07/06/06 00:46:52 YfAIL3o6
ジェラール・グリゼーはIRCAM初期にスペクトル楽派というのを
トリスタン・ミライユとやっていた人で、僕が大学の頃に結構
この周辺が熱かったのですが僕は音楽的で豊穣なミライユよりも
スタティックなグリゼーのほうが好きで楽曲分析の勉強会に
行ったりもしていたのですがちょっと気になることがあったので
買ってみました。
アンサンブルの曲が2曲入っているのですが、楽器のためではない
シンセサイズの曲をたくさん作っていたとしたらどうなっていたのだろう
という素朴な疑問が強く喚起されるものでした。
スペクトル楽派にしろその後のリンドベルイにしろサーリアホにしろ
音響的な解析をオーケストラだったりアンサンブルに置き換えて行く
ことによって電子音楽の単調さを回避しているのだ、という評価が
あるのですが逆に小編成のアンサンブルなど聴いて感じるのは
既存の楽器音が故に起きる手持ちぶたさ感が常套的なフレーズや進行を
作ってしまうということで、これはこれで時間を経て聴くと辛いんですね。
電子音は古くなる、というのは常套ですが楽器音でもその時代の
常套的フレーズというのは確実に古くなるわけでその2つの、
あ、やっちゃってるな感というのは結構近い気がします。
音色と構造というのはこの辺を射程に入れて考えていかないといけない。