06/10/08 10:49:49
(その4 続き)
僕たちが 活動していた頃は ライヴハウスには「情熱」があった。
それは、ライヴハウスも看板のアーチストを育成したかったという思いがあり
二人三脚で成長していたものだ・・・。
そんな中で、チケットの単価が 300円から500円 やがて1,500円 と
上がっていくのは自然の事だったし、出演しているシチュエーションも
平日の3グループから週末へ そして土・日・祝へ そして ワンマンへと
段階があったものだ。
それが、今は いきなり 何でもできてしまうのだ。
金さえ払えば、お客さんは0人でも 文句は言われない。
それが、「ライヴ」というものではない事など・・・
誰にだったわかるはず・・・
僕は、そういう状況を 改善する先駆者として 自分のいるライヴハウスを
プロデュースしようと思ったのだ。
もちろん、その為には いくつもの難関がある事など 承知はしていた。
しかし、僕には 勝算は あった。
それは、ぼくの計画や思いに いくつものアーチストは 同調してくれたし
他のライヴハウスも、協力を約束してくれていたからだ・・・。
そして、ライヴハウスは 動き出した。