【アマオケ揺籃の地】世田谷交響楽団【激動の歴史】at CLASSICAL
【アマオケ揺籃の地】世田谷交響楽団【激動の歴史】 - 暇つぶし2ch2:名無しの笛の踊り
05/11/30 00:35:06 S+AXNLqq
「年表」

1985-1990年頃 「ジュネス・ミュジカル・オーケストラ」有志でマーラーの交響曲第6番演奏会企画。
       (国連のイベント「青少年音楽祭」のために結成される、各大学からの選抜オケ)

1990年 当時のジュネスの有志により、マーラーの交響曲第9番をやろうという事で集まる。
    永遠の学生オケマンひろゆきにより臨時オケ結成。この年の9/1にその演奏会は成功裏に終り、
    そのまま常設オケとして活動を続ける。(「世田谷交響楽団」誕生)

~1995年頃 順調に演奏活動を続ける。定期演奏会は年4回に及び、マーラー、R.シュトラウス、シベリウス等の
      大曲を次々と取り上げていく。この頃の主な指揮者陣は、金子建志、江原功、久保田悠太香など。

1995年 7/16の第18回演奏会で初めてコバケンが指揮台に立つ。コバケンとのつながりがいつ頃から始まったかは
    はっきりしないが、おそらくこの辺から。

1996年 世田響第1次分裂。脱退者が集まって新たに「ル・スコアール管弦楽団」を結成。同年第1回の演奏会を開く。
    一方世田響はこの年3月の「アルプス交響曲」の演奏会を最後に活動一時停止。
    また、それと関係あるのかどうかわからないけど「世田谷楽友協会」発足。ひろゆきが副理事長に。

1997年 7月、コバケンの指揮の元、世田響文字通りの「復活」演奏会。
    以後、2003年まで年2回ペースぐらいの演奏活動を続ける。指揮者陣は一変し、コバケン色が強くなる。

1998年 世田谷楽友協会内の楽団として「世田谷クラシカルプレイヤーズ」発足。ひろゆきが音楽監督に。
    分裂派がネコケンを音楽監督にした「19世紀オーケストラ」を発足させたのもこの頃。



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