08/08/15 21:43:38 sGXm88t0
<同月8日午前3:25、中国軍、演習場の日本兵に向けて三発発砲。
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3時25分:竜王廟方面から3発の銃声あり。伝令に出た岩谷曹長らが、中国軍陣地に近づき過ぎて発砲を受けた、と見られている。
4時20分:一木大隊長が牟田口連隊長に電話にて再度の銃撃を報告。これを聞いた連隊長は戦闘開始を許可。大隊長はこれを受けて歩兵砲の砲撃を命令
<同日午前5:30、中国軍一斉射撃開始。日本軍応戦。
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5時30分:第8中隊が国府軍部隊に向けて前進を開始。これに対し国府軍は激しい射撃を開始し、日本側もそれに応射。ついに全面衝突となった
<同月11日、停戦協定成立。
本来事件は、現地での停戦交渉の成立をもって終息に向かうはずのものであった。
しかし、現地情勢を無視した政府の派兵決定は、拡大派を勢いづかせ、
また中国側の反発を招くことにより、以降の事件拡大の大きな要因となった。