08/01/21 23:15:55 6VbQ+ItN
続き・・・・(´・ω・`)
オイラが調べた中で一番興味を持ったソースは、「集団自決=軍命によるもの」と主張している連中が有力な資料としている
『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』
の中の記述。実はこの本の中では、なんと「防衛隊員を通じて」大尉の命令が来たと記述されている!つまり、「兵事主任」
とは防衛隊員の一人である事が確信できた。そしてこの資料を見つけた・・・・(´・ω・`)
作家・星雅彦氏(那覇市在住)による、沖縄タイムス掲載(昭和44年4月3日)のエッセイにて・・・
ア)『戦闘概要』が、当時の村長米田惟好(旧姓古波蔵)、元防衞隊長屋比久孟祥、役所職員の協力を得てまとめたと
なっている。
イ)『戦争の様相』にも、「当時、村長古波蔵惟好氏、役所吏員防衛隊長屋比久孟祥(現生存者)等の記憶を辿ってそ
の概要を纏めたものでありますが・・・」という記述がある。
(※上記資料は、『神話の背景』からの孫引き資料)
上記資料から、渡嘉敷島の防衛隊長は長屋比久孟祥氏で、上記の「赤松隊長からの自決命令を伝えた」とされる防衛隊員は、
この「長屋比久孟祥」氏だと断定した・・・(`・ω・´)
>>477でも書いたけど「自決命令」なるものは、「命令書」はおろか「口頭命令」すら存在していないとの認識は、
「集団自決=軍命によるもの」だと主張する最も権威(笑)のある関東学院大学林教授ですら認めている
事実!!!!(←共通認識じゃないよ♪)
である。よって長屋比久孟祥氏が
「敵に遭遇したら一発は敵に投げ、捕虜になるおそれのあるときは、残りの一発で自決せよ」
と本当に言ったとしても、その発言の出所が赤松隊長だったとする根拠はどこにも無い。現に、富山氏自身の証言内にも
「赤松隊長」という固有名詞は全く出てない。
んじゃまた・・・・・(`・ω・´)∩