くるまオタク養成講座 道 ~散開~ at CAR
くるまオタク養成講座 道 ~散開~  - 暇つぶし2ch233:名無しさん@そうだドライブへ行こう
08/10/07 03:17:09 +xXUa3p70
それは個人的感想として読んでおきます。

234:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
08/10/08 00:29:30 +lvQAoJE0
>>231-232
前段(231)書き込んで暫く経っての後段(232)。無理に場を盛り上げようとしてません??(w
くろがね四起。小松の日本自動車博物館で見たことが有りますが撮った筈の写真が見つからず。
形そのもの以上に、異様に小さいそのサイズが印象に残っています。

さて、オリジナルのジープ。やはりミリタリー物としてよりも、自動車として美しいのだと考える人の方が
此処では多数派だということでしょうか。
しかし他のオフロード車(例えばキューベルワーゲンとか、ランドローバー)と比較しても
このジープの形の評価が高いように思える理由とか、どうもオフロード車全般に理解度の低い私には
よく判らないところであります。

ところで、ちょっと気になった事が有って。トヨタ博物館に収蔵されているのはフォードGPWだった筈と
資料引っ張り出してあれこれパラパラとみていたところ、故・五十嵐平達さんがジープの形について
「A型フォードにも通じるシンプルな魅力を秘めた形」と書かれた一文を発見。
URLリンク(yoshi.art.coocan.jp)
勿論このA型フォード、ジープのデザインと直接つながるところは有りませんが
なんとなく共通する雰囲気みたいなものは(A型がアイドルとしたK型リンカーン以上に)有るような気はします。
実はこのA型フォードってのも私には良い形には見えてもそれ以上には感じられない物の一つなのです。

所謂カーデザイナーの手は入っていなくとも、ジープはやはりアメリカ車の雰囲気を纏っていて
恐らく私は、この時代迄のアメリカ車に有った理路整然とした雰囲気
つまり>>232さんが書かれたところの“アメリカ流・率直な洗練”に馴染めないのでしょう。

ついでに、昨日書いたどうでも良いような話の続き。
自動車オタクには理解が有っても、ミリタリー物マニアとなると理解出来ないっつう家人に
軍仕様のオリジナル・ジープの写真を見せて
「これが好きだという人は理解出来るか?」と訊ねたところ、全く考える様子も無しに
「そんなこと訊いて、どうするの?」ですと。
別にどうするって訳でもないけれど、そこが大問題(?)なのにねぇ・・。

235:名無しさん@そうだドライブへ行こう
08/10/08 01:22:47 SK6VDzP70
わたし>>230ですが、231・232は書いてません(そういうネタ師じゃないですよw)。

ただ、逝ってるさんのカーデザイン・エンジニアリングに関わる思索のポイントが欧州の伝統に置かれていること、
そしてご自身の信じるところの美的感覚を重んじておられることは、理解しています。
それはそれでそれぞれのお考えであると思います。
ただこのスレに出入りする人には、アメリカ的プラグマチズムに共感を抱く向きもあるのではないか、とも考えます。
少なくとも、私はそうです。

くろがね四起は、日本内燃機(くろがね)の創業者にして名設計者たる蒔田鉄司さんの才能や意欲が、
日本陸軍の守旧性や凡庸さでスポイルされ、浪費されてしまった末の、妥協の産物と言うべきものでしょう。

趣味的には面白い存在ではありますし、当時の日本車の中ではコンセプト自体はまずまずまともな方だと思いますが、
日本全体の工業水準の低さや、アジアでの戦いにおける広い戦略的な意味合いという観点からすると
結局ジープのような価値を持ち得なかったのも事実ですし、
蒔田氏自身もおそらく、Vツイン搭載の腰高なミニ四駆車の出来には、満足していなかったんではないかと思われます。

236:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
08/10/09 00:37:37 fjhSUuxl0
>>235
大変失礼。昨日の後半で“232さんが書かれたところの”ってのは単純な打ち間違いで、
230さん=231-232さんと勘違いしたという訳ではありません。

先日“アメリカ車らしさとは何か?またフランス車・イタリア車・ドイツ車らしさとは?”みたいな話が有って
半端なままで放ったらかしになっていましたが。
私等素人はそれを“中々難しい問題である”みたいにいい加減に終わらせてしまうことが出来ても、
職業デザイナーさんともなればそういう訳にも行かないようで。
丁度最近のCG誌上の連載記事中で、永島譲二さんはフランス車らしさの源の一つを“ムーヴマン”と
表しておられました。つまりは動きの有る線。ラインが単調ではなく、動きがあるという事だそうです。

