾らでも選択肢は有るとも言えますし(結局はお気楽な私 w)


271:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/06 12:27:24 B6t7bwd+O
オペルって、かぴてーん以来じーえむ傘下だろ。フィアットと組んでもどんなの売りだすのかぴんとこないな。
大資本下でセアトやシユコダみたいになるんだろうか。

272:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/06 19:56:09 knxzJiZY0
あのライト埋め込みスタイルの初代カピテーンデビューの10年近く前からGM傘下だ

ちなみにカピテーン用6気筒の設計は見るからに同時代のシボレー6気筒の縮小だった

273:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/06 22:22:56 wYUliykC0
かつてクライズラーがダイムラー・ベンシとくっ付ひたとき、アテクシこれはダメだと思ひました。
役所DBと良く言へば自由闊達、正直に言へば何から何までちゃらんぽらんなクライズラー。
おそらく同ぢ単語の意味さへ違って意思の疎通すら困難でであらう、と。w

ひとつにはベンシってなどこまで行っても自分のやり方しか理解出来なひ企業なのです。
かつてスウォッチとMCCやったときもさう。おそらくベンシは合弁と占領・征服の区別がつかなひのだと。
結局ベンシは独力自力でひたすら独立系として生きていくしかなひと思ひます。
他社を吸収合併で征服して植民地にしちゃう分にはいけるでせうが対等合併は無理。

FIATとクライズラー、ぃあディ・モンテゼーモロとクライズラーはおそらくさういふ関係にはなりません。
もっと言ふとディ・モンテゼーモロは先のダイムラー・クライズラー破綻を良く研究すると思ひます。
ましてFIATとクライズラーは商品がほとんど被りません。相互補完可能。
股、オッペルに関してもぶつかるやうでゐて意外とぶつからなひ。
同ぢFIAT一派で166とテジスが、156や159とリブラが競合したか?といふところです。
水戸とグラン・プントを天秤に掛けますか?といふこと。
チョソヨタ・マークⅡ3兄弟とは訳が違ふのです。

274:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/06 23:34:05 knxzJiZY0
>チョソヨタ・マークⅡ3兄弟とは訳が違ふのです。

あれは、エロスパセンセお得意の嘲弄など蛙の面にしょんべん、
ってぐらいに図々しく計算された意図的競合施策だから例には合わないでしょう
(ヨタは大衆心理をえげつなく見切ってますから)

むしろ往年のブリティッシュレイランドとか、日産/プリンスの合併による迷走の方がグループ内競合の弊害を示していると思う。


275:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/07 00:34:20 yS+/t+WR0
>>274
確かに。確かにさうですな。仰る通り。

276:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/07 20:18:07 mCyOC+T10
NISSAN&ALFA ROMEOという
今思い返しても?な提携もありましたな
某イヴェントでみたARNAは
「これじゃあ、売れんじゃろ…」
なエクステリアでした
足回りとかは無駄に凝ってましたが

277:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/07 23:56:59 Ltl284kO0
ARNAってのも、もう四半世紀前の車になるんですね。
当時も酷く格好の悪い車思いましたし、今もそれは変りないのですが。
もしもアレにアルファの盾型グリルが付いていなかったなら、
無個性とは思ってもそんなに格好が悪いとまでは感じなかったかも知れません。
下手にアルファの車だと思ってみてしまうから期待が裏切られたと感じてしまうのか?
それとも無個性なアルファってのが、許せないのでしょうか。

>>273
そう思えば、一時噂になったようにGMに吸収されるよりはフィアットに救済された方が
クライスラーのファンにとっては良かったのでしょうか。
もっとも車種が被らないって事は収益率強化の為には必ずしも良いとは言えないのも辛いかも知れませんが。
で、オペルとフィアットはねぇ・・。車に左程の興味が無い人にとっては、結構被るところがあるかも知れず。
提携が実現したなら恐らくオペルの車種はこの先かなり整理され、フィアット設計に取って代わられるでしょう。

まぁ、そうは言っても(こう言うと悪いかも知れませんが)
オペルの車でそんなに興味深いものって、これまでにもあまり無かったように思います。
このスレッドで、これまでに取り上げたネタの中でもオペルと言うとロケット推進レコードカーとか
30年代の小型車をデュポネ式懸架の絡みで触れた程度。
量産車としては早いモノコック採用のオリンピア(35年)とかも有りましたが。
欧州フォードには結構、いろんな意味で興味深い車が多いのですが。
オペルは優等生的で無難に過ぎるのでしょうか。

ミニ・コルヴェットのようなオペルGTとか小型ポニーカー(変な言い方ですが、そうとしか言い様が無い)
ラリー・カデットとかも有りましたけれど、
それらに興味抱くなら、本家シヴォレーのコルヴェットとかカマロの方に目が行く方が自然ですし。
とにかく話のネタには成り難いメーカーではあります。

278:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/08 14:11:15 uU9KrecUO
オペルにも暴れん坊サルーンの系譜があるやんか。
ポンティアックやホールデンにも兄弟車があったはず。

279:さいた('A`)マンドクセ ◆3Vi8OE4pEg
09/05/08 16:04:15 EPqMeB7cO
ども、ご無沙汰です
前にお話したターバイン、早めに上げますので平にご容赦を^^;
>>278
ベースコンポーネント共用って意味ではオペル・オメガとホールデン・コモドアが一例ですね。
オペルにもコーヴェットエンジン搭載のモデルが一時期あったみたいですが(試作機だったのかな?)、その後に出てないところだと、需要としてキツかったのかと。

ただ、オペルの立ち位置ってトヨタ的なんですよね、中庸と言うか…………(´・ω・`)

280:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/08 18:49:23 uU9KrecUO
キャデラックのcts-vが、コルベットV8にスーパーチャージャー付き。
これがオペルオメガの遠戚かと思うんやけど。
V8オペルの流れはディプロマツトあたりからか?

281:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/08 20:53:10 LUMmbzu20
>>280
あれも変なクルマでしたね。ドイツ車らしからぬ、と言うか。

伝統の上級モデル・カピテーンのモデルチェンジで、安上がりに大型ボディにするために
GMからインターミディエートクラスのボディを調達して、在来型カピテーン6気筒エンジンを強化して搭載、
そしてこのクラスならV8も載るから、とメルセデスやBMWに対抗心を燃やしたか、
ディプロマートにV8乗せて縦ライトでグリルも飾り立てて……

そんなことしても、プルマンボディの600グローサーリムジンには格や性能で到底勝てないのに……
オペルがプレステージ性のある車を作れた、また実際作ってたのは、GM傘下になる以前の1920年代までの話でしょうね。

282:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/09 00:00:00 4mLtfJ7b0
>>279
まぁ話は常に行きつ戻りつの雑談スレですので、何時でも構いません。気長にお待ちしてます。

オペルって結局はドイツ車というよりGM車なんですよね。
車そのものは悪く無いのでしょうし、欧州市場ではそれなりの需要が有るのでしょうが
日本ではウケなかったのも、その辺に理由が有ると思います。

例えばそのディプロマート(64年登場)にしても、本家GMのインターミディエートのボディーに
シェヴェル用V8積んだもの。
これはこれで間違いのない品物なのは確実でしょうから、欧州ではそれなりの顧客も付くかも知れませんが
日本市場ではドイツ車が欲しいって人の興味は惹かないでしょうし、アメリカ車好きの食指も動かないでしょう。

もうちょっと新しいところでは90年頃、オメガにロータスの開発したターボエンジン積んだモデルも有りましたが
これもGM傘下企業つながりって意味では自然ではあっても、ドイツ車好きな人なら
「何でロータス?」ってなってしまうのではないでしょうか。
これが同時に売られたヴォクスホール版のカールトンならば英国車好きに受けたのかも知れませんけど
やはり英国的な雰囲気が有るという訳でもなく
またこの時期にはいすゞのオフロード車ビッグホーンの“ハンドリング・バイ・ロータス”なんて
意味不明なものも有って、ロータスってブランド自体の有り難味が無くなっていただけにどうだったでしょうか?

で、オペルの歴史を改めて辿ってみると・・。
最初はダラックのライセンス生産で基礎を固め、20年代までは6気筒車や直8搭載の大型車も含め
独自設計の車を作っていたようですが左程の成功を収めたとは言えないようで
この時期の代表モデルというとシトローエン5CVの模倣とアンドレ・シトローエンに告訴された
“ラウフプロッシュ(雨蛙)”でしょう。
そして1929年にはGMの資本傘下入りして以後はGM設計モデルの生産に専念していると・・。
そう思うとオペル車に「ドイツ車らしいなぁ」って感覚が薄いのも無理はないのでしょう。

283:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/09 00:35:25 bfrQ0kkj0
それでも、戦前ドイツでは最大の自動車メーカーだったんですけどね。

初期にはレースやレコード作りにも熱心で、それなりに頑張ってるんですが、
同時代だとダイムラーとベンツの活躍が華々しくてどうもそっちでの存在が忘れられ気味です。

第一次大戦前から小型車の製造販売に着目してそっちでシェアを拡大していたところはフィアットと似てるんですが、
戦後にラウプロッシュを作り出したあたりから、自動車製造でのマスプロダクションの優位性という大局をかんがみ
不況の情勢で早々に米国資本のもとへ下った割り切りが、
ファシスト政権下で民族資本の国策企業として「陸海空」に展開したフィアットとは違うところですね。

昔のドイツ車としては珍しく、後輪にスイングアクスルを使わなかったのも堅実さの表れでしょうか。
(前後横置きリーフをやたらに押し通したドイツフォードはもはや論外としてw)

284:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/09 01:23:49 hUk2xG/40
これ使うようになってから、まだ駐禁、切られてないよ。
URLリンク(www.pirates-auction.jp)

285:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/09 06:39:58 0+pAgsoVO
で、クライスラーと欧州メーカーとの関係、と言うと、いきなり雲行き怪しくなり・・・

買収するのと、提携じゃ、まるで違いますが。
シムカが元々フィアット系だったのは、皮肉か意趣返しか

・・・というのは考え過ぎですよね w

286:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/10 00:27:55 BPASNNwP0
まぁ、今に残る大メーカーの多くは、大体がいろんな会社を吸収していますから(w

