07/03/04 18:26:16
ヨーロッパ産のハウスやテクノにしたって、1987年とかじゃ作られてなかった。
ハウスを求めるDJは、シカゴ、ニューヨーク、デトロイトの輸入盤に頼るしかなかった。
ガルニエの話では、シカゴの片隅に何年も眠っていた売れ残りの12インチが、
いきなり注文が殺到して、何でもかんでもヨーロッパに流れて行ったらしい。
アシッドハウスの爆発がやってきて、そこからヨーロッパのDJやらが
安い機材で曲を作っていった様だね。
個人のプライベートなスタジオも多いせいか、割と簡単に曲製作は
機材を持ってなくても知り合い、またはそいつの知り合いとかに頼んで
ヘタクソながらもヤケクソな根性で何とか曲を作っていった。
さらにイギリス、ドイツは、まだレコードプレスが生き残っていて安く出来た。
昔からインディーレーベルが多くて、気軽にマスタリングの作業も出来た。
ガルニエの「エレクトロショック」を読んでたら大体、何が当時起こったのか解った。
パンクのDIY精神だわ、ほとんど。
90年でも日本はクラブって文化は殆ど無くて、ディスコしか無かったけれど、
全く同じような状況だったフランスをここまでにしたガルニエって凄いわ。