デザイナーではない、見る側の立場に在る私には、そうした手法としての説明が必要という事は無いので
それを“ゆらぎ”のようなものと以前から考えていました。
直線的であっても曲線的であっても、あえて論理性を感じさせない予測不可能な面や線の走り方。
それが日々不安の中を迷いながら心細く生きる私には、不思議に心地良いところであって、
“理路整然”とか“質実剛健”とは馴染めない理由もその辺に有るのだろうと考えております。
要はアメリカ的なる物に馴染めないのではなくって、
理路整然としているように見える物には馴染めないっつうチャランポランな者なのです。

普通の感覚だとアメリカ車に理路整然って言葉は、それこそ馴染まないと思われる方も多いかも知れませんが。
第二次大戦前のアメリカ車って、意外とそうだったと思います。
東海岸側から文化の中心が分散したように思える戦後は、それが自由奔放って言葉の方が
似合うようになった感が有りますが。
そう言えば、理路整然型デザインの家元みたいなバウハウスがナチスに迫害されて亡命した先はシカゴでしたし。

この調子で四文字熟語を各国のデザイン特徴に当てはめると、フランスは案外“堅実無比”にして“天衣無縫”
イタリアは“清廉明晰”(そんな言葉が有るか?w)とか。ドイツは・・えと・・
日本の場合は客先次第のところもあるので“融通無碍”とか。
・・また変な遊びを見つけた気がする・・(w

237:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
08/10/11 00:25:09 WWhF+a8J0
一昨日あんな風に書いたものの、人の気持ちっつうのはそんなに単純明解なものではなく
勿論私もその例に漏れず、簡潔明瞭とは行かずに複雑怪奇なところはあり(まだやってる)
理路整然型デザインではあっても初代リンカーン・コンチネンタルなどは大変美しいと思います。
ただし、二段グリルになった42年型辺り迄。
戦後のクロームだらけになった46年型とかになると奇妙奇天烈・・あ、五文字熟語か・・(w

そんな事はともかく・・。
他スレで見掛けた発言で“乗り心地や動力性能がどうあろうと、それは乗っている人にのみ問題なのであり
傍で見る分には、その車の性能で最も重要なのは見た目だけ”みたいな書き込みがありました。
まぁ、ミもフタもない言い方ですが或る程度本当でしょう。
しかし、案外と形の良し悪しを言葉にするのって難しい所があると思うときも有ります。
先日このスレでも“カーデザインの本質”なんて難しい言葉が出てきましたが、
好き嫌いとか先入観を抜きにして、どれだけ形を形のみとして見る事が出来るのでしょうか?

初代コンチネンタルなどは、このスレでも書かれた方がいらしたように、
時代性を考慮してもむしろ凡庸な内容でありながらもその形だけで名車と呼ばれる資格が有るでしょうが
他にそうした例が幾つ有るかと思うと案外少ないような気がします。
私等のような屁理屈・薀蓄好きは得てしてその車の内容・機構を知るが故に
意欲的な中身を持っていたり、走らせての評価が高かったりすると、見た目まで良く見えてしまうってことも
時には有るのかも知れないとも思うのです。

・・と、また変に理屈っぽい話が続きましたが。
例えば最近良くあるレプリカ型デザイン。VWのニュー・ビートルとかBMWミニ、フィアット500等。
これらは内容的には平凡な機構の車かも知れませんが、オリジナルの偉大さを受け継ぎっつうか反映して
それなりの人気が有るようで、また私もそれぞれそれなりに好きでもあります。
しかし・・それこそ、それが先入観って物で、その車のデザインが単独で評価されている訳ではなく、
やはり“如何に偉大なオリジナルに似ているか”の方が問題視されていると思います。
これらの車は、オリジナルの存在を抜きにしても良い形と言えるのでしょうか?