>>283
確かにスウィングアクスルには行かなかったようですが、その代わりにデュポネに行ってしまったっつう
過去も有る訳ですが(w

それはそうと。オペルは既に20年代後半にはドイツ第一の量産メーカーの地位にあったようですが
とは言え、当時のドイツの市場規模自体小さかったようです。
資料を探してみると、GM傘下入りする前年28年頃のオペルの生産量は年間に4万台強で
ドイツ生産車の4割弱を占めていたそうですが、同じ頃隣国フランスはというと
シトローエンだけで日産400台と言いますから年産では恐らく10万台は突破していたでしょう。
この頃のアメリカは正に別格つか桁違いで、フォードとシヴォレーの争いは年産100万台超の数で
推移していたとか。

それでも年産4万台って数が大した物だった事に変りはなく、
それを可能としたのはオペルがドイツメーカーの中ではいち早く量産の為に製品の規格化や
工場の近代化を達成した事によるのでしょうが、それもまたドイツ車的なる物を感じさせ難い理由なのかも。

そのオペルというメーカー、私は特にその創業期にはプジョーとの近似性を感じます。
元々自転車をはじめとする様々な鉄鋼製品を手掛ける同族経営の会社だったこととか。
しかしそれ以降はプジョーが(特に近年)様々な会社を相手に部分毎に提携関係を持ちつつも
資本的には飽くまで独立した企業であり続けようとしているのに対して
オペルは創業から30年と経たない内に市場で最大の競争相手となるであろうアメリカ資本に自ら接近
その傘下入りする事を選んだ(100%の子会社化は、創業者一族の本意だったのかは疑問ですが)ように
対照的な道筋を辿っているようでもあります。


287:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/10 09:55:52 gQfYcSo4O
ナチス政権には強制的に国有化されたんだっけ。いまの反米政権がしばしば行うように。

288:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/10 23:58:03 BPASNNwP0
>>287
二玄社の「世界の自動車・オペル/ドイツフォード」を見る限りでは、1940年(ナチスのポーランド侵攻一年後)に
GM自らが権利放棄したとされています。
当然その背景には、アメリカ資本のオペルに対してナチス政権が鉄鋼を割り当てなかったとか
軍用車両の生産を命じたとかの圧力は有ったそうですが。

戦前のGMの欧州進出はオペルやヴォクスホールのように、当地のメーカーを買収する形で行われ、
この点はデトロイトの本社自らが現地法人を設立する形で欧州進出したフォードとは異なります。
ドイツと前後して進出した日本市場はその例外だったのでしょうか。
その当時買収に値するだけの量産設備を持つメーカーは無かったでしょうから
日本進出に際しては大規模な買収劇が有ったというような話は聞いた事は有りません。

で。戦前の日本ではフォードもGMも、主な需要がタクシー等だったということも有って
アメリカ仕様車を小改変して生産していたようで、サイズ的にはより合理的に思える欧州専用車は
少数の完成車輸入にとどまっているようです。
ですから日本で撮影された英フォードやヴォクスホールの写真ってのは意外に少なく
オペルに至ってはドイツ車自体が少数派だった事も有り、あまり見られません。

そんな事を思いながらあれこれと捜してみたら一枚だけ
URLリンク(lint.s1.x-beat.com)
30年代前半のデュポネ式前輪独立懸架を備えた小型6気筒車“2リッター”のようですが
大使館のプレートを下げているように、この車も日本GMが輸入した物かは不明なところもあります。
まぁ、正直に言うと。二枚扉の幌型と洒落た形の筈なんですが、あまりそうは見えないっつうか
魅力的には感じない形ではあります。
値段も割高だったでしょうしデュポネ式も不評だったことから、この車を買った人が
その当時の日本には幾らもいなかったとしても、それも仕方ないようにも思います。

289:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/12 06:00:07 3+vd31RyO
オペル関連では、
ビッターというスペシャリストがいましたね。
オペルベースに独自のクーぺボディを売りにしていました。
ミドエンジンのフェラーリみたいな造形でした。

290:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/13 00:04:51 0hGumqjP0
>>289
これですか。
URLリンク(gazoo.com)
確かにミドエンジン・フェラーリのフロントエンドをディトナに繋げた形のように見えます。
ディプロマートのコンポーネンツを、ほぼそのまま使っているようですから
結果的には先日話に出た“アメリカのV8積んだ欧州製GT”の流れにもなりますね。
この手の車としては安価を狙ったそうですが、オペルの最高級車ベースですから絶対的には高価だったでしょう。

ビッターって会社のことは良く知りませんが、後にもオペルをベースとしたSCってモデルも出しているそうで
URLリンク(www.fiatlancia.com)
こちらは日本のセリカXXをノッチバック化したような形ですが、これの4ドアセダンなども有ったようです。
会社自体は現存し、シヴォレー6リッターエンジン付きのサルーン等の計画もあるとか。
URLリンク(www.supercars.net)
前スレで話題になったブラバムの名前を冠したサルーンカーとかに近い線を狙っているのでしょうが
そうした市場が有るのでしょうかね・・?

一般にはオペルのスポーティーイメージっつうとDTM(ドイツのツーリングカーレース)で
メルセデスやアルファ155と競ったカリブラ辺りでしょうか。

かつてのオペルはアメリカGM系だけあり、比較的安価なパーソナルカーに熱心だった印象があります。
その方の代表はオペルGTでしょうが、その後にもラリー・カデットとかも有りましたし。
スポーツカーや高級GTの本場である筈の欧州ですが、こうしたアメリカ的成り立ちのパーソナルカーというと
意外に少ないように思われます(定義自体曖昧ですので、私の個人的感想ですが)
アチラでは、クーペっつうのは高級な、大人の乗り物イメージなんでしょうかね?

291:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/13 03:31:35 REym5zFBO
お!
以前ブラバムレーシングのコンプリートカーの話題を持ち込んだのは実は私です。
今回ビッターを取り上げたことで、以前と同一者だと識別されてしまわれたんですか。
逝ってるさんは、名無しの書き込みさえもその傾向から個人識別出来る凄い感のお持ち主なのはかも。
願わくば、他板での私の悪行が判別されませんようにw
確かにビッターは昨今の新生ブラバムと同様、チューナーに少しばかり毛が生えたようなメーカーかもしれません。
初期のポルシェ356もVWの甲虫に毛が生えたようなものなので、似たりよったりですが。

292:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/13 23:49:29 0hGumqjP0
>>291
そんな訳は無いです(w
えと・・。毛が生えた生えないっつうと、エロスパ氏あたりがまた私をからかうネタにしそうですので
あんまりその表現は・・(w

てな事はともかく。私はあまりチューニングカーや、そのメーカーについては知らないのですが
ドイツでは今やダイムラーグループ内入りしたAMGとかBMW公認のアルピナをはじめ
ロリンザー、ブラバス、ルーフ辺りは日本に輸入代理店も有り活発に活動しているようで
そういう車の市場っつうのは結構存在しているようですね。
他にも、かつては日本でも知られたイルムシャーとかハルトゲなども現存しているのでしょうか?

もっとも日本でもそうで有るように、こうしたチューナー/メーカーの類は大小様々な規模の会社が
世界中に数多く有るのでしょうが。
現存するこうした会社の多くは“普通のメルセデスやBMWに飽き足りない”富裕層を標的としているようで
戦後間も無い頃~60年代のイタリアやフランスに存在したアバルト、ルネ・ボネ、アルピーヌ
更にはスタンガ、スタンゲリーニ、ナルディ、モレッティといった
フィアットやルノー等のエンジンを用いた小規模メーカーとは性格が異なるように思います。

で、ポルシェですが。
言われてみればこの会社もその創業時には上記したような小規模メーカーだった訳でしょうし
ポルシェ博士自身が設計したVWのエンジンをベースとしているところは他と異なると言っても
自動車メーカーとしてのポルシェ社が立ち上がった頃に、一般にVWがポルシェ設計だったことが
どれ程知られていたのかは不明なところでもあります。

今や特に車好きでもない人でも知らぬ人はいない。
また大企業VWの筆頭株主で経営統合を目指す勢いのポルシェ社も、
その創業時には一般への認識ってのはスタンガやナルディと似たようなものだったのかも知れませんが
今有るチューナー/メーカーとは少々違っていたように私には思えます。

293:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/16 00:11:44 4Gavgbe00
先日>>292を書き終えた後でちょっと思った事。

自動車メーカーとしてのポルシェの黎明期については、私よりも詳しい方は多くおられるでしょうが。
第二次大戦終結後、フェルディナンド・ポルシェ博士はフランスに幽閉中の頃
その息子さんのフェリー・ポルシェさんとフェルディナンド博士の片腕カール・ラーべさんが中心となり、
疎開先だったオーストリア・グミュントという所でVWのコンポーネンツを用いた小型スポーツカーを製作
これがポルシェ356/1と呼ばれる、ポルシェの名前を冠した最初の車とされています。

この356/1ですが、これも今は良く知られるように、後の生産型356とはかなり異なったもので
鋼管スペースフレームシャシーにVWの水平対向四気筒エンジンをミドシップ配置し
アルミボディーを被せたもの
URLリンク(www.rollingtv.com)
URLリンク(static.howstuffworks.com)
生産型は勿論プラットフォームシャシーにリアエンジン、スチールボディー
この車はすぐに愛好家の手に渡り、後に買い戻されて博物館入りしたそうですが
その直後に生産型に近い(ただし未だアルミボディー)の二号車が作られているとか。

この一号車356/1がミドシップを採用した経緯はいろいろと推測されていますが、
リアエンジンの二号車と共に純スポーツカーと2+2のリアエンジンGTとの両方の可能性を探ったといった
ところでしょうか。
で。そこで少し不思議に思うのは、以前このスレッドで触れた事も有りますが
最初の量産・市販ミドシップエンジン車は一般には1962年フランス製のルネ・ボネ・ジェットとされていて
この356/1が生まれた頃にはF1をはじめレーシングカーの世界でもミドシップは例が無く
その優位性は確立されていなかった事。

未だフランスに幽閉中だったフェルディナンド博士は戦前アウトユニオンGPカーに
ミドシップ配置を採用していますが、操縦性は未だ未熟な物で素人の手には負えなかったと言われます。
それでも子息フェリーさんもまた、父フェルディナンド博士と同様にミドシップの優位を
この頃既に確信していたという事なのでしょうか。

294:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/16 04:56:29 9PX5+8aq0
欧州の場合、チューナーつうかディーラーが元々だったりすることしばしばでせう。
スタンゲリーニなんかはFIATのディーラーですし。
日本はクルマの改造にうるさひと思はれがちですが、ぢつは欧州もっとうるさひ。
タイヤサイズの変更すら通らなひ(法規制の場合もあれば保険担保してくれなひ場合もあり)とか
個人でゐぢることに結構な規制があったりします。
そらさうなんで街中でも80km/hとか市区町村同士を繋ぐ一般道でも平気で100km/hとかで流れてる状況は
クルマの流れ平均速度が非常に遅ひ日米とは違ひ、何かあればコトになります。

