07/07/05 18:34:48 u5e/PtOO
こうしたことは今はじまったことではありません。
人民大会堂におけるニューヨークフィルの初めての公演時には、
演奏がはじまってからでも遅刻して入場する人が後を絶たず、
演奏中の入場禁止という決まり事もまったく無視された状態でした。
また話し声や飲食物などの袋をあける音、子供の叫び声は通常のコンサートでは当たり前。
これに近年は携帯の着信音に電話での会話が加わりました。
親たちは子供をほとんど叱ることなく、
むしろ自身でも写真を撮るのにフラッシュは焚くわ、ビデオをまわすわの傍若無人。
しかしこれは中国人に今まで「音楽を鑑賞する」という伝統がなかったからでもあります。
代々伝わってきた音楽は戯曲であり、戯曲は観る側聴く側もいっしょになって参加し、
「唱念做打」、鉦や太鼓を打ち鳴らして演者とともに言葉を真似るというのが、
「音楽」との関わり合いだったのです。
戯曲がすたれ、それにかわって入ってきた西洋音楽に、
私たちは、西洋人のように群れをなしてホールに向かいました。
聴衆ではなく、「観衆」として。されさえ巨大な進歩なのです。
「観衆」たる中国人はこう言います。
「高尚ぶっているのは一部の専門家ばかり。
一般の中国人は音楽家をリスペクトすることはない。音楽そのものにひれ伏すのだ。
親愛なる西洋人たちよ。われわれのために涙を流すことはない。
それよりも中国には中国の観念があり、哲学があることを知ったほうがいい」
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