238:名無しさん@そうだドライブへ行こう
08/10/11 00:36:46 SEwWCBUJ0
ゼファー&コンチネンタルは、
41年までのボブ・グレゴリーのデザインによる一連の正調流線型も、
42年型のみで希少なゴードン・ビューリグの手になる水平基調のスタイルもそれぞれに魅力的ですが―

あの戦後46年式-48年式のごてごてクロームデザインをぶちかました犯人は誰なんでしょう?
あれが好きだという人がいますが、それはデザインよりクロームメッキデコレーションがお好きなんだと思います。

戦後型リンカーンなら、純粋な美しさで49年式コスモポリタンセダン、
クレバーな実用デザインという見地からは戦後第二次型の52年モデルが好きです。
その後は、56年型がまずまず華やかで評価できますが、でっかくなりすぎましたね。58年以降はもはやノーコメント。

239:名無しさん@そうだドライブへ行こう
08/10/11 01:11:59 OeV3aEju0
さあ、誰なんでしょう?
グレゴリーは一度辞めたあと、再度請われて44~46年までフォードに籍を置いていました。
一方、ビューリグはスポット参戦で、正式にフォードに入るのは49年。

ところで61年はどうです?抑制された装飾とデリケートな面構成はなかなか品がいいと
思います。

240:名無しさん@そうだドライブへ行こう
08/10/11 01:18:20 SEwWCBUJ0
61年以降のシリーズは、58年からがキャディに対抗したかのような悪趣味路線だったので、
反動でまだしも見られますし、それなりにまじめになったのはわかるんですけど、

結局、60年代アメ車全般の「無個性スタイルで巨大化」路線と軌を一にしたような所もあって、
シャーシ設計を61年から60年代末近くまで踏襲しながら、オーバーハングが際限なく伸びていったのはワケわかりませんです。
あんなにお尻の長いクルマって他にはZILぐらいしか思いつきませんわ。

241:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
08/10/12 00:26:57 5UCodgP80
戦後、クロームだらけとなったコンチネンタル。実際のデザインにあたったのが誰かは知りませんが
1945年9月にフォード社新社長に就任したヘンリー二世の意向も有ったのでしょうかね?
しかし、リンカーン(特にコンチネンタル)はキャディラックとは異なり
何処か亡くなったエドセル・フォードさんの理想とか上品さを残そうとしていた感も有り
56年の二代目コンチネンタルなど、この時期のアメリカ車としては、
その大きさを除けば結構地味で品の良い形だと思います
URLリンク(www.classiccar.com)

ただ、この二代目以降、エドセルさんが目指した欧州的なGTスタイル
“コンチネンタル・ルック”を追求するという姿勢は無くなり。
リンカーン・コンチネンタルは純粋なアメリカ車としてのみ存在し、その名前は意味を失ったように思います。
初代コンチネンタルもその名前とは裏腹に、その登場時期(40年)には欧州は既に戦時下にあって
自動車デザインも進化が停滞していた事もあり
その形は欧州的をイメージしつつも、実際には他の何処にも存在しないアメリカ独自の進んだ物で
二代目以降が欧州的GTとは全く異なった車となって行く伏線は、当初から有ったとも言えるのでしょうが。

五十嵐平達さんが、その著書の中で繰り返し書かれているように、
初代コンチネンタルはシカゴに追われて来た新バウハウスの影響が強く表れているとかですが
こうした本来ドイツ的とも言えるデザインは、ドイツ本国での受けも良く。
逆輸入されていったのも当然の成り行きだったとも言えるでしょうか。
GM系列のオペルや独フォードがアメリカ型デザインを取り入れたのは当然ですが
かのF・ポルシェ博士のkdf、VWワーゲンTypeⅠ・ビートルがリンカーン・ゼファーの影響を
強く受けたデザインである事を五十嵐さんは強く指摘されています。

そこで、現行のニュービートルに話は飛び。
あんまりこんな細かな事を言う意味は無い事は承知の上ですが。
ニュービートルの形そのものは愛嬌も有り、結構好感を持って見ているつもりではありますが
ゼファーの面影は既にかけらも無く、オリジナルに有った流線形を追求する意思が失われている事は残念で
二代目コンチネンタルと同じ道を辿っているようにも思います。

242:名無しさん@そうだドライブへ行こう
08/10/13 08:08:08 Vbc1kaZK0
Wikipediaでシトロエン業界の御大ドクターが70過ぎてKY状態で暴走しているのを見て老害じゃないかと思いました
よりによってDSを名乗っています

243:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
08/10/14 00:16:52 jQf7QcYs0
何か書き出すと暴走せずにはいられないのはフランス車好きの性でしょうかね?(w
“KY”ってのは如何にも日本的な流行り言葉で、
波風立てずに調和する事を善しとする風潮ってのが前提としてあるのかも。