で、個人でゐぢり難ひ代わりにディーラーで改造したクルマが
ディーラーオリヂナルの商品として販売されたりする訳です。
これらのうち有力なディーラーとかでメーカー公認とかメーカーのバックアップ貰へるものが出てくる、
さういふのが発展していはゆるチューナー的になってゐるものがあるのです。

一方ミッドマウントですが、戦後と言ってもこれは完全に戦前型キャリーオーヴァーなのですが
GPカーのアルフェッタなど完全なフロントミッドマウントです。
前後車軸とエソジソの位置関係で見た場合、アウトウニオンGPとアルフェッタ、
どれほど違ひがあるかと思ふのです。アウトウニオンGPの操縦性問題の根幹は
未熟な足・シャシに対して度の杉たバケモノエソジソ載っけたことにあるのではと思ふのです。

295:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/16 07:58:57 Zk8VibkI0
フロントがポルシェ式ダブルトレーリングアーム、リアがスイングアクスル、
でもフロントエンジンだとスイングアクスルのジンクスはセッティング次第でかなり抑えられるでしょうし、
スイングやめてドディオンとかに逃げる手もあるでしょうが

ミドやリアエンジンだと、トランスアクスル→当然、当時ではスイングアクスルを組み合わせるほかない

これは厳しい

296:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/16 19:00:15 4hmoZvK9O
素人の推測ですが、途方もないパワーを地面に伝える為に、
駆動輪にどっかり重量を掛けたかったんじゃないでしょうか?

操縦性の問題はドライバーに任せて w

297:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/16 23:30:00 9PX5+8aq0
>>296
それをやるなら最も有利なのはRRで、
RRならレーサーではありませんが既に実績あったでせう。

298:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/16 23:59:58 4Gavgbe00
うみゅ・・難しい話になりつつあるかも・・。
>>295
初期の前輪駆動車(コードL29やアルヴィスGPカー)等にもドディオンの例が有りますから
ミドやリアエンジンでもドディオンは可能だったと思うのですが(自信無し)
それはともかく“当時のスイングアクスルを用いた後輪懸架ではミドエンジンのメリットを生かしきれなかった”
っつう意味でしょうか。それは確かに有りそうな気がします。

(リア)ミドシップ・エンジン配置を発達させた国と言うと、一般にはエキゾティックカーの国イタリアや
クーパーF1をはじめとするレースカーを生み出したイギリスが思い浮かぶような気がしますが
戦前からこの分野に最も熱心だったのはドイツだったようで
1921年には有名なルンプラーのトロプフェン・ワーゲンが生まれています
URLリンク(cache.jalopnik.com)
レーシングカーとしてもアウトユニオン以前にベンツがこの配置を1924年に試みているとか
URLリンク(car-blueprints.narod.ru)
もっともこれらは運動性を重視した、後のミドシップカーとは異なり雨滴型空力ボディーの実現の為に
嵩張るエンジンを車体中央に配置したもののように思えますが。

また、以前もこうした話題で触れましたが、34年にはメルセデスからリアエンジン車130Hの発展型として
150Hという市販車が生まれています。
URLリンク(homepage3.nifty.com)
恐らくこの車が運動性の為(トリッキーな操縦性だったと言われる130Hの弱点を補う為)に
リア・ミドシップを採用した最初の例ではないでしょうか。
これの素になった130Hはポルシェ博士が中心となり生まれたとされていますが、
博士は29年にダイムラー・ベンツを辞していたそうですから、
このミドシップ150Hは恐らく博士が去った後の設計だったと思われます。

・・と、こう見て行くと、案外最初のポルシェ車356/1がミドエンジンで設計されたのは
自然な流れだったのかも知れません。

299:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/17 00:35:04 7H5Pp9it0
>>297
先生!RRにするにはエンジンがデカすぎます!

300:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/17 00:38:59 8X3TIuNG0
>>299
ロツアにはそれに類するヌトラダーレがありまっせ。w

301:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/18 00:12:55 l6zJ/Tg80
>>299-300
あれ?それはアウトユニオンGPカー(Pヴァーゲン)の話だったのではないのですか?
だとすれば1930年代、タトラ辺りの空冷V8でも無茶と思えるのに、
あの車ならば水冷V12やV16しかも二段過給機付き。リアエンジンにしたら、どんな格好になっちゃうんでしょ(w
つか、下手すると静止状態でも前輪が浮き上がるのではないかと・・(w

まぁその点VWの空冷四気筒っつう軽量なエンジンをベースにしたポルシェ356ならば、
リアエンジンにしても左程の問題は出なかったのでしょうか。
最初のプロトタイプ356/1そのままのミドシップというのも魅力的に思えますが
この時リアエンジンの実用的なGTという形態を選択した事が、ポルシェ社の後の成功に大きく影響したと
思われます。

それとやはり、つくりそのものも良かったのでしょうね。
企業規模のせいもあるでしょうが356は量産車VWの部品を可能な限り用いた車としてはかなり高価だったようで、
1963年の日本での価格を例にとるとMG-Bが159万円、トライアンフTR-4が168万円で買えたのに対して
356クーペには250万円の値札が付いていたとか。
小さなリアシートが付いていて実用性で勝るとは言え、やはりこの値段を納得させるだけの物があったのでしょう。
(今、最も人気の高いスピードスターってモデルに至っては完全な2シーターで更に高価でしたし)


302:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/18 13:04:57 1ryWiSMtO
550ってミドシップでしたか。

303:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/18 15:33:17 /oSP90SwO
550スパイダーはミッドシップであります。

たまたま手元にミニチュアがありますが、356と同じ形の冷却ファン部が
座席後ろの隔壁直後に鎮座してまつ。まあ、チューンはいろいろあるのでしょうが・・・

サイドシルも高くて、やはりレース向け、って感じですね。
フロントは燃料タンクでいっぱい。

304:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/19 00:02:31 kif3FD3H0
そう言えばポルシェ550(50年代のレーシングカー)ってミドシップだったのですね。
URLリンク(gazoo.com)
URLリンク(kaiartintl.com)

私はなんとなく、ポルシェのレーシング・スポーツがミドシップを採用したのは
クーパーがF1に革命を起こした後の1.5リッターフォーミュラ時代に登場したF1のエンジンを用いた
タイプ718(RS61)辺りからかと考えていました。

ジェームス・ディーンさんがこの車で事故死された事もあり、大変有名な550ですが
その割にはミドシップカーの歴史を語る上では話題に上らない気がします。
やはり基本的にはレーシングカーなのと、30年代のメルセデス150Hと同様に
リアエンジンベースのミドシップという成り立ちだからでしょうか?
でも、それを言うならルネ・ボネ・ジェットもリアエンジン車ルノー・ドフィンのエンジンを用いているのですが。

それはともかく。そう見て行くと356/1以来ポルシェは常にミドシップの優位を信じていたって事なのでしょうね。
市販車(ロードカー)では69年誕生のVW-ポルシェ914迄待たなくてはなりませんでしたが。
それでもこの914、市販ミドシップ車としてはかなり早い例に属し、
それ以前に誕生したルネ・ボネ・ジェットやランボルギーニ・ミウラなどとは比較にならぬ数が生産されたことから
この車を「量産車としては初のミドシップカー」と考える方もおられるようです。

とは言え、914は商業的には失敗だったようです。
こうした車としては意外に荷物室も広く実用的だったそうですが、この手のミドシップスポーツには
そうしたGT的要素を望む人は少なかったでしょうし、VWエンジン搭載のベースグレードは非力
ポルシェエンジン搭載の上級グレードは高価だったようです。
それに何と言っても、スポーツカーにとっては格好が良くないのは致命的(でしょ?)
実用性も含めて、変に理詰めに作り過ぎたのかも。

305:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/19 00:55:14 00LDsfTq0
そのポルシェ、今日のニュースではVWに怒られてますな。w
先々のヴィジョンが見へなひ、こんなんじゃ不安でせうが無ひ、と。
そら大蛇が卵呑む吸収合併は良くあることですが、VW-ポルシェぢゃ
メメズが象呑むやうな話。www そら勢ひで出たポルシェも荷が重ひでせうな。

まぁだうするのかつうとこれも前に出た話題のFIAT-オペルも良く考へんといけません。
♪オペルオペルはもうおよし そんなにコルトぢゃ身が持~た~ぬ~ って。w

306:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/19 01:02:21 00LDsfTq0
あ、ネタが分からん若年層はこれ↓聞ひて勉強するやうに。
URLリンク(www.youtube.com)
自動車趣味人士としては最低1番は暗謡出来ねばなりません。

ここで訂正、
× そんなにコルトぢゃ身が持~た~ぬ~
○ あんまりコルトぢゃ身が持~た~ぬ~

307:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/19 01:17:55 00LDsfTq0
こっちのはうが勉強になるかな。
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

308:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/19 23:59:14 kif3FD3H0
>>305
まぁ、ポルシェ社っつうのも、あの規模では常に安定した経営は難しい。
でも他社へ入るのも嫌。ならば大メーカーと五分以上の条件で経営統合しておきたいってのも有るでしょうが。
昨今問題の二酸化炭素排出量絡み、あれは全モデルの平均値を問題とされるとかなので、
小型車を大量に生産しているVWと会社を統合しておけば大型モデルの開発がやり易い。
・・なんて魂胆も有るらしいですね。

最初はVWの1,1リッターエンジンをベースにした356シリーズで始まったポルシェのロードカー
356は結局60年代半ば迄お決まりの重量増加と排気量拡大を続けましたが、
それでも最終型356Cのクーペモデルで935kg強力版のSCモデルで1.6リッター95HPだったとか。
それに代わって生まれた911が(356を遥かに上回る長寿モデルだという事を考慮しても)
空冷時代のみを取り上げても、基本同一モデルとは思えない程の成長を遂げた事を思えば
その変化は小さな物。

今やポルシェの名前から、かつての小排気量・小型高性能車のメーカーというイメージは失われて
ハイエンド・スポーツカーの会社になりきったと思われます。
これがイメージアップなのかどうかは判らない所も有りますが、
大排気量モデル中心の品揃えとなったが為に、かつて親とも慕ったVWを
今や経営統合という形を採りつつ飲み込もうとするっつうのも複雑な話だと思います。

