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「第三の道」の可能性を探る 『ブレア時代のイギリス』
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社会民主主義的福祉国家が目指す「大きな政府」でもなく、かといって「小さな政府」を
目指したサッチャリズムでもない「第三の道」とは何を意味しており、どのような成果と
限界を持っているのかを、『ブレア時代のイギリス』(山口二郎著 岩波新書)を参考に
考えてみましょう。
山口氏は、「第三の道」を目指すニューレーバーを、アメリカ的な市場原理主義とも、
ヨーロッパ大陸的な福祉国家モデルとも異なる、「アングロ・ソーシャル・モデル」と
規定しています。ニューレーバーは、「小さな政府」に対して単純に「大きな政府」を
対置することしかできない従来の社会民主主義とは異なる、新しい福祉政策、社会モデル
を追求しているのです。
山口氏はその意欲的な取り組みを評価しつつ、同時に次のような限界を指摘しています。
「ニューレーバーの実験やアングロ・ソーシャル・モデルには大きな欠落があり、
このままでは二一世紀の社会民主主義の新たなモデルとはなれないと考える。
機会の平等がメリトクラシーや成果主義と結びつくとき、普通の人々にとっては、むしろ
競争から脱落するリスクが拡大するという逆説が存在するのだ」。
「資本主義経済に棹さす生き方だけが人間にとっての幸福であると規定し、そうした幸福を
獲得する生き方を子どもたちに植え付けようとすることはパターナリズムに他ならない。
教育政策が雇用や経済政策とある程度結びつくことは不可避であろうが、市場適合型人間の
育成を教育の目的として強調する時、子どもの発達成長は、経済発展のための手段という位置
づけに転落してしまう。こうした主客転倒は、人間の尊厳と自律性を尊重する社会民主主義の
理念に反するものである。メリトクラシーの文化を共有する者だけの機会の平等から、より
多様な生き方を許容する社会にできるかどうかが、今後の労働党政治の課題である。その際、
市場と区別された意味での『社会』の領域をいかに支え、活性化するかが鍵となる」。