さて、先日の話の続きですが。
URLリンク(www.sweetauto.net)
URLリンク(www.bsmotoring.com)
こうして改めてリンカーン・ゼファーを見ると、オリジナルビートルが特にその後姿に強く影響されていると
思わされます。
ニュー・ビートルが出た時。世間の多くからは“フロントエンジンで前輪を駆動するビートルなんて”
と言った声が聞かれたようですが、元々この手の車は形を楽しむ物であって
その機構や構造にはあまりうるさい事は言う事も無いと私は思いました。
そう思った理由の一つとして、オリジナルのビートルが元々ハンドリングを味わう車でも無かった事は勿論ですが
フロントエンジン車リンカーン・ゼファーを一種のアイドルとしてデザインされたらしき由来が
頭に有った事も挙げられます。

そして、更に言えば。ずっと前にこのスレの中でも触れた話ですが、
リンカーン・ゼファーは1931年頃にオランダ人のジョン・ジャーダさんがデザインしたリアエンジン試作車
スターケンバーグ(STERKENBURG)から改変を重ねて誕生した車という経緯も有り。
つまり、(乱暴ですけど)この形を楽しむ為にとってはエンジンが何処に有るかは
大した問題ではないとも思うのです。

オリジナル・ビートルは言うまでも無くフェルディナンド・ポルシェ博士の傑作ですが、
ポルシェ博士はアメリカ式量産技術の視察の為にフォード社工場を訪ねた折に、
同じ敷地にあったブリッグス(かつてフォードにボディーを納入していたボディーメーカー)で、
そこでスターケンバーグの試作・研究を続けていたジョン・ジャーダさんのもとを二度訪れ、
「V8エンジンをリアに搭載するのは重量バランス的に好ましくないのでは?」と語られたとか。
そのスターケンバーグがゼファーの基になった事をポルシェさんは御存知だったのでしょうか?
縁ってのは不思議な物だという気がします。

244:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
08/10/15 00:13:07 q/z70WZm0
VW・ビートルとリンカーン・ゼファーが似ているという話で。
五十嵐平達さんの著書の中、VW社がアメリカで出した広告の中で「形は醜いけれど」という
キャッチコピーを用いた物が有った事が記されていました。
恐らく、かつてゼファーを受け入れたアメリカ人はその言葉に反発するであろう事を予測して
そんな言い方を用いたのであろうと五十嵐さんは想像されています。

しかし、全てのアメリカ人がビートルに理解を示したという訳ではない事も勿論で
この車の非凡さは認めつつも大戦直後の荒廃したウォルフスブルグ工場を持て余した
接収先のイギリス陸軍少佐アイヴァン・ハーストさんは、視察に来たヘンリー二世を含むフォード社幹部に、
工場設備全てを受け渡して生産を肩代わりして貰う事を提案したものの、
フォード側は“奇妙な車”とその生産設備に“価値無し”と興味を示さず、
その提案を即座に却下してしまったとか。・・あー、勿体無い(w

フォードはビートルの何処が気に入らなかったのでしょうかね?
英・独フォードでは戦前から1リッター級小型車を作っていた事から、そのサイズという事は無いでしょうし
ゼファーをアイドルにしたデザインという事は間違っても無いでしょう。
空冷・水平対向エンジンを車体後部に置くという、フォードの車作りとは全く異なる考え方で作られたビートルが
自社製品のような一般性を持つ事は無いだろうと踏み、
そこに力を入れることはこの先の欧州戦略の為には単なるお荷物にしかならないと考えた。
と、いった辺りでしょうか。
もしもその時、VWを手中に収めていれば戦後のフォード社のみならず、世界の自動車業界は
かなり違う形になっていたでしょう。

結局VWは戦前にオペルでアメリカ式生産管理の経験を積んだハインツ・ノルトホフさんを社長に据えて
西ドイツ連邦政府に返還され、独立企業への道を歩むこととなり
ビートルはアメリカをはじめ世界中に繁殖することになります。
欧州のみならず、アメリカでもこうした小型車が人気を得るとは、ヘンリー二世他当時のフォード社幹部には
予想出来なかったでしょう。
戦勝国アメリカ人にその頃“ダウンサイジング”なんて言葉が思い浮かぶ筈が無かったのはむしろ当然と思えます。