もっともポルシェ社、疎開先オーストリア・グミュントの地から故郷シュツットガルトに戻った時。
最初コーチビルダー・ロイター社の敷地の一部を借りる事から始めながら
事業が軌道に乗ったらロイター社を吸収してしまったという過去も有り。
軒を借りておいて、母屋を乗っ取る(古臭い言い方 w)のは大の得意技なのかも。

309:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/20 00:53:19 krKqUB0X0
軒を貸して母屋取られる例は他業種でも良くあることです。
ローレックスが完全防水ケースメーカのオイスター社をだうも吸収した臭ひとかね。
フィルデナント・ポルシェ博士が神なら神の末裔VWは現在のポルシェAGの親ですが
もっと本当の親子関係会社で子が親より遥かに大きくなって親が霞んでる例もありますし。
電電公社w、ぃあNTTとNTT・DoCoMoとか富士電機と富士通とか。
第二セイコーと諏訪セイコー、つまりSIIとエプソンもでせうかね。w

閑話休題、どころでポルシェっつなこれまで一度も自分とこの主力がヌポォシカァだと言ったことは無く
股さう思ってもいなひやうなのです。あれ自分らではGT屋だと思ってるらすぃ。
極めてヌポーティなGTを作ってるのだとおもってるやうな節がしばしば見られます。
実際911はヌポォシといふよりはGTでせう。もっとGTなのが928とかだったのですが
お客は誰も前にエソジソがあるとポルシェだと思っては、買ってはくれなひ。w
そこが本来GT屋ポルシェの忸怩たるところだったのだらうと思ひます。

310:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/20 03:21:39 S73Kj+6S0
ポルシェもフェラーリも、ほんまもんのスポーツカーはレーシングカーの中にある、
ってことでしょうか。

と、スーパーカー本書いてた某ヲタクな評論家に影響されまくりな
レスをしてみますが w

その本いわく、エンツォ存命時のフェラーリの市販車には
GTという名前が付いていたと。

311:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/20 23:46:23 PaOP2nqQ0
>>310
そう言われてみれば、166インテルとか400スーパーアメリカなど一部例外は有っても
基本的にはGTBとかGTSって名前が付けられているみたいですね。
純レーシング・スポーツとの差別化の意味合いも有ったのでしょうか。
>>309
私も何かでそんな話(ポルシェは自社のロードカーをスポーツカーと表現した事は無い)を
読んだ記憶が有ります。
先日も書いたように、最初の試作車356/1で純スポーツの可能性を探ったものの、
週末のみならず毎日乗れる実用GTの方が、より販路が広いと考えて以来の方針ではないかと思います。

ですからポルシェ社の製品は、それが如何に浮世離れした車のように見えても有効な荷室を備えていたり
小さいとは言えリアシートを持っていたりと、
イタリアン・スーパースポーツのような“エンジンを運ぶ車”みたいなのではなく
“使える高性能”車に仕立てられているように見えます。

と、まぁそれはそれで良いのでしょうが。
先日も触れた914の場合は、そういう配慮が裏目に出た例ではないでしょうか。
ホイールベース間という、普通なら人間の居住空間とすべき場所にエンジンを持ち込むのは
本来なら実用性を犠牲にしてでも操縦性を高める、スポーツカーにのみ許される配置であって
それを無理矢理GTと仕立てようとしても半端な車にしかならなかったのだと思うのです。
例えば安定方向に振った為にあの車には長めのホイールベースが与えられていますが
その事も全体を間延びして見せていると思います。
純レーシング・スポーツの906や910が格好良かっただけに尚更、914には期待外れな感を抱いた人は
当時少なくなかったでしょう。

ポルシェ社自身が“スポーツカー・メーカー”を名乗らなくとも、それを期待する人は少なくないと思います。
時にはそうした人の夢を叶えるモデルも出して欲しいものです。

312:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/21 01:18:37 Uepk/re40
今朝通勤途中で貝満ぃあケイマン(語源はAV嬢も2座クーペも同ぢワニ)が前横ちょろちょろしてて
それ見てて思ったのですが、あれは911に対してリアのシート取っ払ってまで
ヌポォシに徹したクルマ作らうとしたのでせうか? しかしあの荷室の潤沢さは
やはり2座のツアラーとして企画されたうちのヌパイダと同様だと思ふのです。
ボクスターもさうです。
あれでは911の廉価版がボクスターでありケイマンつうことになっちまふ。
ポルシェとしてはそれでEと思ってるのでせうか?

アテクシ思うにポルシェつうとこはGTとレーサー/セミレーサーの両極?しか無く
ヌポォシカァつうものがずっぽり欠落してるやうに思へるのです。
カレラGTあたりは(GTって付ひてますが)、あれがヌポォシといふべきなのか
やはりセミレーサー(その生ひ立ち成り立ちからもこちらかと)に入れるべきか、
つうところでせうか。

313:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/22 23:52:36 Hs0qhm5B0
>>312
ボクスターっつうのも、最初のプロトタイプが出た時にはそれこそ“550を髣髴とさせる”みたいに言われる程
引き締まった形だったのが、生産型は衝突安全性確保などの事情も有ったのでしょうが
ちょっと間延びしてしまって残念な気がしたものでした。
まぁ、アレはアレで良いのでしょうが、どうしても欲しいって程の気も起きないってのが正直なところ。

ポルシェの歴代ロードカーの中で、最もスポーツカー的な雰囲気を持っているのは
恐らく356シリーズの中期に存在した“356Aアメリカ・ロードスター”
または“356Aスピードスター”と呼ばれる車ではないでしょうか
URLリンク(forums.pelicanparts.com)
今でも人気は高く、インターメカニカ等のレプリカも多く存在しているようです。
つか、こうして写真を掲げてもレプリカの写真ではないか?って不安なんですが・・。

このスピードスター、356の中では高価なモデルなのに完全な二座だったにも拘らず
356中の3割近くを占める人気車種だったようです。
しかし4年間作られた356Aの、最初の3年のみでカタログ落ちして、ややウィンドシールドの高い
コンバーティブルDというモデルに代わられ、また356の後期型では作られなかったというのは
ちょっと不思議なところ。
やはりポルシェは純スポーツカー的なスピードスターを、自らのイメージに合わないとでも判断したのでしょうか?

この時期(356Aが作られた50年代後期)には、初めて“カレラ”と名乗るモデルも現れています。
これはDOHCヘッドを持つエンジン(普通の356はOHV)をはじめとする、一種のパッケージオプションの
ようなものだったようで、
他の356よりも10~20%程強力なエンジンやバケットシート、強化されたブレーキ等を備えたものだったとか。
このカレラ仕様のスピードスター辺りが、スポーツカーマニアには最も魅力的な356ではないでしょうか?

314:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/24 00:22:54 b5lZHhLP0
顧客はポルシェをスポーツカーのメイクと考え、しかしポルシェ自身は飽くまで実用GTのメイクであることに拘る
その事が上手く機能したのが911に於ける“カレラRS”や現在の“GT3 RS”のような硬派なバリエーション・
セミ・レーサーをイメージリーダーとして豪華装備の通常モデルを売るというやり方でしょうが
顧客とポルシェ社自身の思惑の違いが裏目に出たのが前述の914であり、
またエロスパ氏も書かれたように、フロントエンジン車の928や924~944、968でしょうか。

硬派のスポーツカーにこだわるのであれば、こうしたモデルは不要であったのかも知れませんが
高速移動を安楽にこなすGTを目指すには、リアエンジンの911からフロントエンジン車への移行は自然な事で
ポルシェ社が当時、どのような未来像を思い描いていたのかは理解出来るのですが
生憎顧客層の多くは、ポルシェというブランドに安楽な高速移動のツールを望んでいなかったのでしょう。

これらのフロントエンジン車は結局は商業的には成功作とは成り得ずに
一時期のポルシェ社の低迷の象徴のように言われる事も多いようです。
車そのものの出来は勿論悪い物では無かったのでしょうけれど。

ニッサンが所謂R32GT-Rを開発した時に、具体的なライバルとしてポルシェのフロントエンジン車944の
高性能版を挙げたというのは有名な話で、
当時多くの人は「何故911ではなく944?」のように感じたかも知れませんが、
より多くの台数を販売するスカイラインのバリエーションとしては扱い易い操縦性を持つ必要性が有る筈で、
その為にも限界付近で許容性の高いフロントエンジンの944が
エンジン搭載位置という共通項以上にニッサンの開発陣には参考になったのかも知れません。

たまに路上でこれらのフロントエンジン・ポルシェを見掛ける事もありますが、
良い車だと思いますし、実際そうなのでしょう。ただポルシェを見ているという感覚は薄い。
これらの車を気に入り所有している方には、そういう他人の目だけが癪の種かも?

315:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/24 02:39:02 dvwnCbycO
つ、パナメラ

316:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/24 23:00:02 pTx6Y21c0
さう、パナメラこそポルシェが積年やりたかったクルマでせうな。
つまり根本はGT屋。

924はさすがにいささかアレな物件でしたが944からはどんどん別物になっていきました。
924が只のアウデーなら944からはちゃんとポルシェ。w
928なんか本当にEGTなんですが、なにせ前にエソジソがあるお陰で冷や飯食らって
今ぢゃ投売り叩き売り、しかもちゃんとしたメンテしてもらえづ(そこはポルシェ、高ひから)
ロクでもなひ状態の物件ばかり、
今になってもまともに評価も扱ってももらへづ悲惨な末路つうのが多杉ます。
当時も今も「素晴らしいスポーツカーであったが販売面で云々」つう記事ばかりで
要するに”ポルシェ=スポーツ”つう誤った呪縛から未だに開放されてなひんですな。
あれはすこぶる優秀な”GT”です。ポルシェはGT屋なのです。

GT屋、それは911を見ても分かります。930あたりまでの尻が重くて
ギッチリとスローイン・ファストアウトを正確にやらんと曲がってくれなかったのが
今や単にハンドルくるくるだけで相当曲がるらすぃ。それはヌポォシ性の排除であり
ド下手の為のクルマづくり、つまり客を信用しなひ、客との信頼関係の無ひクルマづくりなのです。
ヌポォシなら客の技量をある程度信ぢるもんです、それはかつてのアルファがさうだったやうに。
「うちの客ならこのぐらひの技量は持ってて当たり前、そこまで行かんヤシは買わんで宜しひ」
と足切り意識が純血アルファ時代にはあったやうに思ひます。
客も客で、まぁ何せアルファ・BMWあたり買うヤシは少々おツムの逝ったバカタレばかりでしたし
さういふメーカの足切りでふるひ落とされなひ連中ばかり。
そこである種の信頼関係、メーカと顧客の信頼関係が成立してた訳です。

317:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/24 23:00:43 pTx6Y21c0
ですが、まぁ会社組織の宿命として拡販つな絶対な訳で、
さうなると市場規模はヌポォシではなくGTなのです。
正確で正しひ操作をきちんと体得して初めて出来るのがスポーツ。
そら下手と上手の人数比なら世の中下手が多ひに決まってます。
股、高額なクルマの場合ターゲットの富裕層は
欧州の場合など殊更ヌポォシ需要より圧倒的にGT需要が高ひ。
さうは言ってもよりピュアヌポォシ寄りなのか安楽寄りなのか、そのはざまのどこを狙ふか、
どこを選ぶのか、それがそのメイクの色になるのだと思ひます。

下手でも飛ばせるGTと下手では危なひヌポォシ、拡販の為にはGTしか無ひのであるます。
ポルシェはヌポォシのイメージでGT売るメイクです。
客を信用しなひ方向へのハンドリングの進化、それが示してゐます。
同様の方向性が屁ラーリにもありますがあれはちょっと違ふ。
危険の無ひ範囲でF1ヌポォシ気分を味ははせる大人の高価な玩具の側面が大きひかと思ひます。

318:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/24 23:53:28 b5lZHhLP0
60年代に911が開発された時にもフル4シーターの試作車が存在したように、
また928にも4ドアの登場が度々噂されたように。
ポルシェは昔から4シーターを作りたかったのは確かなようです。
GTの解釈を広げていけば、そうした車(パナメーラ)やオフロードも行き先に追加出来る車(カイエン)
のようなものも作るのは、ある程度理屈の上では理解出来ることですが。
しかしさすがにそれは拡大解釈というものでしょう。

つまりポルシェはGTカーのメイクから脱皮して高性能・高級車メーカーへの道を選んだのでしょう。
ところがそれが長い目で見たときに、一般へ受け入れられるものかどうかは、未だ判らないところがあります。
またVWとの経営統合を目指すのであれば、それは即ちアウディやベントレー、ブガッティを傘下に収めること。
これらの顧客とポルシェを選ぶ顧客とは重複しないかも知れませんが、それは過去の話。
ポルシェが高級・高性能メーカーとして一般に認知されるのであれば、
それは傘下に収めたベントレー辺りと競合する事にもなりかねず、難しい問題が出て来るかも知れません。

まぁ、その辺はこれからのポルシェ社のお手並み拝見といったところですが。
こうした方向転換っつうか拡大路線は、古くからの顧客層からはどう思われるものかという興味もあります。
もっとも911が登場した時でさえ、356に馴染んだ顧客からは「ポルシェらしからぬ」という声が出たそうですから
顧客っつうのは何時の時代も我儘なものなのでしょうが。

また、最近のCG誌上に書かれていた噂では、ポルシェの業務拡大路線は未だ続きがあるようで
ボクスターよりも安価な入門版的な役割を持つ小型車の開発も計画にあるとか。
CG誌はそれを「ブランドイメージ管理の見地からは好ましくないのでは?」としていましたが
古くからのポルシェ社の歴史を辿るならば、現在の生産車が成長し過ぎたとも言え、
パナメーラ辺りよりも、むしろそちらが優先されて欲しかったとも思います。


319:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/25 00:24:53 0K5J/x8fO
いくら技術があっても、小型車は難しいんじゃないですかねェ。コストと利益のバランス等。
もっとも、高級小型車なら、BMWがある程度うまくやってる気も。

嗚呼、EA266・・・

320:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/25 01:54:21 0N4aZsJQ0
そこで股バーゲン・ポルシェですよ。w
914、924としくぢってカイエンでやっとこ上手く行ったので
ゴルフかTT(同ぢかw)あたりゐぢるつもりでせうかね。

さういふのでも欲しひ人はゐるもんです、バッジが欲しい人がね。

321:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/25 20:09:05 zm/60QuwO
ある程度コンパクトなサイズで売り出すなら、フェラーリのDINOやASA、ダイムラーのSMARTなど別ブランドにする例がありますが、大抵長続きしません。
そして時が経つにつれサイズが大きくなっていきます。例えば、ASAと現行の430には共通項が何1つなひ。
高価格車メーカーが廉価車を、大衆車メーカーが高級車を売り続けるというのは大変難しい。

322:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/26 00:17:33 6z2QdQGE0
昨日触れたのはVWがデトロイトで発表した“コンセプト・ブルースポーツ”なる車のポルシェ版の噂のことです
URLリンク(response.jp)
まぁ、これを単にバッジだけポルシェのそれに変えて出したのでは確かに“バッジだけ欲しい人”の為の
ブランドイメージの切り売りになってしまうでしょうが、
356がそうだったように“VWにビタミン剤飲ませて”別物に仕立てられればある程度面白いかも。
つか、本来こういうのはVWよりもポルシェから提案して欲しかったという気もします。

最近の高級・高価格な車は正に馬力がインフレおこしたかのように、軒並み大出力を誇っていますが
スポーツカーが単に怪力を誇示する反社会的とも思える存在にならない為にも
また少し前に話に出た“パーソナルカー”の文化みたいなものを、私等庶民の手の届く範囲にも残して貰う為にも
かつて小排気量でルマンの性能指数賞上位を競ったポルシェ辺りには初心を忘れて欲しくないもの。
勝手な思いでしょうが(w

初心と言えば。
ポルシェのニューモデル・パナメーラの名前は50年代356に高性能版セミ・レーシングモデルに
“カレラ”の名前を用いたのと同様、1950~54年にかけて行われた公道レース
“ラ・カレラ・パナメリカーナ・メヒコ”にちなんだものでしょう。変なところで初心を忘れていないもの(w
しかし、このレースでポルシェが名をあげたのは、主に当時最新鋭だった550スパイダー辺りが
大排気量と頑丈さにモノを言わせるアメリカ車等を相手に印象的な活躍をした為だったそうで
大柄なボディーに400~500馬力もの怪力を誇る現代のポルシェ・パナメーラには、
そうした姿は想像出来ないものでもあります。

323:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/28 00:07:09 svHpL1zX0
先日>>314で「356Aスピードスターのカレラ仕様辺りが、スポーツカーマニアにとっての理想の356では?」
等と書きましたが。ラテン車好きな人ならば、そちらよりもむしろ356GTL“カレラ・アバルト”でしょうか。
URLリンク(www.sportscardigest.com)
URLリンク(takumi-yoshida901.way-nifty.com)

とは言っても、元々カルロ・アバルトさんは元々オーストリア人。
第二次大戦後にポルシェ設計事務所との関係を持ち、以前このスレでも触れた(不発に終わった)
ポルシェ設計のチシタリア4WD・GPカー計画に関わった縁も有ったそうですから
このカレラ・アバルトに関しては、彼のオーストリア人の側面が表れた仕事と言うべきかも知れません。

この辺の車については私よりも詳しい方は沢山おられるでしょうけど、一応触れておくと。
一言で言うならこの車、ポルシェ356のセミレーシング“カレラ仕様”にアルミ製軽量・空力ボディーを被せて
更なる高性能化を狙った車のようです。
登場は1960年だそうですから、356がAからBシリーズへと変った年に一致していている為に
“356B-GTL”と呼ばれる事が多いようです。が、この年に356に加えられた変更点は
この車には無関係のようなので特に356Bとする意味は無いでしょう。
大体、ベースとなった356の“カレラ仕様”ってのが60年登場の356Bには本来用意されなかったらしく
従って“356Bカレラ”って車自体が存在しないとも言えるようです。

中身は356カレラ仕様殆どそのままのようで、アバルトさんの仕事は主にボディー関係に集中しているようです。
この点もアバルトさんの作品の中では異色かも。
この車の登場で、当時ややGTカー・レースでの戦闘力に陰りが見え始めた356は息を吹き返したようです。
1.6リッター級でありながらも2リッター級のレーシング・ディーノを打ち破ってタルガ・フローリオで上位入賞等
その戦果は俄かに信じ難い程。
僅か20台(他に諸説有り)程しか作られなかった車ですが、
一度はステアリングを握ってみたいと夢想する人は数限り無くいることでしょう。


324:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/28 23:56:13 svHpL1zX0
62年にそれまで1.6リッターだったポルシェのフラット4、ツインカムの“カレラ”エンジンは2リッターになり
この通称“カレラ2”が究極の356となったようです。
またこのエンジンを用いて“カレラ・アバルト”のようなアルミ製ボディーを着た車(今度はポルシェ自製)も
2台のみ作られたそうで、これは2000GS-GTと呼ばれたとか
URLリンク(www.imca-slotracing.com)
この車やカレラ・アバルトは、後の純レーシング・ポルシェや550とは異なり飽くまで356の一族で
リアエンジン・2100mmのホイールベース、スイングアクスルの後輪懸架等、
356の特徴をそのまま受け継いでいるそうです。

で、この初期の“カレラ”シリーズ。最初にその名前を用いたモデルがデビューしたのは
55年のフランクフルトショーだったそうですから
1950~54年にかけて行われた、その語源となったレース“ラ・カレラ・パナメリカーナ・メヒコ”には
出場していない事になります。
ところが現代行われている、復刻版のこのレースには356カレラは勿論のこと
911初期モデルも大挙出場しているとか。
この辺は、原則としてかつてのレースに実際に出場した車のみに出走を許している復刻版ミッレ・ミリアとは
かなりスタンスが異なるようです。

大体、この“ラ・カレラ~”というイベント、日本とは殆ど無縁な世界での出来事で
しかも5回しか行われなかった事も有り、あまり日本語で書かれた資料も無いのですが
少ない資料を見れば見るほど凄まじいものだったようで、ミッレ・ミリアとパリ・ダカールラリーを
足して二で割ったかのような様子だったように思えます。

行われるきっかけになったのはメキシコを南北に縦断するハイウェイ開通を祝ってのことだったそうですから
レースもそのハイウェイを用いて行われたと思えるのですが
ルートの中には洗濯板のような所もあれば穴だらけのところもあり。ガードレールは無きに等しく
酷いのは一度に曲がれず、切り返す必要のあるカーブまであったとか。
これはハイウェイとか言えるものとはとても思えず、一体何を基準にコースを選定したのか?
全く不可思議としか思えないところなのです。


325:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/29 07:04:27 VgYJcWaR0
日本の昭和30年頃の「酷道」さながらですな

