08/04/02 11:50:51 nQjEtNLQ
日本では、外交辞礼でない「国内向け反省」である「ファシズムに対する反省」をまったくしてないような、
反省の真似もできない猿以下の分際でしかない政治集団が、なんと厚顔無恥にも、「国連中心主義」をほざいてる。
「控えめにいって、十年早い」、というしかない。
国連は、国連憲章前文、第1条から明らかなように、国際連盟がファシズムによる野心、戦争惹起、戦争拡大に対して
有効な対応能力を欠いていたという反省にもとづき、第二次世界大戦を経験した人類の教訓として、
基本的人権尊重、平和主義、集団安全保障の基本的精神で創設されたのだ。
そこで見られる反省は、ドイツやイタリーや、一部、賢明だった日本側代表の人々の反省だけでなく、
連合国側の反省も素直に反映されたもので崇高なものである。
そういった、人類全体ともいうべき「愚かな20世紀」での人類の反省を無視、否定することは、
「歴史の教訓」を無視する大馬鹿ものっつーか、反省の真似もできない猿以下どもでしかない。
先人らは「自分たちは愚かだった。」と認め、「経験に学んだもの」として心から反省してるのだ。
「俺たちは愚かだったから、このような間違いをしてしまった。後輩、子孫らよ、このような間違いは、
今後してくれるなよ。」と、自らの「愚かさ」を認め、後世のために崇高な教訓を残しているのだ。
だが、彼らの「愚かさ」は「ファシズムは人類にとって初物だった。その初物に対する対応策も未知だった。」
という面で、情状酌量の余地がある。
それにもかかわらず、そういった先人らの崇高な反省や教訓を無視して、人類が経験済の過ちを
またもや繰り返そうとしている大馬鹿・猿以下どもが、最近、台頭してきた。
「愚人は経験から学ぶ。賢者は歴史から学ぶ。」のだ。
そのような、枢軸国ばかりでなく、連合国側も含む、第二次世界大戦からの人類全体
(といえるほど)の反省、いわば「歴史の教訓」を無視することは、国際平和を目的にする人類に対する
犯罪思想でしかない。