245:名無しさん@そうだドライブへ行こう
08/10/15 00:42:40 U3E1FN+q0
や、戦時中の乗用車生産停止期に想定していた戦後市場のキーワードに"ダウンサイジング"
というのはバッチリと入っていたんですよ。
戦後、民間経済はまず慎ましい所からスタートすると見込んで、コンパクトモデルが開発されていました。
実際は超売り手市場で、戦前のキャリーオーバーモデルに注力することになりましたが。

縮小したマーキュリーのようなデザインの仏フォードヴァデット、あれは本国でお蔵入りになったフォードで、
同じくお蔵入りになったシボレーは南に渡って、豪州のホールデン48-215型となります。
シボレーの方はかなり本気で、デトロイトからエリー湖をはさんだ対岸のクリーブランドに工場を据え、
車名はシボレー・キャデットと決定し、内部に工作機械の設置まで進行したところで計画中断になっています。


246:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
08/10/16 00:09:53 03z2zhoF0
>>245
その辺の事は全く知りませんでしたが、言われてみればそれらと前後してカイザーからはヘンリー・J
ナッシュからはランブラーなども出ていますし。アメリカはアメリカなりに小型化を考えていたのでしょうね。
もっともヴァデットをはじめ、これらの車は皆欧州車の基準で考えるならば小型車とは言えぬサイズでもあり
当時のアメリカ人なりのダウンサイジングってのがどういうものだったのかが想像されるようで
興味深いところでもあります。

お馴染みカー・グラフィック誌初代編集長の小林彰太郎さんは、小型車の設計について語るときに
よく”小さな大型車”とか“小さいための小型車”といった言い回しを使われます。
この内“小さな大型”とは、第一次大戦後の英仏などで流行した粗末で野蛮な“サイクルカー”と呼ばれた
車達が、その多くは車輪一個とかデフとかを省略して安価軽量を実現していたのに対して
大型車に有るモノ全てを小型簡易化して余すことなく装備した車を指すようで
具体的にはヴィンテッジ期に登場したオースティン・セヴン等がこれにあたるようです。

これは実用的な小型車設計に於いての初歩的な考え方であり、それに対して“小さいための小型”とは
小型化を実現する為に、小型車なりの柔軟な発想を持つ車のことを指すようで、
小林さんは30年代に登場した初代フィアット500をその始祖としておられるようですが
私はこの車の基本はオースティン・セヴンの発想から大きく出た物とは思い難く
そうした新世代小型車は、第二次大戦前後に設計され、戦後登場したルノー4CVやシトローエン2CV
そしてVW・ビートルなどから始まると考えています。

しかし元々が保守的だったフォードは、第二次大戦後にも尚小型車に対する考え方は“小さな大型”
つまり彼等にとっての通常サイズの車をそのまま縮小して作るもので
その思想はヴィンテッジ期のオースティン・セヴンから一歩も出ていなかったように思えます。
そうした彼等には、新世代に属する小型車ビートルが理解出来なかったのでしょうか。
後にビートルはアメリカでも人気を得ますが、そこで後手に回った事が現代の状況の大元にも
なっているような気がします。


247:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
08/10/17 00:42:57 Xh2plSd00
フォードがそれまでの、単に大型を縮小しただけの小型車作りから脱皮し
小型車独自の設計を持つ新世代小型車を作ったのは、1962年のドイツ・フォード“タウヌス12M”が
初めてだったでしょう。
URLリンク(photos.passado.com)
フロントに、サーブへ供給された事でも知られる60度V型4気筒の1.2リッターエンジンを積み前輪を駆動し
軽量なモノコックボディーを引っ張るという設計は、
ほぼ同時期にイタリアで生まれたランチア・フルヴィアとも近く
同じく全長の短い水平対向エンジンで前輪を駆動したスバル1000やシトローエンGSに先駆けた物。

元々この車、当時アメリカでも大人気を博していたVW・ビートルに対向する為に
独・英フォードで作られた部品をアメリカで組み立てて販売するという“カーディナル計画”と呼ばれた
プロジェクトから生まれたものだったそうですが
アメリカでの生産は市場調査結果が思わしくなかったことや欧州での部品生産にアメリカ側の労働組合が
強く反対した事などもあって立ち消えになったそうですが、その設計はドイツ・フォード製小型車として
日の目を見て生産化に漕ぎ着けられたのだとか。
ビートルを受け入れたアメリカ人達の間で、こうした車に対する市場調査結果が思わしくなかったというのは
少し意外なところ。