当時はハイパワーとタフネスさから、アメリカ製大型セダン(それも当時の2速AT仕様まで)も相当に出走したわけですが、
まあアウディクワトロのはるか以前の2駆時代、修繕の容易さからしても「それもあり」だったでしょう。
舗装路での華麗な疾走より、道無き道を強引に爆走するシーンがほとんどという凄まじいレースですから。
リアがリジッドアクスルで頑丈、サスはグニャグニャでもトレッドの広さで何とかなる、
サイズも50年代前半までなら程々の大きさで止まっていたアメ車も悪くない。

でも、市販車ベースによるこういう乱暴な悪路耐久レースの方が
実用車の技術発展には役立つと思いますね。

個人的には、F1のようにスピードばかり高度なクローズドレースは
後になればなるほど実用技術の発展改良からは乖離して行ってるとしか思えないので。

326:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/29 23:58:49 yQSSSIqn0
>>325
レースが高度に専門化することが、実用車の技術開発に役立てるにはむしろ逆効果になるかどうか
その辺はナンとも私には判りかねますが、
少なくともレーシングカーが市販ロードカーとは別物の、馴染み難いものと化す事は間違い無いでしょう。

例えばポルシェで言うならば、356系の四気筒エンジンを搭載した最後の車・904カレラGTS
URLリンク(www.imca-slotracing.com)
この車は既にシャシーは356系のそれとは全く別物であり、
角断面鋼管を用いたフレームにエンジンはミドシップとされ、サスペンションも前後ダブル・ウィッシュボーン。
ですが、この車は64年ルマンで7位入賞・タルガ・フローリオでは1-2-3フィニッシュなどの
レースでの輝かしい戦績の他に65年・雪の多かったこの年のモンテカルロ・ラリーでも
ワークス・ミニ・クーパーに続き2位入賞と、万能振りを見せています。

現代のクローズドレースに出場する空力技術の塊のような純レーシングカーでは考えられないことで
このような、レーシングカーとして設計されながらもGTと呼ぶ事も無理ではない車が生まれたのは
この時代が最後だったと思われます。
ルマンやモナコGPのようなものは別として、公道を用いたレースイベントが無くなった事と無縁ではないでしょう。

ところで、これは余談ですが。
この904カレラGTS、言うまでもなく64年の第二回日本GPに式場壮吉さんのドライブにより参戦
生沢徹さんの駆るスカイライン以下を相手に優勝を飾ったのが日本では最も有名な戦績でしょう。
自動車メーカーとしてのポルシェの歴史は、決して長い方ではありませんが、
この数日、幾つかのそのレーシングカーの歴史を辿り
此処に至ってやっと日本のレースが話に出て来る訳ですから
日本のモータースポーツの歴史が浅いものと一般に考えられるのも無理はないという気がします。

327:TNT!
09/05/30 10:55:44 eUR0BrlAO
第一回の日本グランプリに、ポルシェ356カレラ2が出てたらしいですね。
それも、ポルシェのレース監督(だったかな?)の、ハンシュタイン氏がステアリングを握っていたとか。
コーナーを華麗なドリフトで駆け抜けていたのが印象的、と誰かが書いていたのを読んだことがあります。

904以降、906~917はタキ・レーシング、956あたりは各プライベートチームの活躍で、
ワークスの派手な活動はないものの、ポルシェはずいぶん、
日本のレースに影響を与えてきたのでは、と思います。

悪役(ヒール)的な位置に居た、とも言えそうですが w

328:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/31 00:30:25 QbUs4/ER0
>>327
書かれた通り、第一回“日本GP”には、当時のポルシェ・ワークスレースチーム監督の
フシュケ・フォン・ハンシュタインさんが自らステアリングを握った356カレラ2GSが
メインレース扱いの「国際スポーツカー・レース」に出場、
二日間に分けられたレースの第二ヒートでは総合の5位に入賞・クラスウィンを飾っています。

この方、1940年のミッレ・ミリアをBMW328に乗り勝利するなど、立派な戦績を持っていらっしゃるそうですが
この第一回日本GPが行われた時には既に52才。レーシング・ドライバーとしては引退された後で
車の方も前後バンパーを外したのみの、殆どストック状態だったとか。
言葉は悪いですが、ポルシェ社は全く本気でこのレースに取り組んでいなかった事が伺えます。
手許の資料(模型雑誌のバックナンバーですが)を見ると、このレースには他にも二台の356が出場いていますが
いずれも"カレラ2”仕様でもない、普通のモデルだったようです。

ちなみにこのレースで総合優勝を飾ったのは、ロータスの当時最新鋭純レーシング・スポーツカー
23Bで出場したピーター・ウォアさん。後にチーム・ロータスの監督となられる方ですが、
この時の肩書きはロータスのセールス・エンジニアだったそうですから
かなりの腕前ではあったにせよ、一流のレーシング・ドライバーではなかったことも事実で
本気でレースに取り組む気がなかったのはポルシェだけではなかったという事でしょう。

また、当時の観客も半分は外車ショー見に行く感覚だった人が大半で、
珍しかった外国製スポーツカーが疾走する姿が見られればそれで良かったという程度だったそうですから
ポルシェ社他の姿勢も無理はなかったようです。

各自動車メーカー主導の形で大きく様変わりしていく第二回以降とは異なり、
"日本グランプリ”と銘打たれてはいても、この第一回はまだまだのどかなものだったと感じられます。

329:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/06/01 23:52:35 EJQ+qBlq0
丁度、今日発売されたCG最新号に第二回“日本GP”の優勝車・ポルシェ904カレラGTSが取り上げられていますが
車そのものの話はそちらを見るとして、ちょっと下世話な話。
この記事の中で“ポルシェ904の新車価格は571万円もした”と、大変高価な車だったことを
同時代のトヨタ・クラウンDx(96万円)を比較対象として書かれている件があります。

一方、以前SCG誌06号の中で吉田匠さんはこの車の価格について
“カレラ2よりも20%しか高くないDM29.700という驚異的低価格で発売した”と書かれています。
どちらも本当なのでしょう。
ちなみにこのドイツ本国価格を当時の為替レートで計算すると約270万円だそうです。

先日も書きましたが、第二回日本GPの約半年前に開催された東京オートショーでは
スタンダードモデルOHV・1.6リッターの356が250万円だったそうですから、
それから考えればツインカムを搭載してタルガ・フローリオに圧勝、モンテカルロでも二位入賞を遂げた
100台限定のレーシングモデルがその倍の価格ってのは異例のバーゲンプライスでしょう。

それがクラウンの6倍でも、未だ安い気もしますが
植木等さんが「嫌な課長に頭を下げて、貰う月給は一万ナンボ」と歌っていた
一般のサラリーマンはクラウンどころか軽自動車買うのが精一杯な時代。
そんな最新鋭純レーシングカーがいきなり登場して来た時の観衆の驚きや、レースプランが一気に崩壊した
スカイラインGTを擁するプリンス自動車側の狼狽は如何なるものであったのでしょうか。
国産車贔屓の人にしてみれば、確かにこれは子供の喧嘩に親が出て来たも同然
悪役に見えたのかも知れません。

330:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/06/03 00:06:24 ay5W+KP70
“黒船”ポルシェ904カレラGTSの襲来以後>>327さんも書かれたように、
日本では何故か単座フォーミュラカーレースよりも二座スポーツカーレースに人気があった事も有り
ポルシェのレーシングカーは常に日本車メーカーの目標になって来たようです。

ところが、技術的な部分を見ると、大雑把な感想としては日本製レーシング・スポーツカーは
あまりポルシェに直接的な影響は受けていないように思えるのも面白いところ。
例えば、最初に“打倒ポルシェ”を大目標に開発されたと思える日本製純レーシングカーと言うと
プリンスR380でしょうが、
これが当時の市販レーシングカーで、直接これから戦うというポルシェの904や906では無く
ブラバムBT8をベースとしているのは良く知られている事のようです。

URLリンク(www.jsae.or.jp)
URLリンク(www.nvo.com)
上がブラバムBT8。こうして見るとR380は904とフェラーリ250にデザイン上の影響を受けているかのようです。
このサイズ(2リッター)のエンジンっつうと直列六気筒しか経験が無かった当時のプリンス自動車ですから
フラットシックスを搭載するポルシェ906等は参考に出来なかったのでしょうか。

ブラバムと言えば、ホンダが最初にF-1に参戦するにあたりエンジン開発用とシャシー研究用の為に
購入したと言われるのもブラバム製のシャシーだったという話も記憶にあります。
70年代以降、先鋭化する以前のブラバムは旧式でも手堅い設計で知られていたそうですから
プリンスやホンダなどのように、これから新規にレーシングカーを開発しようとするメーカーにとっては
格好の研究材料と思えたのかも知れません。

331:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/06/04 22:44:32 x40gKAbmO
ポルシェのレースカの中では、日本には来ませんでしたが961が印象的でした
あの4WD制御は日産スカイラインGT-Rにも、前後は逆ですが影響与えたと聞きます


332:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/06/05 00:18:30 S5+kAqOG0
961ですか。
URLリンク(images.forum-auto.com)
この車は市販された事も無く、また出走したレースも少ないので中身については推測の部分も大きいようですが
ベースとなった959自体、当初“グルッペB”プロトとして発表されたように
かなり純レーシングカーに近い成り立ちのようで、実際にエンジン等はグループCカー
956に負う部分が大きいようです。

そのレーシングバージョン961は、インタークーラーの容量等見た目に異なる所も多いのでしょうが
ボディー素材のような部分に関しては本当の所は判らないことも多いのは仕方ないところでしょうか。
この車、IMSA-GTPクラスで出走した86年のルマンでは7位入賞していますが
この年に出場した日本製Gr・Cカーよりも速かったというのは驚きを越して衝撃的でした。
959をベースにこれに似せた改造車でも作ってみたいもの
・・959の方にしても希少な超高価格車ですから、勿論模型の話ですが(w
(そう思うと、ミウラをベースにイオタ・レプリカ作った人ってたいした度胸ですね)

さて、のんびりと昔の車の話などしている間にも、この数日間に世の中は目まぐるしく動きつつあるようで
なんと、まさかのGM経営破綻、アメリカ政府管理下入り。
これで現状、アメリカでは一度も破産・倒産を経験した事の無い自動車メーカーはフォード一社のみ。
そしてオペルはカナダのマグナ・グループ傘下入り。
フィアット傘下入りする事は無くなったようですから、これでこの先恐らくオペル各車が
フィアットのバッジ・エンジニアリング車となることも無くなって、オペルの独自性は保たれるのでしょうか。

