08/11/29 00:41:32 FESudxEV
当時、京都・伏見に上洛していた秀忠は、
伏見でキリシタン投獄者がいることを知ると、
全員を処刑することを命じた。しかも、
すでに釈放した信者まで再度捕らえ、
すべての信者を火あぶりで処刑するようにとその方法
まで指示したと言われてる。
その結果、52名のキリシタンは9台の大八車に積み込まれ、
市中引き回しの上、現在の正面橋のあたりに連れて来られた。
河原には27本の十字架が方広寺の大仏と対峙するように建てられた。
刑場には、入洛した秀忠をはじめ、家臣や町人の見物者が集まっていた。
信長も敵将を蒸し焼きの刑に処した。
うめき声は遠く遠くへ響き渡ったがなかなか死に至るまでに時間を要した。
見るに見かねた重臣が、槍で楽に死なせようとしたのである。
供養が必要である。洛中洛外では多くが死んでいる。