06/06/10 20:31:36 qdlmFCBl
Fチューバに必要な4オクターブがコンスタントに使えるようにするのに自分の場合はセオリーにのっとってやったから可能になった。
セオリーにのっとったからこそ、ひ弱な自分を引き上げることができた。
やみくもにやっても「高音は締めすぎで詰まった音」「低音はゆるめすぎでふやけた音」しか出なかったと思う。
「身体を活かしきる呼吸」もできなかったと思う。
セオリーを知らなければ、本当はやってはいけない方向に行きたがるように人間はなっているらしい。
1オクターブ半ぐらいならセオリー無視でも対応はできるが…。
Fチューバを演奏するなら4オクターブがコンスタントにできて当たり前。
自分の場合は、これを可能にするのを「奏法」だと思っている。
管楽器奏者にとっては、ここまででも大変な努力を要求されるが、ピアニストにとっては調律されたピアノの前に座るだけで必要な音域と音程は確保できる。
セオリーにのっとった「奏法」は、「音楽」をするための最低条件。
熱心に取り組んで築き上げた「奏法」も「音楽」するためには忘れられるようにならないといけない。
忘れても(意識しなくても)崩れずに、「奏法」は、「音楽」表現に駆使されないといけない。
何を思い、何を表現し、何を伝えるかー「音楽」こそ重要、と考えます。
ジェイコブスいわく「楽しい歌をうたいなさい」「悲しい歌をうたいなさい」と。
>>389
長文マジレスで「きしょ」くてゴメンネ!