07/11/27 21:21:19 2JceDlup
不信になるとどうなるか、あらゆる煩悩が群がり出てくる。「仏法の大海には信をもって
能入となす」というのは真理だ。「信」があると心がが澄んで来て、善心がいっせいに起
こる。「心を浄ならしむるをもって性となし、不信を対治し善を楽ネガうをもって業と為す」
孔子が「民信なくんば立たず」と言ったのは、秩序の根本原理が「信」であることを洞察し
ていたからだろう。
なぜ経済がうまく行かないのか、なぜ政治が混乱するのか、その根本は「信」の喪失、不信
だな。人は「信」によってこころの安寧を得ることができることを本能的に知っているから
何か信じられるものを探す。そこへ悪党がつけこんで邪教がはびこるわけだ。オウムも創価
も、「信」を求める人々の存在を抜きにしては理解できない。一方的に騙されたのではない。
何かすがりつくものが欲しかったんだな。そして、何かおかしいと気付いても、信心を捨て
るともとの不安定な心理に逆戻りするから、自分を欺いてでも教団に残ろうとする。
ところが、よく考えてみれば、明治以降日本全体が新興宗教の教団だったわけだ。国家神道
だとか、現人神だとか、よくぞこんな出来そこないの信仰が、とも思うんだが、列強の脅威に
さらされて、国民自身が本能的に結束を求めて、このような擬制の「信」の秩序を容認したと
いう面はあると思う。教育勅語にも大きな問題があるね。必要悪としての・・・
そして敗戦、天皇の人間宣言。昨日までの「信」を喪失して、当然こころに空白が生じ、煩悩
が群がりおこるわけだが、このような状況を暗示する喩えが福音書にある。