07/02/13 22:40:11 9Pu+jSog
>>651
70年代前半のマネージャー、トリー・デフリーズは正式に契約が切れる76年前後
までの楽曲をBOWIEに断りなく彼の判断で正式にリリースする事が出来た筈。
サンタモニカやレアストワンは弱小レーベルからその流れで出た。
サンタモニカ自体は元々ブートで遥か以前から出回っていた物だが。
70年代や80年代にもRCAとは関係ないレーベルから一時ベストが出た。
それに対抗してBBCセッションをBOWIE側が出したと読んでいる。
ライコのボーナストラック大盤振舞もその流れなのかもしれない。