09/04/06 23:34:35 jaGLbxKz0
ダンナ、それやったらますます日本で売れなくなったでしょうw
あの時代に大型車購入の発言権を持ってた大正生まれのお偉方たちは、
例のクジラクラウンですら理解できなかった人たちですから。
たぶん、三菱マークがなければ
当時のシーラカンスデボネアでも喜んで購入したでしょうよ、あの当時のお偉いさんたちは。
古い例では、プジョー402シリーズのボディをベルリエが購入して外付けライトと自社エンジンにした例があり、
後年だと、ダイハツがパブリカのボディに自社エンジンを積んだコンソルテなんて事例もありますね。
最初から完成車買ってOEMにすれば早いことなんですけど、大抵はメンツが絡んでの特殊措置って事のようです。
211:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/07 00:07:52 tnRu1yQ10
つーか、ロードペーサーって当時のマツダが
「大型車作りたいけど、一から自社開発して元が取れる程売れる見込みないからなぁ」
みたいに考えて出来た車ではないかと(違うかな?)
ですから、シトローエンGSとかNSUではサイズ的な意味が無いかと。
・・そう言えばロードペーサーって見た記憶無いです。
本当は見た事も有るのかも知れませんが、見て面白い車でも、印象に残る車でもないでしょうから(でしょ?w)
自社製エンジン積む為に社外製シャシーを買うって話。レーシングカーなら結構有りそうですね。
フォードがGT40作るベースにローラGT買ったとか、ホンダがF-1用にローラのインディー用シャシー買ったとか。
ロードカーとなると、確かに事例は少ないと思います。
大体は、車全体のイメージが先に作られた後に、エンジンを検討するものでしょうし。
“エンジンが先にありき”に近いのはコブラみたいな例でしょうが、
あれにしてもキャロル・シェルビーさんが、まず「欧州製軽量スポーツカーのシャシーにアメリカ製強力エンジン」
っていう大体のイメージを先に描いていたところ、ブリストル製エンジン搭載していたACエースが
ブリストルがエンジンの自製を止めて先行き困難になったのを聞きつけ
そこで初めてフォード側とコンタクトを取り実現した車という経緯が有ったそうですから
やはり先にシャシーが有って他社製エンジンを調達した車の一群に含めるべきでしょう。
212:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/04/07 21:23:56 wwQPBLY80
アテクシもロードペイサーなんつな興味の埒外、子供心に名前だけ覚えてた程度ですな。
だうやらかういふ物件の模様。
URLリンク(www.okura-auto.co.jp)
元ネタが豪州ホーデンwなのは右ハンあったからでせうな。
それとやはり欧米よりは距離的に近くて輸送が楽だったんでせうかね?
213:さいた('A`)マンドクセ ◆3Vi8OE4pEg
09/04/07 23:47:50 BkJAsCDSO
たぶんある程度のサイズで威風堂々として、日本の事情に合ってなおかつお家芸のヴァンケルエンジンが載せられる車種ってヤツで出てきたんでしょうかね?
確かこの時のマツダ、GMとの提携があったような………?
まぁ豪州はメリケンの右ハン輸出国だったりしますからねぇ………
トラックな話題も混ぜさせて貰うなら、現在ダイムラーグループのケンワースやピータービルトなど、良く日本では「コンボイ」の愛称が浸透しているトラックも右ハン仕様が存在しますからねぇ………
前に首都高湾岸線を走ってる時にミドルクラスのケンワースらしきタンクローリーのトレーラーを見ましたが、まさか日本に入ってきてるとは……(;゚д゚)
おっと話がそれましたw
で、ロードぺーサーの元ネタ車、ホールデン・コモドール(またはコモドア)のお話。
この車のボディバリエーションの多さ、はじめて見たときに度肝を抜かれたり。
高級車からピックアップトラック(クルーキャブもあったり)まで、一つのプラットフォームで賄っていたりします。
某英国の車番組に取り上げられたり、デトロイトの連中がコレをベースにキャデラックをスポーツセダンに仕立てるきっかけを作ってたり(立ち姿勢、何となく似てません?)、そのまま左ハンにしてポンティアックブランドで売ってたり。
何気に現在のアメ車のパワーイメージを作ってたりするのが実は豪州車だったりするわけです。
214:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/07 23:48:16 tnRu1yQ10
・・さぁ・・、その辺は判りませんし、また何故GM系ホールデンだったのかも不思議な気がしますが。
ちょっと調べてみたらロードペーサーの登場は1975年で、マツダが最初にフォードと資本提携したのは
1979年だったそうですから、この時点では不思議って事も無かった訳ですね。
ところでエロスパ氏ご紹介のWebページから拝借したロードペーサーの七宝製というエンブレム
URLリンク(www.okura-auto.co.jp)
・・泣ける・・
先日アメリカ製V8エンジンを“味気無い外見”なんて書きましたけど、それはキャディラッククラスとか
欧州製シャシーに積まれたときとか、レースカーの模型を作ったときに思うことであって
シヴォレークラスの、特にスポーティーなモデルのボンネットの中に置かれたときには
やはり“これしかない”って思う物でもあります。
でもロータリーってのはねぇ・・。単純に見た目だけの事を言うならば、やはり面白くは無いもの。
昔、ロータリーエンジンの構造が目で見える模型ってのが有ったと思いますが
ああいう風に中身まで見えればまた別なんですが無理ですしね(w
現役当時には興味が湧かなかったロードペーサーですが、今有ればちょっと乗ってみたいもの。
つか、今はスポーティーモデルにのみ用いられるロータリーエンジンですが
スムーズで静粛という特性は高級セダン向きでもあったでしょう。
それに、本来ロータリーの排気音ってあんまり“やる気”につながらないと思いますし
構造上どうしてもエンジンブレーキが利き難いってのもスポーティーカーよりも
ショックの少ない事が望ましい高級車向きではないかと思うこともあります。
215:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/07 23:49:41 tnRu1yQ10
ありゃ、リロードしてませんでした
>>213失礼(w
216:シャン手
09/04/08 06:14:43 TgZHX0dAO
ピックアップやマイクロバスにまでロータリーエンジンを積んだのは、
高級感を狙ったのでしょうか w
フルラインロータリー化しそうでしたが、
さすがにオート三輪にまでは積みませんでしたね。
個人で、T2000のエンジンをロータリーに積み替えた人は、
雑誌で見たことはありますが・・・
217:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/09 00:19:04 nPjcTp8F0
>>216
そのお名前で思い出しましたが、軽自動車用にシングル・ロータリーを開発して搭載する計画も
有ったようですね。
振動を消すのに苦労するなど技術的問題も有ったようですが、当時の運輸省に
「さすがに排気量が軽規格内と言っても、それを軽自動車用に積むのは無理」と拒絶されて
立ち消えになったとかって話を聞いた記憶が有ります。
ロータリーのような新種のエンジンとか、過給機付きを通常のエンジンにどう換算するのかは
常に難しい問題のようです。
単純に“禁止!”って言ってしまえば簡単なのでしょうが、それでは技術開発に貢献するという
名目が立ちませんし。
最近のルマン等では空気吸入口径の制限などでそれにあたっているようですが、我々素人には判り辛く
何が優勝したとしても「今はこうしたエンジンに有利な規則なのか?」と思うだけになり勝ち。
実際にそうした側面も有るのでしょうが。
ところでコンパクトなロータリーエンジンは、出来合いのシャシーに搭載するには好都合に思えるのですが
実際にそうした例は少ないようです。
ロータリーが実用化された初期に、レーシングカーで今は亡きレーシングカー・コンストラクター・
シェブロン製シャシーに搭載されて欧州の耐久レースに出場したくらいでしょうか。
通常のエンジンとは出力軸の高さが異なることがネックになるのでしょうかね??
高斉正さんの小説で、60年代を最後に消えたフロントエンジンのインディー・ロードスターが
ロータリーエンジンを搭載することで重量バランスが改善されて戦闘力を取り戻すってのが有ったと思いますが
確か小型ローターを5~6個並べるという無茶なエンジンを作る話で
コンパクトはともかく、かなり重い物になりそうに感じ
読んだ当時「幾ら小説の中とは言え、そんなに安易な話って無いだろ?」と思った事が有ります。・
218:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/09 06:08:04 Mb6ceEzH0
まああの人の小説は「自動車・航空版の民間仮想戦記」ですから……
コメントするだけ無駄だと思う
219:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/10 23:21:33 YB27ueTo0
>>210
>あの時代に大型車購入の発言権を持ってた大正生まれのお偉方たちは、
>例のクジラクラウンですら理解できなかった人たちですから。
それより古い世代のお偉方は、巨大な羽根付きクロームコテコテの米車に乗っていたわけで、
かつ、クジラクラウンのスピンドルシェイプはアメリカ車の流行を追った翻案なわけでw
クジラはデザインより、機能面でダメだったんですよ。
登場した71年の夏、デザインが裏目に出て真夏日に多数がオーバーヒートしてしまって
これで一気に信用を失ったんです。
それと、フロントフェンダーの上に、少し奥まった位置に独立して配置されたポジションランプも
災いの種で、その灯りを目安に狭い路地を曲って、フロントの角をぶつけてしまう羽目に。
これは特に、公用車や社用車、タクシーなどでは車が修理に入るから致命的です。
そういうわけで、クジラは嫌われたんです。
マイナーチェンジ後のクジラでは、ちゃんとフェンダー上のポジションランプがなくなってる
あたり、トヨタはかなり骨身に染みたと思われますw
220:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/10 23:52:23 r+b4HeMe0
>>218
架想戦記モノの流行が先に有ったなら、読む側も荒唐無稽に免疫が出来ていたのかも知れませんけどね(w
クジラ・クラウン。そのあだ名がいつ生まれたのかは判りませんが、
410(ピニン)型ブルーバード“タレケツ”と同様に、
そうした好意的ではないあだ名が生まれてしまった時点で駄目でしょう。
「ああ。あの○○ね w」みたいな風に言われるのって、気持ちの良いものではないでしょうから。
さて、エンジン関係の話はちょっと書くネタを思いつかないので、例によってまた脱線。
高斉正さんのレース小説は「ホンダがレースに復帰する時」ってのを手始めに何冊か読んだ記憶が有ります。
当時、面白いとおもったのは主に技術的な描写の方で、
生意気な少年だった私(当時まだ十代 w)レースの場面はあまり面白くないと思いました。
これはこの人の書いた小説に限った事ではなく、自動車を中心に描いた小説全般に言える事ではないでしょうか。
以前「自動車が脇役的に登場する小説」の話題が有りましたけど、
レース場面や運転中の描写がスリリングで面白い小説って意外に無いと思います。
私個人の事を言えば、高斉正さんの小説にはすぐに飽きてしまい、
今も渋谷東急文化会館裏の同じ場所で営業している筈の渋谷古書センター(ローカルな話)で
F1観戦記の掲載されたCGやオートスポーツ誌のバックナンバーを漁る事に熱中し始めました。
空想中の運転・レース描写よりも実際に有ったレースの観戦記の方が、
数年前のものでも面白く思えたのです。
(隣の棚に有った成人雑誌の類の話は省略 w)
221:さいた('A`)マンドクセ ◆3Vi8OE4pEg
09/04/11 12:38:58 8xK24oRWO
>>214
構造上高級車向きなトコ、確かに納得ッス。
フルラインロータリー戦略を掲げたマツダ自身、ラクシュリーセダンやクーペで快適な車と言うコンセプトを見せてくれましたし………
バブル期の3ローター、ユーノスコスモ、唯一のFFクーペのルーチェとかにその片鱗が見てとれますね。
222:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/12 00:02:38 BZ/iLvMU0
実を言うと、私あんまりロータリーエンジン車を経験した事が無いのです。
ですから大した事は書けないのですが、
唯一記憶に残っているのが二代目RX-7のカブリオレ。親しくしていた知人が一時期所有していたので
二人で遠出した際に少し運転代わらせて貰った事が有ります。
ロータリー&ターボ&ATという組み合わせだった筈ですから、全くと言っても良い程エンジンブレーキは利かず
減速はもっぱらフットブレーキに頼るのみ。
スポーティーとは思えませんでしたが、不要につんのめるようなショックを感じる恐れは無く
町乗りでは結構ずぼらな運転しても同乗者を不快にすることもないだろうと思いました。
そうした特性は高級車には向いていると思うのですが、問題はやはり高級車買う人の保守性でしょうかね?
ロータリーは一時期数多くのメーカーが研究を重ねましたが、
そうした中で、仮にメルセデス辺りが商品化していたらどうだったでしょうか?
