07/07/10 22:49:15 Yk4/jpFY
かつての「大蔵省」を考えてください。
大蔵省の職員たちは、律令制以来の「大蔵省」という”名称”は、伝統があり、
これからも未来永劫、残していく必要があり、自分らの在職中にその名称変更など、
はるか昔からの”先輩”たちに申し訳が立たない、と主張。
そこには、国民も、国家も眼中にない、自分らは歴史の”継承者”だという「勘違い」があるのみ、です。
それが、民間の「歌舞伎」だ、「茶道」だなら、いいでしょう。どうぞ、ご勝手に、です。
ですが、天皇に関しては、全く当てはまらない。
天皇は、国家機関、です。
いまの日本では、全ての公職、公的機関は、「国民個々の尊厳の実現」のために存在を許されているし、
それ以外の”理由”は認められません。
もし天皇制が、”歴史的””文化的”価値がある、というなら、
天皇個人を無形文化財として、「人間国宝」に指定すればいいだけです。
何も、「制度」として、残す必要は全く無い。害悪のほうが、大きい。
天皇が、文化勲章の授与をしていましたが、天皇はタダの「デク人形」です。
何の意思表示も、判断も許されていない。
仮病でも使わない限り、拒否なんて出来やしない。
脇で、首相が恭しく天皇に首を垂れていましたが、「事実上」の最高権力者は彼で、
「物言わぬ」天皇に指示して授与を「させている」のに、
その首相が、形式的に頭を垂れる「天皇」。
でも、その天皇は何の意思表示も出来ない「人形」。
別に、石ころや、サルにだって務まるんです。
何ですか、この分かりにくさは。