それにしてもこのタウヌス12Mのデザイン。
平凡な内容でも派手で進歩的な外見を纏った車ならばアメリカなどには幾らでも見つかりますが、
その逆に意欲的な内容を持ちながらも凡庸な外見の車となるとそう多くは思い浮かぶ物ではなく、
この車はそうした珍しい例ではないでしょうか。
同じ頃にドイツフォードが生産していた一回り大きいタウヌス17M
URLリンク(www.autoweek.nl)
こちらは卵型をモチーフにした個性的なデザインを持っていたのですが、平凡な中身。

今の眼で見ると。60年代になって英国ではミニのような車も生まれ、
そんな中フォードも進歩的な車つくりの必要性を認識しつつあったものの、
外見と内容の両方に思い切った手を打つ事は出来ずに恐る恐るの改革だったようにも思えます。


248:名無しさん@そうだドライブへ行こう
08/10/17 00:55:13 8gVZvV+V0
それに、前輪駆動タウヌスは、結局技術的には完全な成功作とは言えなかったでしょう。
パッケージングは非常に優秀だったのですが、
あいにくバランサーもない狭角V4特有の振動が実用上のネックとなり、
また12M初期のラジエーターファン省略(電動ファンもありません)もやはり安定した性能発揮には障害となったようです。
ですから後からファン追加してますね。

ヨーロッパ戦略では、GMもフォードも英独が中心なのは同じなのですが、
GMがオペル主軸でヴォクスホールは一種傍系、ついにはただの名前の違うオペルになったのに対し、
欧州フォードの一体化に至るまでのフォードは逆で、ドイツの独立性を徐々に削いで、イギリス主導の設計に傾斜して行ってますね。

249:名無しさん@そうだドライブへ行こう
08/10/17 02:28:38 VYGUAJvD0
タウナス12Mには登場時からバランサーシャフトが入ってましたよ。
保守を通してきた独フォードにいきなり現われた12Mですが、本国フォードが本気になっていた
だけあって機構的に面白いですね。エクステリアだけは面白くないですが。

米フォードではこの車をファルコンの下、ローエンドに投入する予定だったようです。
保守とブランニューの二本立て、シボレーでいえばシェビーⅡとコルベアの関係でしょうか。

250:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
08/10/19 00:52:50 Dh3dS1cN0
60年代のタウヌス12M.。この車自体の試乗記とかは見た事がありませんが。
このV4エンジンを供給していた、同時期のサーブの事について書かれたものなどを見ると、
エンジン自体の出来は悪く無さそうな印象を受けます。
もっとも、当時のサーブって北欧ローカルな車であったようですから
独特の密閉式冷却系がネックにならなかった分だけ得をしているという面は有りそうです。

外見だけは私も含めて不評ですけれど、当時の眼には簡潔で明解と見えたのかも知れません。
少なくとも、同時期のフォルクス・ワーゲン・ビートルよりも新しくはあったでしょう。
如何にも60年代初期の流行に乗った形だと思います。
しかし、これが問題で。
流行に乗った形って、流行が過ぎ去ると有無を言わせず古臭く見えてしまうという面も有ると思うのです。
そのせいか、このタウヌス12Mは英国から登場したミニに対抗して生まれた筈が、
設計技術者アレック・イシゴニスさんが流行とは無関係に作ったミニとは異なり
発売翌年に生産のピークを迎えた後は、平凡な生産サイクルで終焉を迎えています。
ミニよりも一世代前の設計になるビートルの牙城も崩せずに終わった事にもなります。

此処で話はビートルに戻りますが。
1938年にはKdfの名前で既に完成を見ていたビートルですから、
その形は当然のように30年代の流行を大きく取り入れたもの。
ですから、本格的に量産が始められた戦後には、既に流行からは遅れた形だった訳で
この車の外見が時代の先端だった事は一度も無かった筈。
でも、その事はビートルが長寿モデルに成り得た事の理由の一つでも有ったと思います。
つまり今で言うところの、ちょっとレトロ調で可愛らしい形の車として、流行の移り変わりに左右されなかったと。