スポーティーカーよりも高級車向きに実用化していたら、面白い車が出来ていたかも。
223:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/12 00:14:21 m/k6wdRD0
ロータリーは根元的な低速トルク不足が最大の泣き所でしょう。
大型高級車に最適な大排気量レシプロの低回転トルクに敵うものは、大型の直流直巻モーターぐらいですから。
224:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/12 00:35:27 QkwTSFjq0
ロータリーをセダンやラグジュアリーに搭載するためにいろいろマツダは苦労していたようで、
特に低回転時の不整爆発が車をギクシャクさせるのは問題だったようです。
(昔の2ストロークのバイクで、パワーバンドより下で走るとき、ガクガクするアレみたいなものです。 余計わからんかw)
なので、不整爆発のトルク変動をごまかせるATはともかく、MTではダイレクトにギクシャクが来てしまう。
困ったあげくに、コスモAPのMT車にはフルードカップリングを中間に入れてました。
なので、あの頃のマツダロータリーは、駐車のとき必ずパーキングブレーキを引かないと車が動いてしまう。
そんな懐かしい話を思い出しました。
225:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/12 00:44:20 tZjHRQa9O
メルセデスの試作ロータリー車C111は、完成度が高かったそうですね。
時代のせいか、はたまた他の理由があったのか、
市販されずにディーゼルの速度記録車になってしまいましたが。
226:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/04/12 22:02:42 vWuQl6ph0
アテクシ薄っすら覚へてゐるのは、昔のロータリーは下がヌカヌカで>>224氏ご案内の如く、
そこでそれを誤魔化す為重ひフライホイールが付ひてた時期があった筈です。
バルブの無ひロータリー(原理的には2stに近ひのも皆様ご存知の通り)、
元々エンブレが効き難ひところに大径で重ひフライホイール、
とにかく回転の落ちなひこと落ちなひこと。そんな薄っすらとした記憶です。
思へば重ひフライホイール、吹け上がるレスポンスにもヌポォシエソジソに重要な回転落ちも宜しくなひ、
となればぢつは向ひてゐたのは穏やかなラグジュアリーサルーンだったのではなかったでせうか?
ルーチェとかプログレッシヴ・コスモ(しばたはつみw)みたひな。
もちろん当時のフルラインロータリー、マツダはレシプロの先の時代のエソジソは
ロータリーだ、といふ見通しもあったかと思ひます。
その一環としてヌポォシ系にもロータリー載んでカペラGTだのサバンナGTだのやったんでせう。
ところがオイルショックやら排ガス規制やらですったもんだの挙句
気が付ひたらヌポォシ系しか残る道が無くなってた、つな按配ではなかったでせうか?
227:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/12 23:43:39 Z/l0PIIf0
燃焼室形状等で他が進化しても、ロータリーはその恩恵を受ける事も出来ず
圧縮比ひとつ上げるだけでも中々大変な面はあるのでしょうね。
常にローターが回転しているということは、燃焼室形状も常に一定ではないことでもあります。
今では唯一ロータリーを作り続けたメーカーとなったマツダには悪いのですが、
研究しながら商品とはしなかった他社も実用化“出来なかった”のではなく、コスト面や将来性から
実用化“しなかった”というところも多かったのでしょう。
で、>>223
その辺はギア比とかでナンとか誤魔化せないものかと考えたら
(また)変な事を思いついたのですが(ヒマな人 w)
負荷の大きな時だけ3ロータリーで、普段は2ロータリーみたいなエンジンでも作れば面白いかも。
通常の気筒休止システムは、バランスの都合で端のシリンダーを休ませる訳にいかず
休止しているといっても上下運動は続けており単なるフリクションの素ですが
これならば端のローターは休止している時はクラッチで切り離してしまえば抵抗にならず(駄目?w)
まぁ、この先は私のようなヒマ人でもいなければ今更ロータリーエンジンを再開発して
高級車等への使用を考えるメーカーが現れるとも思えないところでしょうか。
高級車に特化したロータリーってのも有れば面白かったと思うのですが
もしもロータリーが注目された時代に
このスレッドのヒーロー(?)我等がムシュー・ガブリエル・ヴォアザンが現役でいてくれたなら・・
228:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/13 00:06:19 /Pd429rx0
>このスレッドのヒーロー(?)我等がムシュー・ガブリエル・ヴォアザンが現役でいてくれたなら・・
小型・高出力に魅せられて、こんな車にロータリーを積んでしまいそうですw
URLリンク(62.15.226.148)
229:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/13 00:11:44 /Pd429rx0
>コスト面や将来性から実用化“しなかった”というところも多かったのでしょう
ふと思い出した。
ロードペーサーが話題になっていましたが、あの車、もしオイルショックが来なければ
トヨタと、ロータリーエンジンとボディを相互に供給する予定だったはず。
当時の雑誌に、クラウンのボディにロータリーを載せたマツダの高級車が登場する
という噂話がたびたび書かれていましたね。
230:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/04/14 00:46:03 g/zfHVcJ0
しばたはつみの歌に乗せプログレス・コスモの雄姿。
セックスライトぃあ6ライト(つまりオフェラウインドぃあオペラウインド付き)。
URLリンク(www.youtube.com)
アテクシ”プログレッシヴ・コスモ”だと覚へてましたがプログレスなんですな。
なを、マイ・ラグジュアリー・ナイト URLリンク(www.youtube.com)
♪交尾はゲームぢゃなくほぢることね 答えて変しいひと
夜はドラマティック URLリンク(www.youtube.com)
クルマはコスモAP(アナル・ポコチン)。
このAP(アンチ・ポリューション)つうのがロータリーの腑抜け始めとなったんですが
本来燃焼温度の低ひロータリーはNoXの発生が少なひもののCOやらHCの排出が多ひ訳です。
そこで排気系にサーマルリアクタを付けてCOやHCを萌やしたんですな。
ところがこのサーマルリアクタ、これのお陰で燃費向上とあちこちに書ひてありますが
何で排気の再燃焼で燃費が良くなるんだか良く分かりません。
まぁアテクシなら再燃焼で高温高圧になったガスで豆タービン回してコ・ジェネで拾って
発電機でも回すか、とか考へさうですが。w
231:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/04/14 00:48:20 g/zfHVcJ0
ここでも訂正
× コ・ジェネで拾って発電機回す
○ コ・ジェネで拾って発電する
チツ礼しました。
232:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/14 00:50:42 ZbecdsyE0
>>228
ビスキュテールの広告ってのは初めて見ました。
オリジナル版はこちら
URLリンク(lint.s1.x-beat.com)
広告はスペインでの生産版のようですが、残存する車両の写真
URLリンク(lint.s1.x-beat.com)
これは戦後の物資不足の時代にヴォアザンさんが行った提案ですから、
仮にその当時ロータリーが試作されていてもさすがにその搭載は考えないと思いますが(w
実物もヴォアザンさんお気に入りのスリーヴ・バルブではなく、250cc程度の2ストロークだった筈
(でも、ポペット・バルブは無いんですよね・・ w)
クラウンにマツダ製ロータリー搭載の噂ってのは記憶していませんけれど、
あの当時は結構いろんなメーカーからロータリー試作車ってのが発表された筈。
印象的なのは先日>>225さんが書かれたメルセデスのC111ですが(ガルウィングのドアが格好良かった)
身近なところでは日産も試作車発表の段階まで行っていた筈。
結局企画段階で消滅して、残されたボディー・デザインは二代目シルビアになったアレ。
URLリンク(image.blog.livedoor.jp)
本来ならば当時の日産は、この車を高級パーソナルクーペで売りたかったのでしょうが、
商品化された実車は、サニーのシャシーにブルーバードの1800ccエンジン積んだクーペでしたから
市場には高級も何も有った物ではないお手軽仕立てな小型クーペと捉えられたようです。
“元・ロータリーエンジン試作車”という事でしか記憶に無い人も多いかも知れません。
つか、私も殆どこの車の事は忘れていました(w
233:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/15 23:52:20 fRSNRKpp0
実際にロータリー・エンジンを商品化したのは結局三社だけ。
最初のロータリー・エンジン搭載車は1963年誕生のNSUヴァンケル・スパイダーだそうですが
この車は私、見た事も有りません。
URLリンク(cars.selling.co.nz)
もっとも車自体は以前から存在したリアエンジン車(プリンツ)の流用だそうですから
エンジンを抜きにすると左程興味を持つ人もいないのかも。
この写真を見る限り、赤いボディー色もあり同時代のアルファ・ロメオ・ジュリア・スパイダーを
なんとなくドイツ風(と言うか不恰好に?)してしまった車のようでもあります。
NSUヴァンケル・スパイダーのエンジンはシングル・ロータリーだったそうで、
世界初のツイン・ロータリーエンジン搭載車はマツダのコスモ・スポーツが、数ヶ月NSU・Ro80に先駆けているとか。
マツダがロータリーの研究に着手したのは61年頃からで、
この頃NSUから試作エンジンを購入しているそうです。
60年代終わりから70年代初頭にかけて、ロータリー・エンジン搭載車を出したシトローエンのエンジンも
NSUとの合弁会社コモトール社製でしたから
この時期まではNSUがロータリー・エンジン製品化の主導的役割を負っていたと言えるでしょう。
しかしNSUは後にアウディに吸収され、結局はVW傘下となってブランドそのものは消滅しています。
1905年誕生の結構歴史は古いメーカーでしたが、特にこれと言って代表作も無く。
ヴァンケル・スパイダーの素になったプリンツが幾らか知られている程度でしょうか。
今ではロータリー・エンジンとの関係を抜きにしては語られる事も少ないブランドでしょう。
むしろ二輪の方で有名な会社なのかも知れません。
234:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/17 00:23:45 eS2mzLNz0
三つ目のロータリーエンジン市販メーカー・シトローエンのロータリーエンジン搭載車ですが、
まず増加試作型とも言うべき車、M35クーペってのが1969~71年に掛けて作られています。
URLリンク(www.tuningfever.fr)
500名のモニターに有償で販売し、その声を聞くという宣伝も兼ねた計画だったそうで
車自体は2CVの発展型AMI8をクーペとしたボディーに4輪ハイドロニューマティックの足回りを与えた物。
しかし計画通りに事は運ばなかったようで、生産された車は300台に満たず。
車そのものの出来も、素のAMI8の味わいを失ったデザイン、強調するところもない動力性能、
芳しくない燃費とあまり良い所なく、
生産された殆どはシトローエン自身が買い戻してスクラップと化したとか。
この経験をもとに73年にはGSをベースとしたツイン・ロータリー(M35はシングル)エンジン車
GSピロトールが発表されますが、これもあまり出来は良くなかったようで、
発表後一年余りの短い期間に1000台に満たない数が生産されたのみで終わり。
しかも保障期間中に苦情が殺到する事を恐れて、販売された殆どは(また)シトローエン自身が買い戻し
スクラップと化したとか・・。余程酷かったんでしょうね・・。
シトローエンもフルライン・ロータリー化を夢見ていたそうですが、
その割にはこの時期マセラーティを傘下に収めてエンジン部門の強化を図ったり
(これもトラブルメーカーを掴まされて大失敗したのは御存知の通り)
かなり内部は迷走していた様子。
こうした大型の投資がことごとく裏目に出たところにオイルショックが到来して、二度目の倒産となった訳ですが
(オイルショックによる一時的な落ち込みは有ったにせよ)GS他の車の販売は決して不調ではなかっただけに
下手な事しなけりゃ良かったんでしょうけどね。
そこはやはりシトローエンらしいといったところでしょうか。
235:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/17 12:13:30 DMqvYBkYO
同じ回転運動でも、機構がまるで違う、タービンカーってのがありましたね。
クライスラーが熱心で、かなりの数の試作車をモニターに貸していたと記憶してます。
結構実用的なところまで熟成されたようですが、これまたオイルショックや技術上の問題?でフェードアウトしてしまいました。
まあ、会社自体もその時代にだいぶヤバくなっていたのですが・・・
236:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/17 23:56:03 eS2mzLNz0
>>235
タービンエンジンの話題は以前にもやりましたが、60年代にはクライスラーのみでなく
欧州ではローバーやルノー辺りも結構積極的に開発を行っていたようで。
アメリカではインディーに於いてSTPタービンカーが、また欧州ではルマンでローバーBRMが活躍し
それなりの成功を収めるなど技術的にもかなり完成度は高かったようです。
燃費は通常のレシプロ車には及ばなかったようですが、70年代以降も研究開発は続けられて
最終的にはそう遜色のないものにまでなっていたそうで、
少し意外な気もしますが安価な灯油で走行可能なことから第二次オイルショック(79年)当時には
米国政府から低燃費車開発の助成金まで支給されていたそうです。
それが結局実を結ばなかったのは、どうしても自動車用エンジンとしては高価になることが
避けられなかったからとか。
また、タービンエンジンは燃焼温度が高い為に燃料はほぼ完全燃焼するので
一酸化炭素や炭化水素といった有害物は殆ど出ないそうですが、
反面(処理が厄介な)窒素酸化物は多量に排出され、これも悩みの種だったそうです。
ジェットエンジンがその初期に問題として抱えていた高価かつ加工の困難な耐熱金属の精密加工などが
セラミック技術の進化などで解決出来てコストダウンに結び付いていたならば実用化も有り得たのでしょうか。
でも、なんだかなぁ・・往復運動全く無し。トルク特性上変速機も不要。エンジンブレーキは全く利かないので
フットブレーキだけが頼り・・
・・正直に言って、あんまり運転して面白そうな感じはしませんよね・・。
そんな風に思ってしまうのは、レシプロに慣れてしまった“古い奴”だからなのかも知れませんが(w
237:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/18 07:34:22 wDheoWeuO
タービンと電力のハイブリッドなんて面白いかも、
なんて突然思ってみたり。
エンジンブレーキの代わりに、電力回生ブレーキ付けたり、
加速の補助に電力使ったり・・・
ただ、駆動装置の設計がメンドくさくなりそうな悪寒。
238:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/18 09:21:59 r12qY9cC0
ガスタービンのコジェネは、定置動力か大型船舶でないと難しいんだよね。
コジェネをやることで、効率の悪いガスタービンの総合効率が凄く上がるんだけど。
239:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/18 09:39:34 RGkGfrqS0
ガスタービンのシリーズハイブリッドは、
定番(?)でしょ。
240:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/19 00:28:17 BBJ++gSJ0
タービンエンジンは自動車用として本格的な研究が始まる以前から、
発電用などには実用化されていたそうですからハイブリッド車には向くのかも。
ただ、システムそのものはシンプルであっても(変速機不要ですから)
断熱やらに問題は残るでしょうから嵩張る事は避けられない気がします。
大型トレーラーとか鉄道車両向けでしょうか。
1963年。クライスラーが一般モニターに貸与した試作車両は50台とされていますが
その他にメーカーのスタッフ自身が世界中を回って見せたとかで、
64年には東京でも招待されたテスト同乗者を乗せてデモ走行を行っているそうです。
振動の無さや静粛性、急坂でもシフト無しで一気に登れる力強さは強い印象を与えたそうですが
燃費の方は未だ良くなく、おおよそ4~5km/Lくらいだったとか。
安価な灯油使用であることを思えば、この頃のアメリカ車としては酷いと言うほどの事も無い気もしますけどね(w
URLリンク(peter50tal.com)
一般に貸与され、日常に使用される事を前提として作られた車ですから、
この時代のアメリカ車の常識的な形からは踏み出しておらず。
むしろ地味にすら感じるデザインは直前にフォードから引き抜かれたデザイナー
エルウッド・エンゲルさんという方のものだそうで、実際の製作はイタリア・ギア社が請け負ったものだそうです。
一台が一人のユーザーに貸与される期間は約半年とされ、3年間で総数203名の方がモニターに参加
総走行距離は100万マイルに達したそうですが、残念な事にこの車の試乗記の類を見た事は有りません。
ですからタービンエンジン搭載車を運転した感覚ってのは想像するしかないのが現状のようです。
高速巡航は得意科目でしょうけど、停止と発進が頻繁に繰り返される市街地走行での使い勝手は
どうだったのでしょう。
周囲の車も皆同じエンジン搭載しているなら問題にならないのでしょうけどね。
241:さいた('A`)マンドクセ ◆3Vi8OE4pEg
09/04/19 12:36:56 yw91OtN/O
>>240
クライスラー・ターバイン(通称)ですか…………
そういや某OT誌でコイツの出てたコンデレの記事が有ったような。
チョイと探してみますかw
242:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/20 23:58:11 SdaEUVhv0
>>241
タービンカーは試験終了後、殆どが廃棄処分になったという事ですから
現存するのはメーカー自身の保存車両なのでしょうか。
大体が個人ではパーツ難から保持出来そうにありませんし。
240の実車の画像からも、クライスラーがこの手の車の実用化にかなり本気だった事が伺える気がします。
変った動力源を搭載している事を暗示するのはごく限られた細部に過ぎず、
その表現も(ごく通常のエンジンを搭載した)数年前までのアメリカ車に比べれば控えめとも見えます。
しかしこの時代にタービンエンジンを研究していたのはクライスラーのみではなく、
GMやフォードも同様に試験を重ねていたようですが、あまり実用化には本気ではなかったのでしょうか?
