06/02/21 13:20:11 oCptxAEf
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ちょっと前の書き込みへのレスになるけど、大野さんが海外のオペラ・ハウスで下積み的な仕事してたのはミュンヘン留学中の85年~87年だけのはず。シュターツ・オパーのシノポリ、クライバー、パタネ、サバリッシュの公演で練習ピアニストや下棒やってた。
でも大野さんが本当の意味でオペラの下積み修行したのは芸大の学生時代、長門オペラで渡邊暁夫の下棒振ってた辺りじゃないかなあ?
しかも、20歳の時には「泥棒とオールドミス」「ボエーム」で本棒デビューしてる。民音入賞前ね。その後留学前に、「ミカド」「愛の妙薬」も振ってた。オケは寄せ集め、歌手は二期会の二線級だったけど『音友』にも批評が出てたよ。
トスカニーニ・コンで優勝した後、神奈川オペラを振りだしに、二期会、国立劇場、東フィル・オケコンと10年国内で腕を磨いてカールスルーエに採用された。その時点でレパートリーは30以上に達してたはず。
大植さんが迂濶なのは、まともなオペラ修行すっとばしていきなり頂点に挑戦したこと。やはり果敢というより無謀と言われても仕方がないだろう。
日本人で大野さんの後で着実にオペラに取り組んでるてるのは阪さんあたり? そのうち偉くなって再度海外進出されても聞きに行く金はないから、いまのうちにしっかり聞いとこ。スレの趣旨から外れて済まん。