08/01/20 22:45:15 7e6nKpX0
>>515の続き・・・(※冒頭は「477」から。「497」「505」「515」と継続。見にくくてスマソ)
前レスのこの米田氏の証言と合わせて、次の証言者「沖縄キリスト教短大名誉教授金城重明氏」の証言内容を査証していこうと思う。
以下が、金城氏の証言ポイント抜粋・・・・
※金城氏は1945年3月28日渡嘉敷島での集団自決の際、自らは自決せず、兄と一緒に母親と妹を強制自決させた。
証言①URLリンク(www.okinawatimes.co.jp)
兵器軍曹から住民に手榴弾が配られ「一個は敵に投げ、もう一個で死になさい」と訓示があったと、後になって当時
の兵事主任からじかに聞いたと証言。戦隊長指揮下の軍命令なしに「集団自決」は起こり得なかったと訴えた。
証言②金城重明さんの証言、那覇市県青年会館での講演より(沖縄タイムス、2007年6月8日PDFファイルより抜粋)
3月28日、玉砕場で村長が「天皇陛下万歳」を唱えた。「万歳」は勝ち戦のときと、死を決意したときに戦場で唱えるものだ。
渡嘉敷島の「強制集団死」は米軍上陸前の日本軍の自決命令(※証言①の事)と、村長を通しての「万歳」命令の二段階あった。
証言③金城重明さんの証言、那覇市県青年会館での講演より(沖縄タイムス、2007年6月8日PDFファイルより抜粋)
私は渡嘉敷島の赤松嘉次守備隊長から直接聞かされたことをはっきり覚えている。「われわれ軍隊は、戦況を報告す
るため最後まで生き延びなければならないが、住民はそうではない」
証言④URLリンク(www.okinawatimes.co.jp)
金城さんは「自決を命令する言葉があったかなかったではなく、軍隊によって住民が追い詰められていったことが問題だ。
上陸一週間前に自決用の手りゅう弾を渡すなど、日本軍は巧妙に住民を追い詰めていった」と説明。「集団自決」は、直
接、手を下さなかったが日本軍による「虐殺」だと指摘した。
続けて次レスで順を追って検証していこうと思う・・・・(´・ω・`) 読むのが大変だと思うけど、メモ帳か何かに仮保存して
時間のある時にゆっくり読んでくれ・・・(´・ω・`)