1954・56・58年のGMのショーカー“Fire-bird”
URLリンク(bp.cocolog-nifty.com)
(このおじさん誰?)
右側の最終型・Fire-birdⅢの写真をもう少し
URLリンク(robincyan13.blog.so-net.ne.jp)
・・当時のGMデザイナーは、この車に未来を感じて欲しかったのでしょうか?
ジェット小型飛行機は飛行機であって、自動車と同じ時代に存在するけれど、縁の薄い別な乗り物
自動車の未来とはあんまり関係は無いことに、人々を気付かせてしまっただけかも知れません。
この年式(59年型)をピークにアメリカ車の巨大化したテールフィンが急に小さくなったことも
思い出させます。
この“ファイアバード”を格好良いという人もいるでしょうし、また私も格好そのものは良いとは思いますけど
自動車としてよりも少年向けSF漫画に登場する乗り物か
若しくは遊園地の一風変った遊具にしか見えません。
アメリカ製ショーカーが“ドリームカー”と呼ばれた最期を決定付けた形として記憶されるものでしょうか。
243:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/21 01:02:17 PDvnqMgu0
>このおじさん誰?
www
なんか野球の観客席によくいる、ビールと日焼けで赤くなったオッサンにしか見えませんが
かの有名なGMのハーリー・アールです。
このファイアバードシリーズのデザイナー(つか統率者)かつプロジェクト推進者なので
この三台の前に立ってるわけです。
244:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/21 23:56:19 vsfoSoz10
>>243
おや、そう言われて改めて見ればそのような・・。
ハーリー・アールさんってスーツ姿でカメラを睨みつけている写真ばかりのような印象があります。
この写真は、なんだかそれっぽくありませんね。
それにしても。これら"Fire-bird”のようなドリームカーが未来的と言えるかどうかは判りませんが
その脇に立つ人間の方まで(これがアールさんだからという訳ではなく)未来的に見える写真ってのは
見た事が無いように思います。
思えば自動車の誕生以来、人々が着用する服装の変化ってのは左程大きいものではなく
自動車の形の変化にはついて行けてないのかも。
もっとも、科学特捜隊(w)の制服みたいな“未来的なファッション”が流行したとしても
それを着る人間側は、そうした服の似合うような8等身・スリム体系に
いきなり変化出来ないって都合も有るのでしょうが。
まぁ、そんなことはともかく(w
このタービンエンジン搭載ドリームカー、GM“Fire-bied”こんな格好ではあってもフロントエンジンのようです。
URLリンク(www.kudzumonthly.com)
この車が誕生した1958年と言えば、F1で正にこれからクーパーがミドエンジンで革命を起こそうとしていた時期。
ロードカーにはミドシップと言う発想が無かったのも当然とは言えますが
このファイアバードがアイドルにしたらしきジェット戦闘機はその推進機構の都合上
当然コクピット背後にジェットエンジンを配置する、自動車で言うところのミドシップ。
そのプロポーションをご丁寧になぞってみせたファイアバードもミドエンジンにしてしまう方が
余程合理的かつ簡単と思えるのですが、おかしなところで保守的だったのでしょうか。
つーか、仮に動力源等殆どの機械がフロントに集中しているのであれば
コクピットもかなり前進位置にあるこの車、コクピット背後のスペースは全て必然性も何も無い
デザイン上の都合だけで作られている無茶な代物だったのでしょうかね??
245:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/22 17:42:10 fnj2XyI+O
サンダーバードで有名なゲーリー・アンダーソンの作品に出て来る「スーパーカー」みたいですねw
アンダーソンはイギリス人だったと思いますが、
サンダーバードに出て来る六輪ロールスロイスのグラスキャノピーも、
アメリカ製ドリームカーから借りたアイデアだと思いますし
アメリカ車好きだったのでしょうか
246:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/23 23:52:59 6uoAIeyZ0
>>245
これですね。
URLリンク(www.aiai.ed.ac.uk)
この辺ははっきり言ってあんまり良く知りません。ゲーリー(ジェリーと表記されている事も多いようです)
アンダーソンさんの作品の中ではサンダーバードよりも前に位置するもののようですが
私は放送を見た記憶も無いです。
こうした元々モノクロ作品の登場車の模型のカラーリングって、どう決めているんでしょうね?
GMのドリームカー“ファイアバード”はフロントエンジンだったようですが
同じくタービンエンジンを搭載していたルノーのレコードカー“Etoile Filante”
(エトワール・フィラーント・流星号56年)は実走行を前提にしていた為かもっと現実的な形で
この時代としては進歩的にミドエンジン。
つか、30年代の(やはりミドエンジンだったGPカーをベースとした)アウトユニオンレコードカーにも共通する
典型的な空力スタイルのようです。
URLリンク(bmwzclub.free.fr)
“流星号”と名乗りながらも地を這うように低い形は深海魚のようでもあります。
ルノーの流星号は未来の車を志向したものという訳でもないのでしょうけれど、
後の多くのレーシングカーにも通じる形になっている分現実にはつながっているようで。
飛行機に憧れたらしき“ファイアバード”よりも安心して見ていられるというか、
どちらかを選べと言われれば、私ならばこちらに乗りたいと考えさせます。
やはり体験的に接地感が失われる事の恐怖が染み付いている事と無縁ではないからでしょうか。
少年時代であったら、逆の選択をしていたのかも。
247:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/25 00:29:26 gtslhjVt0
先日50年代GMのデザイン部門を率いたハーリー・J・アールさんの名前が出ましたが、
この人の評価ってのは結構その時代により変化していると思います。
50年代のアメリカ車ってもの自体が、あまりにも他とは異質な物であるが故に
その評価も時代背景と共に変化が激しく
そのデザインの中心にいたアールさんの評価もそれと共に乱高下していたのでしょう。
ダウンサイジングが声高に叫ばれたオイルショック以降の時代にあっては、天衣無縫にデザインされた
50年代アメリカ車の評価が高くなる筈もなく、私が自動車に本格的に触れ始めた1980年前後には
“環境より淘汰された恐竜”の如き扱いを受けていたように思います。
例えば手許にある1955年登場のシトローエンDSの先進性を書きたてた雑誌記事のひとつなどでは
同時代のアメリカ車に対しては
「大量のクロームと排気量に任せた大パワーで消費者の目を騙すことに懸命だった」と
如何にもメーカーの都合のみで中身に乏しい、利益率だけが高い車であったかのように扱っているような具合。
これらの巨大なアメリカ車が日本の自動車雑誌などで再評価を受けたのは恐らく90年前後と思われます。
所謂バブル期。日本車自体がそれまでにない大型化を始めたこととも無縁ではないと思いますが
自動車史がそれまでの技術史中心からデザインを含めた文化史的な側面を語られ始めたことから
創造性という点に於いては比類のない巨大時代のアメリカ車も冷静な目で捉えられるようになったという
部分もあるとおもいます。
その頃(1990年)に発行されたSCG誌07号が手許にあり、
そこにハーリー・アールさんを中心とした当時のGMデザイン部門に関する記事が、
かつてそこで働いた経験をお持ちの方の手自身により書かれていますが、それも尚
「50年代のアメリカ車をモンスターと決めつけるのは早計である」
といった文章から始まるように、この雑誌が発行された当時には
未だに歴史の中でこれらの車が正当な評価を受けていないことや、偏見で捉えられていた事が伺えます。
そうした幾つもの時代を経た今、市井の車好きな人が抱くアールさんのイメージってのはどういうものでしょうか?
248:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/25 06:27:17 Hxhc6xj80
華麗な装いの綺羅星のような最盛期のGM車を送り出すことに一役買った、一代の傑物だった事は認める。
だが、あの時代の厖大な消費を是としたアメリカだからこそ活躍し得たいかにもアメリカ的なデザイナー・マネージャーであって、
「時代の仇花」たる人物であった事もまた否定できない。
だから語るとしてもそれは「歴史の流れ」の上で「語らざるを得ない」存在、でしかない。
249:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/25 08:11:47 XaDAJJ7pO
同じテールフィン時代であっても、クライスラーなんかは
フロントがトーションバーのサスのおかげもあって低く見えるデザインだったんですが、
57年型は特に、同業者にも衝撃を与えるほどだったと聞きます。
でも、ハーリー・アール氏は、厚みのあるデザインが好みだったようで、
GM内の若手デザイナーの間には不満もあったそうです。
で、アール氏が出張でいない間に若手が半ばクーデターのように
やりたい事をやった結果が、59年型のGM各車だったそうです。
低く幅広く見えるボディ、薄いルーフは、世代交代の証だったのかもしれません。
もっとも、テールフィン自体も60年型くらいから小さくなって、消滅に向かっていったわけですが・・・
250:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/26 00:16:44 RS/7vpUz0
>>249
ハーリー・アールさんが厚みのあるデザインを好んだという話に関して、
昨日も触れたSCG07号の記事にはちょっと面白い事が書かれていました。
アールさんという方、身長2m体重120kgという巨漢だったそうです。
これ、一般向け工業製品のデザイナーとしてはあんまり良い条件とは言えないと思うのですが、
彼はそれを気にする事も無かったそうです。
また、飽くまでデザイン部門の帝王として振舞う為に、自分と体格が近い者は決して傍に置かなかったとか。
その為に、当時の若手デザイナーさんたちは皆「ミスター・アールの視点からはどう見えるのか?」を
常に意識しながら働かざるを得なかったと。
無骨なT型で先行したフォード社に対して「デザインの良さ」を武器に追い上げ、追い越して
世界最大の自動車メーカーとなったGMの、そのデザイン部門を統括しGMに驚異的な絶頂期をもたらした
正に“デトロイトの帝王”だったハーリー・アールさんですから彼について書かれた物は幾つも有って、
その書かれ方も様々ですが。
後にアメリカを代表するスポーツカーとなったコルヴェットのように、彼のアイディアから生まれたとされる車も有り
(正確には彼と、当時大学生だったその息子さんとの会話からうまれたとか)
単なる一人のデザイナーさんとして語る事は難しい存在でしょう。
再びSCG誌の記事の中の言葉を借りるなら
「アールの車は売れた。しかもすごく売れた」のは事実であります。
消費者が僅か1~2年でまた新型に買い換えたくなる程に、毎年新鮮な形を提出してみせたエネルギーは
それが彼が若い部下達の才能を絞り使い捨てにした結果であろうと、今の時代には考えられない事。
最近の自動車がモデルチェンジした時に、4~5年前に発表された旧型と比べて
「あんまり代わり映えしないね。どっちが新型?」みたいな風に感じる事を思えば尚更。
恐らくはアールさんという方
「良いアイディアは小出しにしよう」なんてケチな事は全く考えなかったのでしょうね。
251:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/27 00:20:05 nc9TnUlL0
昨日の話の続き
元々ハーリー・アールさんという方は自身で西海岸にデザイン事務所を開いていたそうですが
キャディラックとの関わりが縁となり、請われてGM入りしたのは1925年・彼が32才の時だったそうです。
以来、30年以上に渡り、途中第二次大戦を挟みながら次々に新型デザインを提示して
アメリカ自動車デザインを牽引したその手法は
20才前後の若手デザイナー達に休む間も与えずに仕事をさせて、3年程で文字通り使い捨て
次の若手に入れ替えるというやり方だったそうですから、今見れば酷い話ではあります。
しかしそれが成功したのも事実ですし、現代の我々がどう言うものでもないでしょう。
アールさんがGM入りした時代から60年前後までのアメリカ車の形の移り変わりを見れば
その間常にデザイン部門の帝王として第一線にあった彼の凄さっつうのは呆れる程のもので
勢い余って最後には実用も大衆の嗜好も飛び越して、先日の“Fire-bird”とか
59年のキャディラック“Cyclone”といったドリームカー
URLリンク(cache.jalopnik.com)
URLリンク(www.autocult.com.au)
に至ってしまい、自ら饗宴に幕を引いてしまったのも無理もないでしょう。
行き過ぎた繁栄は後に反動を起こし、空虚な思いを残すってのはいつの時代も同じで
アール時代の後にアメリカ車が迷走に入ったのも当然の成り行きと言ってしまえば簡単でしょうが。
その規模を小さくしたような事は、バブル期の日本でも有った訳ですし
誰も当時のアメリカ人達を安易に批判は出来ないものだと思います。
また、現代の路上を行くマッチ箱のような車達を見る時、それらは確かに実用的ではあっても
「かつての車好きな人達が夢に見た未来が、結局はこんな風であっても良いモノか?」
という思いも、僅かながらですが感じることがあります。
252:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/28 00:28:45 Cnh9A+0h0
このスレッドでは、これまでに自動車史上の様々な人をネタに取り上げましたが、
結構人の好き嫌いの激しい私の性格もあり、好意的に取り上げた人もあれば、そうではない人もあり。
まぁ、あまり好きではない人について書くのも面白い物でもないので、
多くはそれぞれに興味深いところを選んで取り上げている訳ですが。
ハーリー・アールさんって方は、単純に言ってしまえば仕事上の付き合いは絶対に持ちたくない種類の人です。
しかし、敵対するとかなり恐ろしい種類の人であることも間違いなく、こういう人は扱いに困ります。
仮にアールさんがいなくとも、アメリカ車は巨大化し装飾的になったでしょう。
元々過酷なデザインチェンジ競争を仕掛けたのは30年代・エドセルさん時代のフォードであって
GMは当初は毎年のように見た目を変化させることには乗り気ではなかったという話もあります。
30~40年代のビッグ3の力関係は現代よりも拮抗していたようで。
35年には一時的にフォードがGMを抜き全米一位(という事は勿論世界一)になったこともあれば
それから10年と経たぬ内にクライスラーにも抜かれて三位に転落した時期も有ったという具合。
そうした中で、競争相手が毎年外見を変化させるという手に出るのであれば受けて立たざるを得ず
行く先がどうなろうと、行くところまで行くしかなかったのでしょう。
もしもアールさんがいなくとも、過酷な競争は起きたと思うのはそういう意味ですが
アールさんがいなかったら、GMが首位を守り通せたか?ってのは多少疑問でもあります。
確かに>>248さんが書いた通りに、単なるデザイン史の中だけでは語れない人ってことなんでしょう。
253:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/04/30 00:17:33 /hUQGacD0
特にこれといって思いつくネタも無いので、もうちょっと50年代のアメリカ車絡みの話。
先日250でシヴォレー・コルヴェットは
ハーリー・アールさんとその息子さんとの会話から生まれたみたいな事をちょっと書きましたけど
コルヴェットの歴史を少し詳しく取り上げた雑誌記事を改めて読んでみると
1951年のこと、53年型ドリームカーのデザインに着手したアールさんが、
当時大学生だった息子さんとの雑談から「若者はカッコイイ、スポーツカーを求めている」と判断し、
具体的なデザインは大学を出てアールさんの部下になったばかりの若手デザイナー
ロバート・マクリーンさんという方に任せる形で開発が始められたそうです。
で、よくこの車は「欧州製輸入スポーツカーへの対抗馬として開発された」と言われますが
それは車の形となった以降の事で、当初はそうした意図よりも純粋に「若い人が欲しがるカッコイイ車」として
デザイン面から始められたのでしょう。
欧州製スポーツカーを意識していたのは、むしろコルヴェットに一年遅れて誕生した
初代フォード・サンダーバードだったのではないでしょうか?
こちらも計画が始められたのは51年の事、当時フォード・ディヴィジョンのトップだったルイ・クルーゾーさんと
後に副社長兼チーフ・デザイナーとなったジョージ・ウォーカーさんという方が
パリで目にした欧州製スポーツカーに感化されてのことだったとか。
そう思うのには、コルヴェットは常に量産向きとは言い難い樹脂製ボディーを用いているのに対して
T-birdはスチール・ボディーを用いて生産性を考慮している事も有ります。
輸入車との市場争いを考慮するのであれば、量産に限度がある樹脂ボディーを用いるというのは考え難いと。
ちなみに最初のコルヴェット53年型URLリンク(www.vette1.net)
主要な部品は量産セダンからの流用でエンジンも古い“鋳鉄の奇跡”直6をチューンして使用
トランスミッション二速ATのみ。当時のお値段は3500ドル強。
基本的に同じエンジンを搭載し、五人乗れたベルエア・コンバーチブルが2200ドル弱だったそうですから
やはり値段の方は割高に感じられたかも。
この年式の生産数は300台に留まっているそうです。
254:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/30 01:14:06 lhAD8rH90
うーん、流れから云えば
帰国兵を端緒とした、戦後アメリカへの欧州スポーツカーの流入
↓
カーティスやグラスパーなどに代表される、アメリカ車のシャシーにかぶせる
ファイバーグラスボディのスポーツカーが雨後の筍状態
↓
GMが同じことをやってみた
↓
その苦戦に学んだフォードが、量販車のイメージリーダー的スタイル+スチールボディで参戦した
こんな感じじゃないでしょうか?
自伝を書くのが好きな国の『エピソード』という奴は、時折ひどく胡散臭く感じられるものです。
255:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/04/30 09:02:00 InQNGHECO
まずデザインありきだったのか、ただ単に間に合わなかったのか、
初期のコーベットは、雰囲気を楽しむ車だったんでしょうね。
でも、さすがのアメリカでも、2座席の高価なムードカーじゃ売れなかったと。
それで、ゾーラ・ダントフという人が中心になって、
レース活動やV8搭載などの喝を入れて、ようやく台数も増えて・・・という感じでしょうか。
サンダーバードも2座席の頃は大分苦戦してたようですが、
こちらはラグジュアリー路線に変わって、それなりに成功したんですね。
それにしても、アメリカ車のスポーツイメージって、
軽量コンパクトな方向なはなかなかいかなくて、
とりあえずV8積んじゃえ、ってなっちゃうんですよね~ w
256:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/01 00:22:20 o8kxjGYc0
>>254
そう言われてみれば・・なのですが、カイザー・ダリン
URLリンク(www.canadiandriver.com)
程度の規模ならともかく、GMくらいの規模となれば樹脂ボディーを最初に研究していたならば
「やっぱり割に合わないからやめようよ」ってなりそうな気もしますし、事実はどうだったんでしょうね?
>>255
そう言えば、GMのコルヴェット、フォードのサンダーバードの成功に刺激されてクライスラーが
「手持ちの駒を用いてスポーティーモデルを作れない物か?」と考え、生まれたのが
300“レターカー”シリーズだったなんて話を読んだ記憶が有ります。
車の出来は別として、こうなると欧州製スポーツカーの影響も“若者向きのパーソナルカー”も
有った物では有りませんけど
アメリカ人の“パワフル=スポーティー”みたいな考え方の一端を見るようで
これはこれで興味深いところが有ります。
昨日も書きましたが、最初期のコルヴェットの写真を見ていると、GMはこの車で当時の欧州製スポーツカー
例えばジャガーXK120
URLリンク(www.worldofstock.com)
この辺と本気で張り合うつもりが有ったのか?疑問に感じます。
むしろ最初に狙ったところは、スポーツカーと言うよりもフォードがサンダーバードに用いた“パーソナルカー”で
後にナッシュがメトロポリタンで狙った市場かそれより少し上を考えていたようにも思えます。
一応“スポーツカー”と呼ばれる事を狙うのであればトランスミッションが二速ATのみってのは考え難いですし。
最初の“T-Bird”URLリンク(www.vanitydisplays.com)
やはり純粋な2シーターでは市場に限りが有ったとかで
こちらはたった二年で2シーターという初心(w)を捨てて二代目にモデルチェンジしてしまいましたけど
それでも同じ年のコルヴェットの倍以上の台数が売れたそうですから、ある程度の成功ではあったのでしょう。
ちなみにお値段は55年型ベースグレード(4.8リッターV8 193hp)で3000ドル弱と
同じ年の(量産で値下げされた)コルヴェットよりも一割程高価だったそうです。
257:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/01 01:55:41 h8KWPMxM0
豚風邪にやられたか、なんとつうかつひにクライズラー破産決定。
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
なんと言ふことか・・・、まぁクライズラーだからと言へたのはもはや昔。
オールズモービル既に無きGM、遂にポンティアックも廃止。
残るはシヴォレーとキャデのみ。世も末としか言ひやうがありません。
258:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/01 19:28:56 IoFYYBZ0O
ビュイックやGMCのリストラも時間の問題ですな。
259:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/01 19:49:30 U3dhgBn7O
>>257
無責任な外野としては、フィアットとの提携でマセラティと同グループになった事でもあり
クライスラーTC・バイ・マセラティの復活は無いものかと期待したりw
260:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/02 00:14:35 fOokYzmL0
フィアットとの提携つうのもピンと来ないのですが。・・大丈夫なんですかねぇ・・?
クライスラーは以前にも何度か危機に陥りましたが、フォード社を追われたアイアコッカさんを招聘して
立て直した時も作っている車自体は以前と大して変化無かったですし
フィアットと提携して品揃えが抜本的に変化するものでしょうか?
それと、これは推測ですが。
アメリカ人って今は買わなくても「アメリカ車は大きくあって欲しい」みたいな願望を何処かに持っていて
「いつか時が来たらそっちに乗り換えたい」みたいに思っているような気もします。
だから自国製小型車ってのには目を向けないんじゃないかと。
それに、資本面で一息つけたところで新聞紙上で言われるような
「小型車に強みを持つフィアットの技術導入で競争力強化を狙う」みたいな事が出来るでしょうか?
今やディーゼルに軸足を移しつつある欧州メーカーとの提携で
ディーゼル嫌い・ガソリン車にこだわるアメリカ人向けの低燃費車に必要な技術が得られるものかと
ちょっと不安に感じるところも有り。
261:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/02 00:17:55 YaiVVHX9O
マセラティブランドの付いたフェラーリのエンジンを載せた、
ダッジ・バイパーSRT12(←無い無い
262:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/03 06:47:29 WuCVFkS0O
ヴァイパー・バイ・フェラーリ、悪くないじゃん。
かつて、カロッツェリア・ギア絡みのコンセプトカーや少量生産車がいろいろあった。
今回だってアルファやランチアのデザイン部門が関与するフルサイズカーなんてのも悪くはないな。
かつてのTCやアランテみたいな、米伊連携の徒花が再来して欲しいね。
263:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/03 23:02:24 hisdv1ckO
いっそ逆パターンでHEMI-V8積んだパンダとかw
264:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/04 00:18:10 +hDevPQ70
みんなお気楽過ぎ(w
そうした“いいとこどり”な車って、いろいろと思いつくもので、
今の300Cなども“HEMI積んだE-クラス”で成功したのでしょうが、フィアットとの提携で何が生まれるものか?