先に書いたように、その時々の流行に乗って作られた形はその流行が続いている間は魅力的ですが
大抵は時代が変わると共に魅力を失うものでしょう。
そうならずに長く魅力的に見え続けるかどうか。それが結局は良い形であるか否かということでしょうか。
それ自体が一つの流行となり、長寿モデルと成ったような車は
例外無くそうした時代性を超えられるだけの魅力の有る形だったということと思います。

251:名無しさん@そうだドライブへ行こう
08/10/19 02:53:22 ZMUnSv7I0
五十嵐平達さんが1955年に書かれた本でも、ビートルは既に「古くさい形状」と言われていました。
アーウィン・コメンダのてがけたビートルのヤーライスタイルは、
あれはもはや1950年代の時点で古さというものを超越しちゃったんですな。

同じ本で、1932年の初代V8から、1949年の戦後型ポンツーンスタイルに至るまでのフォードのノーズ変更をずらりと並べて、
流線型・フルワイズへの変遷を解説していたのは、面白かったです。

タウヌス12Mの生産終了の場合、60年代のフォードの欧州戦略で、
ドイツでもベーシックモデルはイギリス設計の後輪駆動車であるエスコートにシフトする方針になったのも一因ですね。

確かにオペルが変哲もない設計でカデットを出して成功したのを見ていれば、
基本構想は優れていても問題をあちこちに抱えていてその対処に追われる前輪駆動のタウヌス12M系列を作り続けるより、
スペース効率はともかく一応のレベル、スタイルはデトロイトのテイストも入れてそれなりにキャッチー、
肝心の中身は平凡だが手堅くコンベンショナルで間違いがない初代エスコートの設計図をイギリスから持ちこむ方が有利、
と判断するのも、戦略上の一策でしょう。

252:相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ
08/10/20 01:04:36 5F3bs7f20
>>251
その本は面白そうですが、1955年と言えば日本では初代クラウンが出た年。
そうした、自動車の形について体系的に書かれたものを読む人がどれほどいたでしょう。
多分、売れなかったでしょうね。その頃にそうした活動をされていた五十嵐さんは大した方だ改めて思います。

英・独フォードの一本化の前には、英フォードがドイツ型のV型4気筒を試みた時期とかも有ったようで
65~66年頃には幾つかのモデルに搭載されて世に出ているようですが、
結局の所はあんまり芳しい事無かったのか、いつしか消えてしまったみたいです。
上級モデル向けにV6を作る時に共通の部品を多く流用出来るみたいなメリットは有ったのでしょうが、
そうした車の市場そのものが、それ程大きい物でもなかった為にそれも生かせなかったようです。

ところでフォードV8と言えば、ストリームド・ラインを標榜して登場した38年型辺りに、
五十嵐平達さんはよく“甲虫型”という言い方をされるようです。
欧州で言うなら、その38年型を縮小して作られたような、独フォードから出た39年の最初のタウヌス辺り。
あんまり良い写真が見つかりませんが。
URLリンク(www.autogallery.org.ru)
38年頃にはほぼ完成されていたビートルは、本来この辺の世代に属す車と言う事になるのでしょう。
ビートルという、甲虫の名前がニックネームになっていることでもありますし。

VW・ビートルのデザインは251さんも書かれたように、最終的には後にポルシェ356もデザインした事で知られる
アーウィン(エルヴィン)・コメンダさんが手掛けたそうですが。
その原型には多くの車や人が影響を与えたとされ、中にはヒトラー自らがラフスケッチを描いて
具体的な指示を出したなんていうちょっと眉唾な説も有るようです。
ヒトラーに画家志望だった時期が有ったなんて話を聞くと、そう簡単には一笑に付すことも出来ませんが。
前後フェンダーが単純かつ特徴的なアーチ型を描く辺りは、ビートルに影響を与えたとされる
他の車にはあまり見られない部分であって、そうしたところは誰の発案によるものなのかは
今となってははっきりしないことでもあり。様々な伝説やら逸話が語られる素になっているのでしょうか。

253:名無しさん@そうだドライブへ行こう
08/10/20 02:48:25 6hxTAPp30
>39年の最初のタウヌス
長さを有利に使えるアメリカ車と違って、この時期の欧州車は微妙なデザインが多い気がw
個人的感想では、どことなくのんきなカマドウマのようにも見えて憎めないのですが。

ドイツ本国では、Der Buckel Taunus とあだ名がつけられていましたが、「せむしのタウヌス」
では、日本だとちょっと活字にはできないですねw 無難なところで「猫背のタウヌス」でしょうか。


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