もっとも、もしもそうなったとしたところで現在その事を喜ぶ人もあんまりいないかも知れません。
それが今のオペルにとっては最も問題なのではないでしょうか。

333:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/06/06 00:06:39 S5+kAqOG0
今回のGM破綻劇は会社の規模も大き過ぎることもあり、完全に潰してしまう訳にいかず
アメリカ政府が株主となり一時国営化するという手に出たようですが、
それでも一回は破産させてしまうっつうのはアメリカならではの荒療治という感があります。
日本では、一時期かなり危なかった三菱にしても、とにかくなんとか潰れずに済んだようですが
あれがアメリカでの話であったならば、リコール隠しという“フェアではない”事をした企業が
上層部の挿げ替えだけで済まされるとは考え難いところがあります。

それはともかく。
他社に吸収・合併の形で姿を消したブランドはこの数十年のみを見ても数多くありますが
それも日本では、トラック専業に転身したいすゞや日野のような例はあっても
ブランドそのものが消えたというのは共に日産に吸収されたオオタとプリンスくらいのもので
何処に吸収されるでもなく消え去った(ある程度の規模の)自動車メーカーというのは殆ど無いと思われます。

海外の“消えたブランド”と言うと、完全消滅とか他社に吸収された例とかいろいろ有りますが
60~70年代に消滅したボルクヴァルト、スチュードベーカー、パナール、シムカ辺りは
特に車に興味が強く無い人には殆ど知られていないでしょうか。
日本のプリンス自動車辺りも、今やスカイラインやかつてのレーシング・スポーツR380絡みでしか
殆ど語られないメーカーとなった感があり
普通の車好きな若い人には知らぬ人も多いことでしょう。
既に日産に吸収されて40年以上経ち、日産社内にもプリンス入社組は殆ど残っていない頃でもあります。



334:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/06/06 03:15:40 RlVOYo2H0
来週のカーグラフィックTVの特集は、”電気自動車 たま”らしいですよ~


敗戦で職を失った元・ヒコーキ屋さん達の、自動車業界(に限らず、鉄道や機械メーカーetc)への
転職と、戦後日本の工業の発展との関わり、という話は面白いんですが、
このスレなら多分既出でしょうね w

ヨーロッパにも、マトラとかがありましたが・・・

335:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/06/06 09:06:03 +cp/uARs0
「たま」というと、オオタシャーシベースの最初のガイコツ顔モデルばかりが記述され、紹介されるんだけど、
横置きリーフサス独立懸架の専用シャーシを得てややスタイルの良くなった
1948年以降の「たま・ジュニア」「たま・セニア」を取り上げてくれないかなあ。

どこの雑誌も初代「たま」だけ保存車のカラー写真まで入れて紹介してるのに、
ジュニアとセニアはちょっとしか触れないんだもの。
朝鮮戦争で売れ残りが出てオオタでガソリン車に改造されたそうだが。

336:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/06/06 22:44:17 x9XZnusO0
ジュニアーとセニア、ガソリン車転用版のオオタPCとPDは現存が確認されていないのでは?
どうしても、現物があるほうが雑誌としてもラクなんでしょうね。
ジュニアー・セニア時代のたまは、油圧ブレーキ化、ボディの木骨全廃など、戦前のキャリーオーバーを
脱して、貪欲に海外の新技術を習得していく過渡期なので、雑誌ネタとしても面白いと思うんですが。

ボディについては、車体メーカーに残っていたたボディをプリンスが見捨て、オオタが買って、自社フレームに
フィッティングしたというところでしょう。
プリンスが1952年春に新設計のガソリン車を発表し、一方でオオタが52年型と銘打って、お下がりボディの
PCとPDを売り出すという流れに、オオタの末期ぶりが見えます。
この時期、外貨割り当て緩和で輸入車が圧倒的シェアを占め、少ないパイもトヨペットSF系とダットサンに
さらわれて、オオタの乗用車生産はどんどん減少していた頃です。


337:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/06/07 00:01:25 uiGXVNia0
>>334
ミサイルメーカー・マトラの変遷ぶりっつうのも、良く判らないところが有りますw

たま電気自動車→プリンス自動車っつうのは意外と判らないところが多く。
こうしたTV放映等を機会に整理された資料が求められるところではないでしょうか。
実車の方はニッサンの追浜記念庫に47年型セダンとトラックが有るそうですが、ジュニアやセニアは
現存車両は確認出来ませんでした。

で、この電気自動車“セニア”については、手許にある自動車史家折本透さんの著書によると
カタログでは5.5馬力モーター付きで一回の充電で200km走行可能・最高速度55kmを謳っていたそうですが
最高速はともかく、最近話題の三菱製EVとの比較で考えても航続距離はかなり楽観的というか
誇大な広告に思えます。
ところが実車を用いた性能試験(1948年・小田原)では実際に230kmの距離を走ってみせたとか。
(平均速度約23km/h)
全長4m弱の小型車ながら、車重は1650kgに及んだと言いますからかなりな容量の電池を積んでいたのでしょう。

当初のモデルはバッテリーをローラー付きのカートリッジに収めて
充電済みの物と素早く交換可能としていたそうですが、セニアでは積み込み式と変えられていたそうですが
実際の充電にはどの位の時間を要したものなのでしょうか?

338:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/06/07 23:47:41 uiGXVNia0
SCG50号に、当時のカタログ写真の多くを用いてプリンス自動車の特集が組まれていますが
これを見ると朝鮮戦争勃発による鉛価格の高騰に伴い、たま電気自動車がガソリンエンジン車に転身した時
当時の競合他社(トヨタやニッサン)が1000cc以下の小型車しか持っていないことから
1.5リッターエンジンを開発する事に決めたとされています。

しかしこの頃(1950年)にはこのクラスの需要は決して大きいものではなかったと思われ
この判断には恐らく企業規模の為もあって、経営陣は収益率を重視した中規模量産企業への道筋を
考えていたのではないでしょうか。
またブリヂストン会長も兼ねていたブリヂストン・石橋会長の意向も有ったのかも。
初期のプリンスのエンジンの基礎となったプジョー202を所有していた事でも知られる石橋氏ですが
アメリカ車好きでもあったそうで、初代グロリアやスカイラインのテールフィンスタイルには
その辺の嗜好も伺えます。(もっとも、その頃の多くの車は皆そうでしたが)

この当時としては大型・高級志向が変な方向に出たのか
1955年の通産省の国民車構想(4人乗り・100km/h25万円)に対してプリンスは
4.7mX1.77mという今の中級セダン並みのサイズのボディーに600ccフラットツイン(後にフラット4)という
パナールもびっくり(w)な車を計画したそうですが、当然の如く実用化はされず。
車重は1.4tというこの車、耐久テストまで進んだそうですが、一体どんな走りっぷりだったのでしょうか?



339:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/06/08 01:18:07 bImUjkB50
二台の車がごっちゃになっていますよ。

>4.7mX1.77mという今の中級セダン並みのサイズ
これは、昭和31年のショーに出品された、プリンス試作大型車(BNSJ)です。
エンジンはGB1型1862ccで、サイズも排気量も3ナンバー。
見込まれる需要の少なさから、専用ボディは見送られ、スカイラインとボディを共用するグロリアへとつながります。

>600ccフラットツイン(後にフラット4)
こちらは、昭和34年に試作された小型車(DPSK)です。
各メーカーに甘い夢を見させた国民車構想、それを念頭に作られたリヤエンジン四人乗り。
ボディサイズは現行規格の軽自動車より小さいです。

SCGの記事は読んでいませんが、600ccの4.7mX1.77m車は噴飯ものではないでしょうか。
当時のお高い3ナンバーの税金を払って、動力性能は600ccフラットツインでは、開発以前に誰にも売れないでしょうから。

340:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/06/09 00:23:24 at9i6ETI0
>>339
成る程、そういうことでしたか。道理でおかしいと思いました(気付けよ、俺 w)
SCGの記事を書かれたのは元プリンスの技術者当摩節夫さんという方で、
件の国民車の記述上に小さく図面のコピーも掲載されていますが、
ノッチバックデザインのそれを良く見ると確かにリアエンジンのようです。
当摩さん御自身もステアリングを握り、テスト走行を行ったそうですが、街ではイタリア車と間違えられたとか。
完成していたなら、フィアット850のような車になっていたのでしょうか。

プリンスはこの国民車ベースのスポーティーなクーペも企画していたそうですし
時勢を思えばかなり意欲的と思えるスカイライン・スポーツを発売するなど
趣味人で知られたブリヂストン・石橋会長の影響なのか当時の日本車としては先進的な会社だったようですが
それが結局日産との合併で消滅の道を辿ったのは当時の通産省の方針と共に
ブリヂストンが特定の自動車メーカーと緊密な関係にあることが本業・タイヤ屋さんの方に不利という
判断が働いた為とも言われていますが、
トヨタや日産側からブリヂストンに圧力をかけたという説も有るそうです。

いずれにしても今更本当の事は誰も語らないでしょうが、
先日日本GPに関して書かれた古雑誌を読み返していたところ、
スカイラインGTがデビューした第二回日本GPに於けるメーカー間の駆け引きや出し抜き競争の一つとして
“当時国産では唯一のBS製レーシングタイヤを独占契約として他社には使用出来なくした”
という話が書かれていました。
この頃ブリヂストン側が“特定のメーカーと緊密なのはタイヤ屋商売に不利”と考えていたというのであれば
トヨタとの独占契約を結ぶというのも不自然なところで
あるいは“ブリヂストンがプリンスから手を引いたのは他の自動車メーカーからの圧力”という説も
全く有り得ない事ではないのかも知れません。


341:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/06/09 00:56:04 uD6ngYaa0
どこぞのプリンスに関する本の中では、石橋さんがタイヤの商売とプリンスを天秤にかけて、
プリンスを見限った、みたいに書かれてますね・・・

図書館で借りた本だったので、うろ覚えですが。

342:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/06/09 01:28:48 KRu+qmaD0
プリンス合併の頃は、車は定価で買うのがごく当たり前だったのですが、
東京オリンピックが終わり、揺り返しで不況が来た昭和40年頃から、
プリンス車は値引きを派手にやリ始めました。
「10万引くからスカイラインを買いませんか」とセールスが訪問に来るほど派手に。

プリンスもトヨタ同様、販売会社を分離していたのですが、プリンス自工が黒字を
計上していた一方で、自販の方は背中に火がついた状況になっていました。
技術重視の社風の中、自工はレースに金を注ぎ込み、黒字という体面を保つため、
商品を自販に押し付けた。
自販は、丸々押し付けられた在庫の山を、値引きに頼ってなんとか売ろうともがいた。