量産モデルに何としてもヒット作が欲しい筈の今、あんまりおかしなモノは期待出来ないかも。
・・とは言え。
かつて“日本車キラー”の役割を担って華々しく登場して期待に応えられなかったネオンのように
実質的ではあっても別に面白くも無さそうな車では大して売れないとも思います。
やはり車には何処かに華が必要でしょう。“走らせる事自体に刺激が有りそう”と思わせるような雰囲気とか。
で、先日の話の続き(・・に無理矢理持ち込む w)
50年代にフォードが使い始めた“パーソナルカー”という言葉は、勿論“ファミリーカー”の対語といった
意味が有ったのでしょう。
そこには“自分だけが自由に使える車”であるとか“うるさい家族達に口出しされずに自由に楽しめる車”
といったニュアンスが有ったと思われ、サンダーバードが大型化してファミリーカー的になった後には
マスタングがそのイメージを引き継いでいったと考えられます。
そしてマスタングに刺激されて多くのクーペスタイルの車たちが若者向けに売り出され
一家に一台以上の所有を促す原動力となったと。
ですからこうしたパーソナルカーって実用性は無くても良いっつうか、
むしろ実用的ではないのが良いみたいなところも有り。
例えばデートに出掛けるとき、家族に「ついでにそこまで乗せてって」と言われて面倒な思いをしないで済み
また、自分の留守中に親に「買い物に行くからお前の車を貸せ」とか言われる心配が無い車が望ましいと。
まぁ不景気になれば、真っ先に売れなくなる手の車ですが。
つまり暫く前に、こうした車の需要が無くなった時。
今の自動車産業の低迷の予兆は始まっていたと考えられるのではないでしょうか。
265:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/04 01:29:34 UT7g6XcL0
間違へて歳バレに書ひてしまひました。
スレリンク(car板:234-235番)
仕方無ひので転載。
ぅーみゅ、アテクシはクルマそのものがだうかうではなく
ディ・モンテゼーモロ氏が如何にクライズラー立て直すかだと思ってます。
その中にはまぁもちろん新型車とかだういふクルマを出してくるかもありませうが
はっきり言ってそれは後からつひてくる部分、経営建て直しつうのはさういふことでは無ひ、と。
FIATは故・アニェーリ御大の最晩年に物凄くダメになりました。
なった理由は度が杉た巨大化と多角化により組織そのものが肥大化し
肥大した内部がスカスカ状態になって散漫つうか、
まぁ言はば筋肉の塊の引き締まった巨体ではなく中年太りの贅肉と脂だらけになり
動脈硬化起こした状態になってゐたこと。これが結果FIAT車の競争力を無くしていきました。
アルファやランチャは飼い殺しとなり、股88年アルファ合意によりアバルトが封印された等々もそんな事情。
こんな大FIATグループのの散漫な運営経営が商品の魅力と競争力を失はせ
営業力をも奪っていった。そこにEU統合の自動車輸入緩和策があり、
最終的に”外車”ブームに押し倒された為です。
266:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/04 01:30:37 UT7g6XcL0
FIATはクルマ屋ではありません、つうかありませんでした。
イタリアのあらゆる産業のあらゆる業種に傘下の企業を持ち
発電所も製鉄所も印刷工場も不動産関連も全て自前で持ってゐる状態。
これは訳あってかうなったのですし戦後復興期や高度成長期には意味のあったことですが
それが今や足枷になり、その一方で既得権益と無意味な寡占の利益にしがみつく人達を生んできた。
それらの旧体制・しがらみはそれを作ったアニェーリでは切れなかったのです、おそらく。
ディ・モンテゼーモロがそれを破壊し刷新できるかだうか、それをアテクシ注視しておりました。
おそらく最晩年のアニェーリはそれをディ・モンテゼーモロに託したであらう、と。
そこでディ・モンテゼーモロが旧体制の利権にぶら下がる人々を打破できるのかだうか、と。
アテクシ、このディ・モンテゼーモロといふ男の力量を高く買っております。
しかしそれでも不安はありました、それほど旧FIATは大き杉ました。
アテクシいつも言っていたことして”FIATが潰れたらイタリアが潰れる”
これは冗談ではありません、それほどFIATは大き杉、その背負ってゐるものも過剰だったのです。
それを打破出来るか、さう思ってゐたのですがディ・モンテゼーモロは今のところ
それを進めて成果上げております。
このディ・モンテゼーモロの手法と力量が米国で通用するか、
クライズラーの贅肉をそぎ落とし筋肉質に変へられるか、
マッスルカーではなくマッスル企業に変へられるか
それをアテクシ注視、期待してゐるのです。
267:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/05 00:33:57 pTujI9kv0
>>265-266
確かに。
提携が具体的な車の形となって現れるにせよ、数年先の話であって。
とりあえず今の段階では、そこまで辿りつけるかどうかの方が余程問題な訳でしょう。
ですが経営の刷新とかは自動車やその周辺を穿り返す趣味とは別な筋のこと。
また、もしもクライスラー(フィアットも)の建て直しを成功させたにせよ、
作られる車に変化が無ければ、アイアコッカさんが以前立て直した時と同様に
一時的なもので終わる危険もあると思います。
似たような事はルノーと提携して業績回復に成功したニッサンにも言え、
宇宙開発だのナンだのといった様々な部門を手放す事で企業規模を分相応に縮小させて
一時はその回復の様子が話題になりましたが。
製品(自動車)そのものにはヒット作が現れないままで、現在また楽観出来ない状況になりつつあるようです。
当たり前な話ですが、自動車会社は良い自動車を作れなければ将来は無いものでしょう。
そして(他人事だから言えるのでしょうが)良い車を作って、それでも潰れるならそれも仕方ないこと。
現在作っている車の性格が全く異なるフィアットとクライスラーの場合
ニッサン&ルノー以上に困難が予想されると思われ、先の事は読み辛いところであります。
268:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/05 04:55:23 dCZZUqY1O
下手に似てないほうが上手く行くかもしれませんよ。
夫婦みたいに w
269:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/05 13:58:55 LlZZue3UO
ここは、新たなイタロ・アメリカンがどんな妙味を醸すか、どんなデトロイト・ピザが出来るかある意味楽しみだ
270:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/06 00:33:58 edNv/oR80
最近のニュースを見ると、フィアットはクライスラーとの提携の次には
オペル等GMヨーロッパとの統合も視野に入れているようです
URLリンク(www3.nhk.or.jp)
フィアットも一時GMの資本傘下入りしたように、長期的には単独での生き残りは困難と考えているのでしょうが
オペルやヴォクスホールとの提携が進むとすれば、業界再編の第二波の引き金になるかも知れず、
数年の内にまた自動車業界は大きく動き幾つかの巨大グループに分かれることになるのかも。
今回はフィアット・オペル・クライスラーと量的には日本市場では存在感薄いメーカー同士の話ですが
次に話題に上るのは三菱・マツダ・スズキといった日本車メーカーなのかも知れません。
こうした一連の合併や提携の動きってのは、結局のところ自動車メーカーの数が減る事に変わりない訳で
自動車趣味の観点から見れば、選択の幅が狭まる危険性の方が高いのでしょうか。
まぁ、冷静に考えれば車買うときに10も20も候補が有る状態ってのはそう無いもので
三つのメーカーの、ほぼ寡占状態だったかつてのアメリカでもユーザー達が
選択肢が少ないという不満を常に感じていたってことも、あまり無かったでしょう。
それに新車でなければ嫌だと言わなければ、幾らでも選択肢は有るとも言えますし(結局はお気楽な私 w)
271:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/06 12:27:24 B6t7bwd+O
オペルって、かぴてーん以来じーえむ傘下だろ。フィアットと組んでもどんなの売りだすのかぴんとこないな。
大資本下でセアトやシユコダみたいになるんだろうか。
272:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/06 19:56:09 knxzJiZY0
あのライト埋め込みスタイルの初代カピテーンデビューの10年近く前からGM傘下だ
ちなみにカピテーン用6気筒の設計は見るからに同時代のシボレー6気筒の縮小だった
273:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/06 22:22:56 wYUliykC0
かつてクライズラーがダイムラー・ベンシとくっ付ひたとき、アテクシこれはダメだと思ひました。
役所DBと良く言へば自由闊達、正直に言へば何から何までちゃらんぽらんなクライズラー。
おそらく同ぢ単語の意味さへ違って意思の疎通すら困難でであらう、と。w
ひとつにはベンシってなどこまで行っても自分のやり方しか理解出来なひ企業なのです。
かつてスウォッチとMCCやったときもさう。おそらくベンシは合弁と占領・征服の区別がつかなひのだと。
結局ベンシは独力自力でひたすら独立系として生きていくしかなひと思ひます。
他社を吸収合併で征服して植民地にしちゃう分にはいけるでせうが対等合併は無理。
FIATとクライズラー、ぃあディ・モンテゼーモロとクライズラーはおそらくさういふ関係にはなりません。
もっと言ふとディ・モンテゼーモロは先のダイムラー・クライズラー破綻を良く研究すると思ひます。
ましてFIATとクライズラーは商品がほとんど被りません。相互補完可能。
股、オッペルに関してもぶつかるやうでゐて意外とぶつからなひ。
同ぢFIAT一派で166とテジスが、156や159とリブラが競合したか?といふところです。
水戸とグラン・プントを天秤に掛けますか?といふこと。
チョソヨタ・マークⅡ3兄弟とは訳が違ふのです。
274:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/06 23:34:05 knxzJiZY0
>チョソヨタ・マークⅡ3兄弟とは訳が違ふのです。
あれは、エロスパセンセお得意の嘲弄など蛙の面にしょんべん、
ってぐらいに図々しく計算された意図的競合施策だから例には合わないでしょう
(ヨタは大衆心理をえげつなく見切ってますから)
むしろ往年のブリティッシュレイランドとか、日産/プリンスの合併による迷走の方がグループ内競合の弊害を示していると思う。
275:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/07 00:34:20 yS+/t+WR0
>>274
確かに。確かにさうですな。仰る通り。
276:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/07 20:18:07 mCyOC+T10
NISSAN&ALFA ROMEOという
今思い返しても?な提携もありましたな
某イヴェントでみたARNAは
「これじゃあ、売れんじゃろ…」
なエクステリアでした
足回りとかは無駄に凝ってましたが
277:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/07 23:56:59 Ltl284kO0
ARNAってのも、もう四半世紀前の車になるんですね。
当時も酷く格好の悪い車思いましたし、今もそれは変りないのですが。
もしもアレにアルファの盾型グリルが付いていなかったなら、
無個性とは思ってもそんなに格好が悪いとまでは感じなかったかも知れません。
下手にアルファの車だと思ってみてしまうから期待が裏切られたと感じてしまうのか?
それとも無個性なアルファってのが、許せないのでしょうか。
>>273
そう思えば、一時噂になったようにGMに吸収されるよりはフィアットに救済された方が
クライスラーのファンにとっては良かったのでしょうか。
もっとも車種が被らないって事は収益率強化の為には必ずしも良いとは言えないのも辛いかも知れませんが。
で、オペルとフィアットはねぇ・・。車に左程の興味が無い人にとっては、結構被るところがあるかも知れず。
提携が実現したなら恐らくオペルの車種はこの先かなり整理され、フィアット設計に取って代わられるでしょう。
まぁ、そうは言っても(こう言うと悪いかも知れませんが)
オペルの車でそんなに興味深いものって、これまでにもあまり無かったように思います。
このスレッドで、これまでに取り上げたネタの中でもオペルと言うとロケット推進レコードカーとか
30年代の小型車をデュポネ式懸架の絡みで触れた程度。
量産車としては早いモノコック採用のオリンピア(35年)とかも有りましたが。
欧州フォードには結構、いろんな意味で興味深い車が多いのですが。
オペルは優等生的で無難に過ぎるのでしょうか。
ミニ・コルヴェットのようなオペルGTとか小型ポニーカー(変な言い方ですが、そうとしか言い様が無い)
ラリー・カデットとかも有りましたけれど、
それらに興味抱くなら、本家シヴォレーのコルヴェットとかカマロの方に目が行く方が自然ですし。
とにかく話のネタには成り難いメーカーではあります。
278:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/08 14:11:15 uU9KrecUO
オペルにも暴れん坊サルーンの系譜があるやんか。
ポンティアックやホールデンにも兄弟車があったはず。
279:さいた('A`)マンドクセ ◆3Vi8OE4pEg
09/05/08 16:04:15 EPqMeB7cO
ども、ご無沙汰です
前にお話したターバイン、早めに上げますので平にご容赦を^^;
>>278
ベースコンポーネント共用って意味ではオペル・オメガとホールデン・コモドアが一例ですね。
オペルにもコーヴェットエンジン搭載のモデルが一時期あったみたいですが(試作機だったのかな?)、その後に出てないところだと、需要としてキツかったのかと。
ただ、オペルの立ち位置ってトヨタ的なんですよね、中庸と言うか…………(´・ω・`)
280:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/08 18:49:23 uU9KrecUO
キャデラックのcts-vが、コルベットV8にスーパーチャージャー付き。
これがオペルオメガの遠戚かと思うんやけど。
V8オペルの流れはディプロマツトあたりからか?
281:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/08 20:53:10 LUMmbzu20
>>280
あれも変なクルマでしたね。ドイツ車らしからぬ、と言うか。
伝統の上級モデル・カピテーンのモデルチェンジで、安上がりに大型ボディにするために
GMからインターミディエートクラスのボディを調達して、在来型カピテーン6気筒エンジンを強化して搭載、
そしてこのクラスならV8も載るから、とメルセデスやBMWに対抗心を燃やしたか、
ディプロマートにV8乗せて縦ライトでグリルも飾り立てて……
そんなことしても、プルマンボディの600グローサーリムジンには格や性能で到底勝てないのに……
オペルがプレステージ性のある車を作れた、また実際作ってたのは、GM傘下になる以前の1920年代までの話でしょうね。
282:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/09 00:00:00 4mLtfJ7b0
>>279
まぁ話は常に行きつ戻りつの雑談スレですので、何時でも構いません。気長にお待ちしてます。
オペルって結局はドイツ車というよりGM車なんですよね。
車そのものは悪く無いのでしょうし、欧州市場ではそれなりの需要が有るのでしょうが
日本ではウケなかったのも、その辺に理由が有ると思います。
例えばそのディプロマート(64年登場)にしても、本家GMのインターミディエートのボディーに
シェヴェル用V8積んだもの。
これはこれで間違いのない品物なのは確実でしょうから、欧州ではそれなりの顧客も付くかも知れませんが
日本市場ではドイツ車が欲しいって人の興味は惹かないでしょうし、アメリカ車好きの食指も動かないでしょう。
もうちょっと新しいところでは90年頃、オメガにロータスの開発したターボエンジン積んだモデルも有りましたが
これもGM傘下企業つながりって意味では自然ではあっても、ドイツ車好きな人なら
「何でロータス?」ってなってしまうのではないでしょうか。
これが同時に売られたヴォクスホール版のカールトンならば英国車好きに受けたのかも知れませんけど
やはり英国的な雰囲気が有るという訳でもなく
またこの時期にはいすゞのオフロード車ビッグホーンの“ハンドリング・バイ・ロータス”なんて
意味不明なものも有って、ロータスってブランド自体の有り難味が無くなっていただけにどうだったでしょうか?
で、オペルの歴史を改めて辿ってみると・・。
最初はダラックのライセンス生産で基礎を固め、20年代までは6気筒車や直8搭載の大型車も含め
独自設計の車を作っていたようですが左程の成功を収めたとは言えないようで
この時期の代表モデルというとシトローエン5CVの模倣とアンドレ・シトローエンに告訴された
“ラウフプロッシュ(雨蛙)”でしょう。
そして1929年にはGMの資本傘下入りして以後はGM設計モデルの生産に専念していると・・。
そう思うとオペル車に「ドイツ車らしいなぁ」って感覚が薄いのも無理はないのでしょう。
283:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/09 00:35:25 bfrQ0kkj0
それでも、戦前ドイツでは最大の自動車メーカーだったんですけどね。
初期にはレースやレコード作りにも熱心で、それなりに頑張ってるんですが、
同時代だとダイムラーとベンツの活躍が華々しくてどうもそっちでの存在が忘れられ気味です。
第一次大戦前から小型車の製造販売に着目してそっちでシェアを拡大していたところはフィアットと似てるんですが、
戦後にラウプロッシュを作り出したあたりから、自動車製造でのマスプロダクションの優位性という大局をかんがみ
不況の情勢で早々に米国資本のもとへ下った割り切りが、
ファシスト政権下で民族資本の国策企業として「陸海空」に展開したフィアットとは違うところですね。
昔のドイツ車としては珍しく、後輪にスイングアクスルを使わなかったのも堅実さの表れでしょうか。
(前後横置きリーフをやたらに押し通したドイツフォードはもはや論外としてw)
284:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/09 01:23:49 hUk2xG/40
これ使うようになってから、まだ駐禁、切られてないよ。
URLリンク(www.pirates-auction.jp)
285:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/09 06:39:58 0+pAgsoVO
で、クライスラーと欧州メーカーとの関係、と言うと、いきなり雲行き怪しくなり・・・
買収するのと、提携じゃ、まるで違いますが。
シムカが元々フィアット系だったのは、皮肉か意趣返しか
・・・というのは考え過ぎですよね w
286:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/10 00:27:55 BPASNNwP0
まぁ、今に残る大メーカーの多くは、大体がいろんな会社を吸収していますから(w
>>283
確かにスウィングアクスルには行かなかったようですが、その代わりにデュポネに行ってしまったっつう
過去も有る訳ですが(w
それはそうと。オペルは既に20年代後半にはドイツ第一の量産メーカーの地位にあったようですが
とは言え、当時のドイツの市場規模自体小さかったようです。
資料を探してみると、GM傘下入りする前年28年頃のオペルの生産量は年間に4万台強で
ドイツ生産車の4割弱を占めていたそうですが、同じ頃隣国フランスはというと
シトローエンだけで日産400台と言いますから年産では恐らく10万台は突破していたでしょう。
この頃のアメリカは正に別格つか桁違いで、フォードとシヴォレーの争いは年産100万台超の数で
推移していたとか。
それでも年産4万台って数が大した物だった事に変りはなく、
それを可能としたのはオペルがドイツメーカーの中ではいち早く量産の為に製品の規格化や
工場の近代化を達成した事によるのでしょうが、それもまたドイツ車的なる物を感じさせ難い理由なのかも。
そのオペルというメーカー、私は特にその創業期にはプジョーとの近似性を感じます。
元々自転車をはじめとする様々な鉄鋼製品を手掛ける同族経営の会社だったこととか。
しかしそれ以降はプジョーが(特に近年)様々な会社を相手に部分毎に提携関係を持ちつつも
資本的には飽くまで独立した企業であり続けようとしているのに対して
オペルは創業から30年と経たない内に市場で最大の競争相手となるであろうアメリカ資本に自ら接近
その傘下入りする事を選んだ(100%の子会社化は、創業者一族の本意だったのかは疑問ですが)ように
対照的な道筋を辿っているようでもあります。
287:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/10 09:55:52 gQfYcSo4O
ナチス政権には強制的に国有化されたんだっけ。いまの反米政権がしばしば行うように。
288:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/10 23:58:03 BPASNNwP0
>>287
二玄社の「世界の自動車・オペル/ドイツフォード」を見る限りでは、1940年(ナチスのポーランド侵攻一年後)に
GM自らが権利放棄したとされています。
当然その背景には、アメリカ資本のオペルに対してナチス政権が鉄鋼を割り当てなかったとか
軍用車両の生産を命じたとかの圧力は有ったそうですが。
戦前のGMの欧州進出はオペルやヴォクスホールのように、当地のメーカーを買収する形で行われ、
この点はデトロイトの本社自らが現地法人を設立する形で欧州進出したフォードとは異なります。
ドイツと前後して進出した日本市場はその例外だったのでしょうか。
その当時買収に値するだけの量産設備を持つメーカーは無かったでしょうから
日本進出に際しては大規模な買収劇が有ったというような話は聞いた事は有りません。
で。戦前の日本ではフォードもGMも、主な需要がタクシー等だったということも有って
アメリカ仕様車を小改変して生産していたようで、サイズ的にはより合理的に思える欧州専用車は
少数の完成車輸入にとどまっているようです。
ですから日本で撮影された英フォードやヴォクスホールの写真ってのは意外に少なく
オペルに至ってはドイツ車自体が少数派だった事も有り、あまり見られません。
そんな事を思いながらあれこれと捜してみたら一枚だけ
URLリンク(lint.s1.x-beat.com)
30年代前半のデュポネ式前輪独立懸架を備えた小型6気筒車“2リッター”のようですが
大使館のプレートを下げているように、この車も日本GMが輸入した物かは不明なところもあります。
まぁ、正直に言うと。二枚扉の幌型と洒落た形の筈なんですが、あまりそうは見えないっつうか
魅力的には感じない形ではあります。
値段も割高だったでしょうしデュポネ式も不評だったことから、この車を買った人が
その当時の日本には幾らもいなかったとしても、それも仕方ないようにも思います。
289:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/12 06:00:07 3+vd31RyO
オペル関連では、
ビッターというスペシャリストがいましたね。
オペルベースに独自のクーぺボディを売りにしていました。
ミドエンジンのフェラーリみたいな造形でした。
290:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/13 00:04:51 0hGumqjP0
>>289
これですか。
URLリンク(gazoo.com)
確かにミドエンジン・フェラーリのフロントエンドをディトナに繋げた形のように見えます。
ディプロマートのコンポーネンツを、ほぼそのまま使っているようですから
結果的には先日話に出た“アメリカのV8積んだ欧州製GT”の流れにもなりますね。
この手の車としては安価を狙ったそうですが、オペルの最高級車ベースですから絶対的には高価だったでしょう。
ビッターって会社のことは良く知りませんが、後にもオペルをベースとしたSCってモデルも出しているそうで
URLリンク(www.fiatlancia.com)
こちらは日本のセリカXXをノッチバック化したような形ですが、これの4ドアセダンなども有ったようです。
会社自体は現存し、シヴォレー6リッターエンジン付きのサルーン等の計画もあるとか。
URLリンク(www.supercars.net)
前スレで話題になったブラバムの名前を冠したサルーンカーとかに近い線を狙っているのでしょうが
そうした市場が有るのでしょうかね・・?
一般にはオペルのスポーティーイメージっつうとDTM(ドイツのツーリングカーレース)で
メルセデスやアルファ155と競ったカリブラ辺りでしょうか。
かつてのオペルはアメリカGM系だけあり、比較的安価なパーソナルカーに熱心だった印象があります。
その方の代表はオペルGTでしょうが、その後にもラリー・カデットとかも有りましたし。
スポーツカーや高級GTの本場である筈の欧州ですが、こうしたアメリカ的成り立ちのパーソナルカーというと
意外に少ないように思われます(定義自体曖昧ですので、私の個人的感想ですが)
アチラでは、クーペっつうのは高級な、大人の乗り物イメージなんでしょうかね?
291:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/13 03:31:35 REym5zFBO
お!
以前ブラバムレーシングのコンプリートカーの話題を持ち込んだのは実は私です。
今回ビッターを取り上げたことで、以前と同一者だと識別されてしまわれたんですか。
逝ってるさんは、名無しの書き込みさえもその傾向から個人識別出来る凄い感のお持ち主なのはかも。
願わくば、他板での私の悪行が判別されませんようにw
確かにビッターは昨今の新生ブラバムと同様、チューナーに少しばかり毛が生えたようなメーカーかもしれません。
初期のポルシェ356もVWの甲虫に毛が生えたようなものなので、似たりよったりですが。
292:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/13 23:49:29 0hGumqjP0
>>291
そんな訳は無いです(w
えと・・。毛が生えた生えないっつうと、エロスパ氏あたりがまた私をからかうネタにしそうですので
あんまりその表現は・・(w
てな事はともかく。私はあまりチューニングカーや、そのメーカーについては知らないのですが
ドイツでは今やダイムラーグループ内入りしたAMGとかBMW公認のアルピナをはじめ
ロリンザー、ブラバス、ルーフ辺りは日本に輸入代理店も有り活発に活動しているようで
そういう車の市場っつうのは結構存在しているようですね。
他にも、かつては日本でも知られたイルムシャーとかハルトゲなども現存しているのでしょうか?
