08/02/21 01:56:23 BdLEI68s
同時に上記④で「出版後も長く彼らとは会っていない」事から太田氏自身が宮平氏・山城氏の証言を重要視していなかった事がわかる。又、太田氏は
以下の証言もしている。
★URLリンク(www16.atwiki.jp)
⑤宮平氏が沖縄タイムス社に私を訪ねてきたことを、私が特にはっきり覚えているのは、次の事情からである。宮平氏は私の中学の同級だ
った。沖縄タイムス社に姿を見せたときは、中学以来はじめての邂逅(かいこう)だったので、とくに印象が強かった。
⑥宮平氏が復員して、郷里の渡嘉敷島に帰ってみると、集団自決や住民虐殺事件が待っていた。その怒りをもって、宮平氏は、新聞社に私
を訪ねてきたのだが私は、その宮平氏から渡嘉敷島の事件について取材したとは、曽野氏に語っていない。だれから取材したかについて
は、はっきりおぼえていないが、宮平氏から聞いて、はじめて、その事実を知ったことはたしかだ、とあやふやな返事をしたにすぎない。
ところが『ある神話の背景』では、宮平・山城の両氏から私が取材したことにされている。
以上をまとめると太田氏は、
「宮平氏と会った事ははっきり覚えているが、渡嘉敷島の集団自決に関して、誰から取材したかはよく覚えていない」
と証言している事になる。だが、宮平氏自身は取材を受けた事は無いと証言しているし、沖縄タイムス社は訪れたけど「取材を受けていない」と
証言するのも不自然である。以上より、
『鉄の暴風』内の渡嘉敷島集団自決に関しての記載は、少なくとも宮平氏の証言を根拠とする事は出来ない。
こう結論付けていいだろう。更に検証を続ける・・・(`・ω・´)
んじゃまた・・・(´・ω・`)∩