商売を考えない技術屋が力を持った結果、プリンスはなるべくしてああなったともいえるでしょうね。

343:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/06/11 00:47:29 kIHuRTui0
う~む・・。
1952年にガソリン車へ転身した時、戦前型プジョーのエンジンをコピーする事から始めた事を思えば
僅か10年余りでR380のツインカム4バルブ迄進展したプリンスの技術力ってのは
大したものだったのでしょうが、やはり何処か無理が有ったのでしょうね。
その皺寄せを受けたのが量産車の販売部門だったということでしょうか。

何処か無理が感じられるというのは60年代の国産車全般に言えることかも知れませんが
技術陣が好き放題にやれる純レーシングカーには特にその傾向が強いように思えます。
プリンスが残したR380というレーシング・スポーツカーにしてもそれは言えることで
2リッタークラスに限らず、直6を縦置きミドシップ配置にしたレーシングカーって世界的に見ても意外に少なく
プロのレース屋さんならば考えない形式ではないかと思う事も有ります。

以前に触れた1.5リッター時代のホンダF1にも言えることですが、
まずエンジンありきと言うか、車全体のバランスが二の次になっているかのように見えます。
数値評価好きな日本人的とも言えるのかも知れません。



344:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/06/11 02:50:35 FKVKBhRxO
プリンスの代表的な技術者 中川良一さん
ホンダの初期4輪の設計に関わっていた中村良夫さん

どちらもヒコーキエンジン屋出身なんですね。
それも二人共、中島飛行機という、営業の影が薄い、
技術者主導の企業に在籍していたという・・・

もっとも、シャーシは専門外とはいえ、お二方共、技術的な嗅覚は鋭かったようで、
レース活動を休止した後は、中川さんはエンジンを始めとするクルマの電子制御化、
中村さんは、本田社長の空冷主義に抵抗しつつ、シビックのような新しいホンダの道を切り開いて行く、
という、日本車が世界で躍進する下地を作ったような人達だった、と思います。

先達と自社の傾向を考えつつ、試行錯誤していたのが、
両者のレース活動時代だったのでしょうか。

345:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/06/12 00:19:29 Ob2JKcmD0
時々私は思うのですが。私等のような車好きに限らず多くの人はメーカーの技術的な部分は評価しても
販売・営業力ってのはあんまり評価しようとしない傾向があるでしょう。
もっともそれも仕方ないところで「技術の日産」ってのは売り文句になりますが
「販売のトヨタ」なんて自慢しても反発されるだけ(w

それはそうと。60年代の日本のレースカーを見ていると思うのは、
そこにある技術ってのは結構興味深くて面白いものなのですが、
その一方では「これは実戦向きとは言えないだろうなぁ」みたいな部分も多い事があります。
他とは違う事や、時には理想を追いすぎ、
レースの現場で経験を積むことの重要性への認識が甘かったみたいな。
先ずは世界に「追いつく」事を考えず、いきなり「追い越せ」と焦ったようにも見えます。

その傾向が、レースカーに限らず量産車の分野でも最も強かったのがプリンス自動車で
そうした無理がこの会社の寿命を縮めたのかも知れません。

ところで話は変り。
今日、昼間偶々最新のスカイラインにインフィニティのエンブレムを付けた車を見掛けたのですが
どうせ“判ってくれる人にだけ判れば良い洒落”でそういう遊びをするのであれば
“PRINCE”ってバッジ作って貼れば、そっちの方が余程洒落ていると思うのですが。
今となっては“判ってくれる人”が少なすぎますかね??(w

346:21世紀愛のスカイライン
09/06/12 04:05:54 ZDPKH6KVO
>>345
ハートに「SKYLINE」のマークとか、「PMC・S」のステッカーを貼るとか w

インフィニティG35、すなわち左ハンドルのスカイラインを輸入して
乗ってる人を見た事がありますが、
日本で運転しづらい左ハン車をわざわざ高いお金出して買うのは、
”見栄”以外なにものでもない、と思ってました。マニアックな見栄の張り方ですが。


ところで、日産にはもう一つの消えたブランド、”DATSUN”がありましたが、
復活させるだの言ってたのはどうなったのでしょうか?
子供の頃は、ダサい名前だと思ってましたが、
アメリカにおける510や240Zの存在を知るにつれ、
妙に気になるブランドになってしまいました。
新しいZにDATSUNのエンブレムを貼る、ていうのも面白いとは思うんですが。

347:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/06/12 12:22:58 LhTLgMVIO
いっそのこと、もうじき日産から出る筈のEV手に入れて
「たま」っていうバッジ作って貼るとかw

348:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/06/13 20:07:15 R8AsCkQe0
プリンスならやはりpに→か♂♀マークでせう。w

今でも多分やってるんでせうが、いっとき頭の悪ひ人の溜まり場となってた左ハンスレつうのがありましたな。
ヌカGの左ハンつうのもだうかと思ひますが車種によっては右ハンと左ハンで
あんまりな程出来の違ふのもあって、デキのEの欲しけりゃ否応無しつう場合もあるんで。
例へばジュリア系、伊藤忠が随分右ハン入れましたが、これがまづブレーキが宜しく無ひ。
マスターシリンダーから別なんです。あと昔の911右ハンとか。
ステアリングとペダルのレイアウトがメチャクチャ。ポルシェ自慢の剛性感まで悪ひ。
他にもATセレクタレバーが逆に付ひてる南ア製右ハンBMWとかこれ股操作系レイアウト捩れた
いすゞ製カデットwぃあFRジェミニとか。
今は多少は良くなってるかと思へば145なんか右ハンと左ハンで音も違へば
ステアリングの剛性感もまるで違ふ。スカットルの構造が違ふんですな。
だうも欧州(大陸)の連中は生産量が少なく大して儲からなひ右ハンは
やっつけで作ってるとしか思へません。
その辺は英国の通人ぃあヲタwどもからも相当クレーム出てまっせ。

あと、慣れもあるかなぁ、アテクシも今乗るなら左ハンが慣れててAです。
でもなんぼ慣れてても左ハンが右ハンより相当出来が悪かったら当然右ですが。
元々対米販売メインのZあたりなんかなら左の出来もAんでせうかね?
ジャガーなんかは左の出来が相当Eらすぃです、なにせメインマーケットは北米、
英国内はつひでに売ってる状態ださうですから。

349:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/06/13 23:05:25 9BEULE9o0
>>347
そうだな、
「60年の時を経て、”TAMA”は帰ってきました」
なんてコピーなんかあったら楽しいな。

「かつて日本で、電気自動車の必要な時代がありました。
そしていま、世界が電気自動車を必要としています。」

なんてな。
白バックに、ガイコツフェイスのたまと新型EV並べて。

日本の自動車メーカーも、昔の技術力やデザインはともかく、
歴史はスウェーデンやソ連の自動車業界と並ぶぐらいにはあるから、
そういう歴史を活用しない手はないと思う。
現に初代Zなんか、大いなる遺産として活用できてる存在だし。

350:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/06/13 23:51:38 R8AsCkQe0
難しいのは日本のメイクの場合、実質的に過去を否定しながら今に至ってることでせうな。
自社の歴史を積み重ねるのではなく目先の販売だけを重視してきた結果。
ブランド商売とは歴史商売でもあります。股主義主張商売でもあります。
日和見主義・風見鶏商売を社是としてきた国内各社ではブランド商売は困難でせうな。

351:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/06/14 00:01:16 R8AsCkQe0
さて、そんな中で稀有な存在がZとヌカG、クラウソあたりでせう。
物の出来とかその主義主張の良し悪しとか好き嫌いとか
はたまた軸のブレ加減とか言い出せばキリありませんが
それでも日本車の中では”Zで在らう””ヌカGで在らう””クラウソで在らう”が
まぁある程度受け継がれて歴史を作ってきた車種だと思ふのです。
それは国産車が車種ごとの歴代、代々断絶を繰り返してきた中では稀有だと。

352:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/06/14 00:16:34 TMzX44s10
そういうCMコピーでも作るならともかく、
今洒落やネタでやるには“たま”は余りにも“判ってくれる人”が少ないかと(w
それに今やカルロス・ゴーンさん指揮下に於いてプリンス自動車ゆかりの資産は全て売却された後
“たま”の名前の由来(多摩工場)も失われていますから、名称だけを復活させるのもどんなものでしょう。
同じことは“オオタ”にも言えますが、まぁ、こちらは復活させる意味も知名度自体も疑問つか
ほとんどないかも。

またダットサンの名前の歴史を思えば、個人的にはそれが似合うのはフェアレディよりもマーチだと思うのですが
何でも使い捨てにするのが好きな国民性(と思う)の日本人。
そういう名称の復活は受け入れられるものか?と、ちょっと考えたり。
日本車には、そうした“一旦消えかけた名前の復活”っていう例は有りましたっけ?

ところで>>346さんが書かれた“PMC”ってのはプリンスの輸出用ブランド名ですね?
前に他スレでちょっと触れた事が有りますが、他に“PMC ミカド”とか“ニッポン”なんて名前も用いているようです
URLリンク(www.takaharabooks.com)
URLリンク(www.takaharabooks.com)
時期によって違うのか、仕向け地毎に変えていたのか(何の為?)
その辺のこと、御存知の方はいませんでしょうか?


353:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/06/14 00:18:34 TMzX44s10
あ、ダラダラとお茶飲みながら書いていてリロードもしなかったらエロスパ氏と被った(w
失礼

354:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/06/14 00:23:42 LZ7lfOG30
軽では多いですなあ。25年、30年ぶり復活とかで。
「ライフ」なんかはまあできはともかく、位置付けとしてわからないこともないんですが、
概して変です。

大昔の立派なキャブオーバートラックの名を、よりによってOEM軽トラに使ったり、
水冷モデルの醜悪さが語りぐさになった車の名前で奇怪なフェイスの軽乗用車が登場したり、
オープンボディの変なトラックだったはずの車が、タダの軽ワンボックスになったり、
粋なミニスポーツGTの名が、なぜか床の高い変なミドシップ4座車になったり。


355:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/06/14 01:12:41 CyOhT6bSO
>>352
いやぁ、PMC・Sというのは、「プリンス モータリスト クラブ スポーツ」の略で、
JAF公認のオーナーズクラブみたいですが、ハコスカのレーシングカーのリアフェンダーには
デッカいロゴマークが貼ってありました。
輸出ブランドとの関係は不明です。

で、正式名を確認しようとヤフったら、未だに盛況で、
公式HPは、最新の日産GT-Rとハコスカが並んだトップ画像でした w
やっぱり門外漢が考えるより先に、オーナー達は伝説を繋げていってるみたいです。


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