もっとも日本でもそうで有るように、こうしたチューナー/メーカーの類は大小様々な規模の会社が
世界中に数多く有るのでしょうが。
現存するこうした会社の多くは“普通のメルセデスやBMWに飽き足りない”富裕層を標的としているようで
戦後間も無い頃~60年代のイタリアやフランスに存在したアバルト、ルネ・ボネ、アルピーヌ
更にはスタンガ、スタンゲリーニ、ナルディ、モレッティといった
フィアットやルノー等のエンジンを用いた小規模メーカーとは性格が異なるように思います。
で、ポルシェですが。
言われてみればこの会社もその創業時には上記したような小規模メーカーだった訳でしょうし
ポルシェ博士自身が設計したVWのエンジンをベースとしているところは他と異なると言っても
自動車メーカーとしてのポルシェ社が立ち上がった頃に、一般にVWがポルシェ設計だったことが
どれ程知られていたのかは不明なところでもあります。
今や特に車好きでもない人でも知らぬ人はいない。
また大企業VWの筆頭株主で経営統合を目指す勢いのポルシェ社も、
その創業時には一般への認識ってのはスタンガやナルディと似たようなものだったのかも知れませんが
今有るチューナー/メーカーとは少々違っていたように私には思えます。
293:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/16 00:11:44 4Gavgbe00
先日>>292を書き終えた後でちょっと思った事。
自動車メーカーとしてのポルシェの黎明期については、私よりも詳しい方は多くおられるでしょうが。
第二次大戦終結後、フェルディナンド・ポルシェ博士はフランスに幽閉中の頃
その息子さんのフェリー・ポルシェさんとフェルディナンド博士の片腕カール・ラーべさんが中心となり、
疎開先だったオーストリア・グミュントという所でVWのコンポーネンツを用いた小型スポーツカーを製作
これがポルシェ356/1と呼ばれる、ポルシェの名前を冠した最初の車とされています。
この356/1ですが、これも今は良く知られるように、後の生産型356とはかなり異なったもので
鋼管スペースフレームシャシーにVWの水平対向四気筒エンジンをミドシップ配置し
アルミボディーを被せたもの
URLリンク(www.rollingtv.com)
URLリンク(static.howstuffworks.com)
生産型は勿論プラットフォームシャシーにリアエンジン、スチールボディー
この車はすぐに愛好家の手に渡り、後に買い戻されて博物館入りしたそうですが
その直後に生産型に近い(ただし未だアルミボディー)の二号車が作られているとか。
この一号車356/1がミドシップを採用した経緯はいろいろと推測されていますが、
リアエンジンの二号車と共に純スポーツカーと2+2のリアエンジンGTとの両方の可能性を探ったといった
ところでしょうか。
で。そこで少し不思議に思うのは、以前このスレッドで触れた事も有りますが
最初の量産・市販ミドシップエンジン車は一般には1962年フランス製のルネ・ボネ・ジェットとされていて
この356/1が生まれた頃にはF1をはじめレーシングカーの世界でもミドシップは例が無く
その優位性は確立されていなかった事。
未だフランスに幽閉中だったフェルディナンド博士は戦前アウトユニオンGPカーに
ミドシップ配置を採用していますが、操縦性は未だ未熟な物で素人の手には負えなかったと言われます。
それでも子息フェリーさんもまた、父フェルディナンド博士と同様にミドシップの優位を
この頃既に確信していたという事なのでしょうか。
294:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/16 04:56:29 9PX5+8aq0
欧州の場合、チューナーつうかディーラーが元々だったりすることしばしばでせう。
スタンゲリーニなんかはFIATのディーラーですし。
日本はクルマの改造にうるさひと思はれがちですが、ぢつは欧州もっとうるさひ。
タイヤサイズの変更すら通らなひ(法規制の場合もあれば保険担保してくれなひ場合もあり)とか
個人でゐぢることに結構な規制があったりします。
そらさうなんで街中でも80km/hとか市区町村同士を繋ぐ一般道でも平気で100km/hとかで流れてる状況は
クルマの流れ平均速度が非常に遅ひ日米とは違ひ、何かあればコトになります。
で、個人でゐぢり難ひ代わりにディーラーで改造したクルマが
ディーラーオリヂナルの商品として販売されたりする訳です。
これらのうち有力なディーラーとかでメーカー公認とかメーカーのバックアップ貰へるものが出てくる、
さういふのが発展していはゆるチューナー的になってゐるものがあるのです。
一方ミッドマウントですが、戦後と言ってもこれは完全に戦前型キャリーオーヴァーなのですが
GPカーのアルフェッタなど完全なフロントミッドマウントです。
前後車軸とエソジソの位置関係で見た場合、アウトウニオンGPとアルフェッタ、
どれほど違ひがあるかと思ふのです。アウトウニオンGPの操縦性問題の根幹は
未熟な足・シャシに対して度の杉たバケモノエソジソ載っけたことにあるのではと思ふのです。
295:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/16 07:58:57 Zk8VibkI0
フロントがポルシェ式ダブルトレーリングアーム、リアがスイングアクスル、
でもフロントエンジンだとスイングアクスルのジンクスはセッティング次第でかなり抑えられるでしょうし、
スイングやめてドディオンとかに逃げる手もあるでしょうが
ミドやリアエンジンだと、トランスアクスル→当然、当時ではスイングアクスルを組み合わせるほかない
これは厳しい
296:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/16 19:00:15 4hmoZvK9O
素人の推測ですが、途方もないパワーを地面に伝える為に、
駆動輪にどっかり重量を掛けたかったんじゃないでしょうか?
操縦性の問題はドライバーに任せて w
297:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/16 23:30:00 9PX5+8aq0
>>296
それをやるなら最も有利なのはRRで、
RRならレーサーではありませんが既に実績あったでせう。
298:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/16 23:59:58 4Gavgbe00
うみゅ・・難しい話になりつつあるかも・・。
>>295
初期の前輪駆動車(コードL29やアルヴィスGPカー)等にもドディオンの例が有りますから
ミドやリアエンジンでもドディオンは可能だったと思うのですが(自信無し)
それはともかく“当時のスイングアクスルを用いた後輪懸架ではミドエンジンのメリットを生かしきれなかった”
っつう意味でしょうか。それは確かに有りそうな気がします。
(リア)ミドシップ・エンジン配置を発達させた国と言うと、一般にはエキゾティックカーの国イタリアや
クーパーF1をはじめとするレースカーを生み出したイギリスが思い浮かぶような気がしますが
戦前からこの分野に最も熱心だったのはドイツだったようで
1921年には有名なルンプラーのトロプフェン・ワーゲンが生まれています
URLリンク(cache.jalopnik.com)
レーシングカーとしてもアウトユニオン以前にベンツがこの配置を1924年に試みているとか
URLリンク(car-blueprints.narod.ru)
もっともこれらは運動性を重視した、後のミドシップカーとは異なり雨滴型空力ボディーの実現の為に
嵩張るエンジンを車体中央に配置したもののように思えますが。
また、以前もこうした話題で触れましたが、34年にはメルセデスからリアエンジン車130Hの発展型として
150Hという市販車が生まれています。
URLリンク(homepage3.nifty.com)
恐らくこの車が運動性の為(トリッキーな操縦性だったと言われる130Hの弱点を補う為)に
リア・ミドシップを採用した最初の例ではないでしょうか。
これの素になった130Hはポルシェ博士が中心となり生まれたとされていますが、
博士は29年にダイムラー・ベンツを辞していたそうですから、
このミドシップ150Hは恐らく博士が去った後の設計だったと思われます。
・・と、こう見て行くと、案外最初のポルシェ車356/1がミドエンジンで設計されたのは
自然な流れだったのかも知れません。
299:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/17 00:35:04 7H5Pp9it0
>>297
先生!RRにするにはエンジンがデカすぎます!
300:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/17 00:38:59 8X3TIuNG0
>>299
ロツアにはそれに類するヌトラダーレがありまっせ。w
301:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/18 00:12:55 l6zJ/Tg80
>>299-300
あれ?それはアウトユニオンGPカー(Pヴァーゲン)の話だったのではないのですか?
だとすれば1930年代、タトラ辺りの空冷V8でも無茶と思えるのに、
あの車ならば水冷V12やV16しかも二段過給機付き。リアエンジンにしたら、どんな格好になっちゃうんでしょ(w
つか、下手すると静止状態でも前輪が浮き上がるのではないかと・・(w
まぁその点VWの空冷四気筒っつう軽量なエンジンをベースにしたポルシェ356ならば、
リアエンジンにしても左程の問題は出なかったのでしょうか。
最初のプロトタイプ356/1そのままのミドシップというのも魅力的に思えますが
この時リアエンジンの実用的なGTという形態を選択した事が、ポルシェ社の後の成功に大きく影響したと
思われます。
それとやはり、つくりそのものも良かったのでしょうね。
企業規模のせいもあるでしょうが356は量産車VWの部品を可能な限り用いた車としてはかなり高価だったようで、
1963年の日本での価格を例にとるとMG-Bが159万円、トライアンフTR-4が168万円で買えたのに対して
356クーペには250万円の値札が付いていたとか。
小さなリアシートが付いていて実用性で勝るとは言え、やはりこの値段を納得させるだけの物があったのでしょう。
(今、最も人気の高いスピードスターってモデルに至っては完全な2シーターで更に高価でしたし)
302:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/18 13:04:57 1ryWiSMtO
550ってミドシップでしたか。
303:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/18 15:33:17 /oSP90SwO
550スパイダーはミッドシップであります。
たまたま手元にミニチュアがありますが、356と同じ形の冷却ファン部が
座席後ろの隔壁直後に鎮座してまつ。まあ、チューンはいろいろあるのでしょうが・・・
サイドシルも高くて、やはりレース向け、って感じですね。
フロントは燃料タンクでいっぱい。
304:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/19 00:02:31 kif3FD3H0
そう言えばポルシェ550(50年代のレーシングカー)ってミドシップだったのですね。
URLリンク(gazoo.com)
URLリンク(kaiartintl.com)
私はなんとなく、ポルシェのレーシング・スポーツがミドシップを採用したのは
クーパーがF1に革命を起こした後の1.5リッターフォーミュラ時代に登場したF1のエンジンを用いた
タイプ718(RS61)辺りからかと考えていました。
ジェームス・ディーンさんがこの車で事故死された事もあり、大変有名な550ですが
その割にはミドシップカーの歴史を語る上では話題に上らない気がします。
やはり基本的にはレーシングカーなのと、30年代のメルセデス150Hと同様に
リアエンジンベースのミドシップという成り立ちだからでしょうか?
でも、それを言うならルネ・ボネ・ジェットもリアエンジン車ルノー・ドフィンのエンジンを用いているのですが。
それはともかく。そう見て行くと356/1以来ポルシェは常にミドシップの優位を信じていたって事なのでしょうね。
市販車(ロードカー)では69年誕生のVW-ポルシェ914迄待たなくてはなりませんでしたが。
それでもこの914、市販ミドシップ車としてはかなり早い例に属し、
それ以前に誕生したルネ・ボネ・ジェットやランボルギーニ・ミウラなどとは比較にならぬ数が生産されたことから
この車を「量産車としては初のミドシップカー」と考える方もおられるようです。
とは言え、914は商業的には失敗だったようです。
こうした車としては意外に荷物室も広く実用的だったそうですが、この手のミドシップスポーツには
そうしたGT的要素を望む人は少なかったでしょうし、VWエンジン搭載のベースグレードは非力
ポルシェエンジン搭載の上級グレードは高価だったようです。
それに何と言っても、スポーツカーにとっては格好が良くないのは致命的(でしょ?)
