08/01/21 23:14:59 6VbQ+ItN
んじゃあ続き・・・・(´・ω・`)
(※冒頭は「477」から。「497」「505」「515」「522」「523」「524」と継続。見にくくてスマソ)
渡嘉敷島での集団自決を論じる際、「軍命」の根拠とされた重要な証言をした人物がもう一人いる。
それが、渡嘉敷島兵事主任だった富山真順氏。この人も調べてみた・・・・(´・ω・`)
以下が富山氏の証言概要・・・・
★URLリンク(www.sakai.zaq.ne.jp)
①1945年3月20日、赤松隊から伝令が来て兵事主任の富山氏に対し、渡嘉敷部落の住民を役場に集めるように
命令した。
②そのとき、兵器軍曹と呼ばれていた下士官が部下に手榴弾を2箱持ってこさせた。「米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は
必至である。敵に遭遇したら一発は敵に投げ、捕虜になるおそれのあるときは、残りの一発で自決せよ」と訓示をした。
③3月27日兵事主任の富山氏に対して軍の命令が伝えられた。その内容は「住民を軍の西山陣地近くに集結させよ」という
ものであった。
④3月28日、恩納河原の上流フィジガーで住民の「集団死」事件が起きた。このとき防衛隊員が手榴弾を持ちこみ、
住民の「自殺」を促した。
この富山氏の証言にある「敵に遭遇したら一発は敵に投げ、捕虜になるおそれのあるときは、残りの一発で自決せよ」の部分は、
自決が軍命だった根拠として、痴民団体の連中に何度も何度も何度も利用されてきた。いわば「共通認識教・狂信者」どもに
とって超有力な証言だった。現に、こんな話を知らなかった金城氏ですら、自分も聞いたかのようにこの証言を利用してた。
とするとポイントは、富山氏の証言内で何度も出てくる「兵事主任」。この人物は一体誰なのか・・・・?
この人物が旧日本軍所属の軍人であり、上記の「・・・敵に遭遇したら一発は敵に投げ、捕虜になるおそれのあるときは、
残りの一発で自決せよ」云々が事実なら、自決が「軍命」だった事の決定的な証拠となる。
だが不思議な事に「集団自決=軍命によるもの」と主張している連中は、この重要な証言をした人物を全く特定しようとした
痕跡が無い。そこでオイラがいろいろ調べてこの人物は一体誰だったのかを推測してみた・・・(´・ω・`)