08/07/19 18:49:54 EHEh02ao
>>694
読め
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第1回までの出来事
2003年5月23日、米国テキサス州クロフォードで日米首脳会談。小泉首相は「対話と圧力」を明言。
5月27日、胡錦涛国家主席がロシアを訪問し、プーチン大統領と中露首脳会談。武力による圧力回避を強調。
6月9日、盧武鉉大統領が訪日。日韓首脳会談。「対話と圧力」の原則で一致するも、盧武鉉は「より対話に重きをおきたい」とした。
7月14日、戴秉国外務次官が訪朝し、金正日国防委員長と会談。
7月18日、戴秉国外務次官が訪米し、パウエル国務長官と会談。
7月31日、ニューヨークで米朝が接触。三者(アメリカ、北朝鮮、中国)に日本、韓国、ロシアを加えた六者会合の開催で合意。
第1回
六者会合の座席図各国首席代表
中華人民共和国: 王毅外交部副部長(議長)
日本: 藪中三十二外務省アジア大洋州局長
アメリカ合衆国: ジェイムズ・ケリー国務次官補(東アジア・太平洋担当)
大韓民国: 李秀赫(イ・スヒョク)外交通商部次官補
ロシア: アレクサンドル・ロシュコフ外務次官
朝鮮民主主義人民共和国: 金永日(キム・ヨンイル)外務次官
2003年8月27日~29日。北京の釣魚台迎賓館で開催。
北朝鮮は「一括妥結方式」による解決を改めて主張。
「核抑止力」を背景とした金永日の恫喝に対し、ロシュコフは隣の部下に「君の担当している国(北朝鮮)は、狂っている」とささやいた。この発言はマイクのスイッチの切り忘れにより会議場に流れたという[3]。
米国は完全な核放棄まで見返りを与えないとする立場をやや軟化させた。また「脅威を与える意図はなく、侵略あるいは攻撃する意図もなく、体制変更を求める意図もない、という3つのNO」を提示した。
共同文書は発表されず、中国が議長総括を口頭で発表した。次回会合の日程も未定となった。