実用性も含めて、変に理詰めに作り過ぎたのかも。
305:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/19 00:55:14 00LDsfTq0
そのポルシェ、今日のニュースではVWに怒られてますな。w
先々のヴィジョンが見へなひ、こんなんじゃ不安でせうが無ひ、と。
そら大蛇が卵呑む吸収合併は良くあることですが、VW-ポルシェぢゃ
メメズが象呑むやうな話。www そら勢ひで出たポルシェも荷が重ひでせうな。
まぁだうするのかつうとこれも前に出た話題のFIAT-オペルも良く考へんといけません。
♪オペルオペルはもうおよし そんなにコルトぢゃ身が持~た~ぬ~ って。w
306:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/19 01:02:21 00LDsfTq0
あ、ネタが分からん若年層はこれ↓聞ひて勉強するやうに。
URLリンク(www.youtube.com)
自動車趣味人士としては最低1番は暗謡出来ねばなりません。
ここで訂正、
× そんなにコルトぢゃ身が持~た~ぬ~
○ あんまりコルトぢゃ身が持~た~ぬ~
307:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/19 01:17:55 00LDsfTq0
こっちのはうが勉強になるかな。
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
308:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/19 23:59:14 kif3FD3H0
>>305
まぁ、ポルシェ社っつうのも、あの規模では常に安定した経営は難しい。
でも他社へ入るのも嫌。ならば大メーカーと五分以上の条件で経営統合しておきたいってのも有るでしょうが。
昨今問題の二酸化炭素排出量絡み、あれは全モデルの平均値を問題とされるとかなので、
小型車を大量に生産しているVWと会社を統合しておけば大型モデルの開発がやり易い。
・・なんて魂胆も有るらしいですね。
最初はVWの1,1リッターエンジンをベースにした356シリーズで始まったポルシェのロードカー
356は結局60年代半ば迄お決まりの重量増加と排気量拡大を続けましたが、
それでも最終型356Cのクーペモデルで935kg強力版のSCモデルで1.6リッター95HPだったとか。
それに代わって生まれた911が(356を遥かに上回る長寿モデルだという事を考慮しても)
空冷時代のみを取り上げても、基本同一モデルとは思えない程の成長を遂げた事を思えば
その変化は小さな物。
今やポルシェの名前から、かつての小排気量・小型高性能車のメーカーというイメージは失われて
ハイエンド・スポーツカーの会社になりきったと思われます。
これがイメージアップなのかどうかは判らない所も有りますが、
大排気量モデル中心の品揃えとなったが為に、かつて親とも慕ったVWを
今や経営統合という形を採りつつ飲み込もうとするっつうのも複雑な話だと思います。
もっともポルシェ社、疎開先オーストリア・グミュントの地から故郷シュツットガルトに戻った時。
最初コーチビルダー・ロイター社の敷地の一部を借りる事から始めながら
事業が軌道に乗ったらロイター社を吸収してしまったという過去も有り。
軒を借りておいて、母屋を乗っ取る(古臭い言い方 w)のは大の得意技なのかも。
309:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/20 00:53:19 krKqUB0X0
軒を貸して母屋取られる例は他業種でも良くあることです。
ローレックスが完全防水ケースメーカのオイスター社をだうも吸収した臭ひとかね。
フィルデナント・ポルシェ博士が神なら神の末裔VWは現在のポルシェAGの親ですが
もっと本当の親子関係会社で子が親より遥かに大きくなって親が霞んでる例もありますし。
電電公社w、ぃあNTTとNTT・DoCoMoとか富士電機と富士通とか。
第二セイコーと諏訪セイコー、つまりSIIとエプソンもでせうかね。w
閑話休題、どころでポルシェっつなこれまで一度も自分とこの主力がヌポォシカァだと言ったことは無く
股さう思ってもいなひやうなのです。あれ自分らではGT屋だと思ってるらすぃ。
極めてヌポーティなGTを作ってるのだとおもってるやうな節がしばしば見られます。
実際911はヌポォシといふよりはGTでせう。もっとGTなのが928とかだったのですが
お客は誰も前にエソジソがあるとポルシェだと思っては、買ってはくれなひ。w
そこが本来GT屋ポルシェの忸怩たるところだったのだらうと思ひます。
310:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/20 03:21:39 S73Kj+6S0
ポルシェもフェラーリも、ほんまもんのスポーツカーはレーシングカーの中にある、
ってことでしょうか。
と、スーパーカー本書いてた某ヲタクな評論家に影響されまくりな
レスをしてみますが w
その本いわく、エンツォ存命時のフェラーリの市販車には
GTという名前が付いていたと。
311:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/20 23:46:23 PaOP2nqQ0
>>310
そう言われてみれば、166インテルとか400スーパーアメリカなど一部例外は有っても
基本的にはGTBとかGTSって名前が付けられているみたいですね。
純レーシング・スポーツとの差別化の意味合いも有ったのでしょうか。
>>309
私も何かでそんな話(ポルシェは自社のロードカーをスポーツカーと表現した事は無い)を
読んだ記憶が有ります。
先日も書いたように、最初の試作車356/1で純スポーツの可能性を探ったものの、
週末のみならず毎日乗れる実用GTの方が、より販路が広いと考えて以来の方針ではないかと思います。
ですからポルシェ社の製品は、それが如何に浮世離れした車のように見えても有効な荷室を備えていたり
小さいとは言えリアシートを持っていたりと、
イタリアン・スーパースポーツのような“エンジンを運ぶ車”みたいなのではなく
“使える高性能”車に仕立てられているように見えます。
と、まぁそれはそれで良いのでしょうが。
先日も触れた914の場合は、そういう配慮が裏目に出た例ではないでしょうか。
ホイールベース間という、普通なら人間の居住空間とすべき場所にエンジンを持ち込むのは
本来なら実用性を犠牲にしてでも操縦性を高める、スポーツカーにのみ許される配置であって
それを無理矢理GTと仕立てようとしても半端な車にしかならなかったのだと思うのです。
例えば安定方向に振った為にあの車には長めのホイールベースが与えられていますが
その事も全体を間延びして見せていると思います。
純レーシング・スポーツの906や910が格好良かっただけに尚更、914には期待外れな感を抱いた人は
当時少なくなかったでしょう。
ポルシェ社自身が“スポーツカー・メーカー”を名乗らなくとも、それを期待する人は少なくないと思います。
時にはそうした人の夢を叶えるモデルも出して欲しいものです。
312:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/21 01:18:37 Uepk/re40
今朝通勤途中で貝満ぃあケイマン(語源はAV嬢も2座クーペも同ぢワニ)が前横ちょろちょろしてて
それ見てて思ったのですが、あれは911に対してリアのシート取っ払ってまで
ヌポォシに徹したクルマ作らうとしたのでせうか? しかしあの荷室の潤沢さは
やはり2座のツアラーとして企画されたうちのヌパイダと同様だと思ふのです。
ボクスターもさうです。
あれでは911の廉価版がボクスターでありケイマンつうことになっちまふ。
ポルシェとしてはそれでEと思ってるのでせうか?
アテクシ思うにポルシェつうとこはGTとレーサー/セミレーサーの両極?しか無く
ヌポォシカァつうものがずっぽり欠落してるやうに思へるのです。
カレラGTあたりは(GTって付ひてますが)、あれがヌポォシといふべきなのか
やはりセミレーサー(その生ひ立ち成り立ちからもこちらかと)に入れるべきか、
つうところでせうか。
313:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/22 23:52:36 Hs0qhm5B0
>>312
ボクスターっつうのも、最初のプロトタイプが出た時にはそれこそ“550を髣髴とさせる”みたいに言われる程
引き締まった形だったのが、生産型は衝突安全性確保などの事情も有ったのでしょうが
ちょっと間延びしてしまって残念な気がしたものでした。
まぁ、アレはアレで良いのでしょうが、どうしても欲しいって程の気も起きないってのが正直なところ。
ポルシェの歴代ロードカーの中で、最もスポーツカー的な雰囲気を持っているのは
恐らく356シリーズの中期に存在した“356Aアメリカ・ロードスター”
または“356Aスピードスター”と呼ばれる車ではないでしょうか
URLリンク(forums.pelicanparts.com)
今でも人気は高く、インターメカニカ等のレプリカも多く存在しているようです。
つか、こうして写真を掲げてもレプリカの写真ではないか?って不安なんですが・・。
このスピードスター、356の中では高価なモデルなのに完全な二座だったにも拘らず
356中の3割近くを占める人気車種だったようです。
しかし4年間作られた356Aの、最初の3年のみでカタログ落ちして、ややウィンドシールドの高い
コンバーティブルDというモデルに代わられ、また356の後期型では作られなかったというのは
ちょっと不思議なところ。
やはりポルシェは純スポーツカー的なスピードスターを、自らのイメージに合わないとでも判断したのでしょうか?
この時期(356Aが作られた50年代後期)には、初めて“カレラ”と名乗るモデルも現れています。
これはDOHCヘッドを持つエンジン(普通の356はOHV)をはじめとする、一種のパッケージオプションの
ようなものだったようで、
他の356よりも10~20%程強力なエンジンやバケットシート、強化されたブレーキ等を備えたものだったとか。
このカレラ仕様のスピードスター辺りが、スポーツカーマニアには最も魅力的な356ではないでしょうか?
314:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/24 00:22:54 b5lZHhLP0
顧客はポルシェをスポーツカーのメイクと考え、しかしポルシェ自身は飽くまで実用GTのメイクであることに拘る
その事が上手く機能したのが911に於ける“カレラRS”や現在の“GT3 RS”のような硬派なバリエーション・
セミ・レーサーをイメージリーダーとして豪華装備の通常モデルを売るというやり方でしょうが
顧客とポルシェ社自身の思惑の違いが裏目に出たのが前述の914であり、
またエロスパ氏も書かれたように、フロントエンジン車の928や924~944、968でしょうか。
硬派のスポーツカーにこだわるのであれば、こうしたモデルは不要であったのかも知れませんが
高速移動を安楽にこなすGTを目指すには、リアエンジンの911からフロントエンジン車への移行は自然な事で
ポルシェ社が当時、どのような未来像を思い描いていたのかは理解出来るのですが
生憎顧客層の多くは、ポルシェというブランドに安楽な高速移動のツールを望んでいなかったのでしょう。
これらのフロントエンジン車は結局は商業的には成功作とは成り得ずに
一時期のポルシェ社の低迷の象徴のように言われる事も多いようです。
車そのものの出来は勿論悪い物では無かったのでしょうけれど。
ニッサンが所謂R32GT-Rを開発した時に、具体的なライバルとしてポルシェのフロントエンジン車944の
高性能版を挙げたというのは有名な話で、
当時多くの人は「何故911ではなく944?」のように感じたかも知れませんが、
より多くの台数を販売するスカイラインのバリエーションとしては扱い易い操縦性を持つ必要性が有る筈で、
その為にも限界付近で許容性の高いフロントエンジンの944が
エンジン搭載位置という共通項以上にニッサンの開発陣には参考になったのかも知れません。
たまに路上でこれらのフロントエンジン・ポルシェを見掛ける事もありますが、
良い車だと思いますし、実際そうなのでしょう。ただポルシェを見ているという感覚は薄い。
これらの車を気に入り所有している方には、そういう他人の目だけが癪の種かも?
315:名無しさん@そうだドライブへ行こう
09/05/24 02:39:02 dvwnCbycO
つ、パナメラ
316:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/24 23:00:02 pTx6Y21c0
さう、パナメラこそポルシェが積年やりたかったクルマでせうな。
つまり根本はGT屋。
924はさすがにいささかアレな物件でしたが944からはどんどん別物になっていきました。
924が只のアウデーなら944からはちゃんとポルシェ。w
928なんか本当にEGTなんですが、なにせ前にエソジソがあるお陰で冷や飯食らって
今ぢゃ投売り叩き売り、しかもちゃんとしたメンテしてもらえづ(そこはポルシェ、高ひから)
ロクでもなひ状態の物件ばかり、
今になってもまともに評価も扱ってももらへづ悲惨な末路つうのが多杉ます。
当時も今も「素晴らしいスポーツカーであったが販売面で云々」つう記事ばかりで
要するに”ポルシェ=スポーツ”つう誤った呪縛から未だに開放されてなひんですな。
あれはすこぶる優秀な”GT”です。ポルシェはGT屋なのです。
GT屋、それは911を見ても分かります。930あたりまでの尻が重くて
ギッチリとスローイン・ファストアウトを正確にやらんと曲がってくれなかったのが
今や単にハンドルくるくるだけで相当曲がるらすぃ。それはヌポォシ性の排除であり
ド下手の為のクルマづくり、つまり客を信用しなひ、客との信頼関係の無ひクルマづくりなのです。
ヌポォシなら客の技量をある程度信ぢるもんです、それはかつてのアルファがさうだったやうに。
「うちの客ならこのぐらひの技量は持ってて当たり前、そこまで行かんヤシは買わんで宜しひ」
と足切り意識が純血アルファ時代にはあったやうに思ひます。
客も客で、まぁ何せアルファ・BMWあたり買うヤシは少々おツムの逝ったバカタレばかりでしたし
さういふメーカの足切りでふるひ落とされなひ連中ばかり。
そこである種の信頼関係、メーカと顧客の信頼関係が成立してた訳です。
317:酔いどれエロスパ◎~▽~◎ ◆cAAK5ejJdg
09/05/24 23:00:43 pTx6Y21c0
ですが、まぁ会社組織の宿命として拡販つな絶対な訳で、
さうなると市場規模はヌポォシではなくGTなのです。
正確で正しひ操作をきちんと体得して初めて出来るのがスポーツ。
そら下手と上手の人数比なら世の中下手が多ひに決まってます。
股、高額なクルマの場合ターゲットの富裕層は
欧州の場合など殊更ヌポォシ需要より圧倒的にGT需要が高ひ。
さうは言ってもよりピュアヌポォシ寄りなのか安楽寄りなのか、そのはざまのどこを狙ふか、
どこを選ぶのか、それがそのメイクの色になるのだと思ひます。
下手でも飛ばせるGTと下手では危なひヌポォシ、拡販の為にはGTしか無ひのであるます。
ポルシェはヌポォシのイメージでGT売るメイクです。
客を信用しなひ方向へのハンドリングの進化、それが示してゐます。
同様の方向性が屁ラーリにもありますがあれはちょっと違ふ。
危険の無ひ範囲でF1ヌポォシ気分を味ははせる大人の高価な玩具の側面が大きひかと思ひます。
318:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
09/05/24 23:53:28 b5lZHhLP0
60年代に911が開発された時にもフル4シーターの試作車が存在したように、
また928にも4ドアの登場が度々噂されたように。
ポルシェは昔から4シーターを作りたかったのは確かなようです。
GTの解釈を広げていけば、そうした車(パナメーラ)やオフロードも行き先に追加出来る車(カイエン)
のようなものも作るのは、ある程度理屈の上では理解出来ることですが。
しかしさすがにそれは拡大解釈というものでしょう。
つまりポルシェはGTカーのメイクから脱皮して高性能・高級車メーカーへの道を選んだのでしょう。
ところがそれが長い目で見たときに、一般へ受け入れられるものかどうかは、未だ判らないところがあります。
またVWとの経営統合を目指すのであれば、それは即ちアウディやベントレー、ブガッティを傘下に収めること。
これらの顧客とポルシェを選ぶ顧客とは重複しないかも知れませんが、それは過去の話。
ポルシェが高級・高性能メーカーとして一般に認知されるのであれば、
それは傘下に収めたベントレー辺りと競合する事にもなりかねず、難しい問題が出て来るかも知れません。
まぁ、その辺はこれからのポルシェ社のお手並み拝見といったところですが。
こうした方向転換っつうか拡大路線は、古くからの顧客層からはどう思われるものかという興味もあります。
もっとも911が登場した時でさえ、356に馴染んだ顧客からは「ポルシェらしからぬ」という声が出たそうですから
顧客っつうのは何時の時代も我儘なものなのでしょうが。
また、最近のCG誌上に書かれていた噂では、ポルシェの業務拡大路線は未だ続きがあるようで
ボクスターよりも安価な入門版的な役割を持つ小型車の開発も計画にあるとか。
CG誌はそれを「ブランドイメージ管理の見地からは好ましくないのでは?」としていましたが
古くからのポルシェ社の歴史を辿るならば、現在の生産車が成長し過ぎたとも言え、
パナメーラ辺りよりも、むしろそちらが優先されて欲しかったとも思います。