初心者の左翼の質問に答えてくれるスレッドat KYOUSAN
初心者の左翼の質問に答えてくれるスレッド - 暇つぶし2ch541:革命的名無しさん
08/02/03 15:05:50
>>540
これでどうよ?

565 名前:OFW :01/12/02 20:23
・・・何で自殺せなあかんのや(と関西弁など)。
>>559
若きマルクスの、まだヘーゲルの影響を残した文章ですが、私なりに・・・
>死は〔特定の〕個人にたいする類の冷酷な勝利のようにみえ、
実体の3契機である類ー種ー個において、普遍的な存在としての類的生命は個体に内在するが、
個体の死に対して無関心なまま次の個体に引き継がれる。
>そして両者の統一に矛盾するようにみえる。
本来個体は普遍的なものとして、個体の生命と類的生命は直接統一されているが、個体の抽象的
な死はその統一に矛盾するようにみえる。
>しかし特定の個人はたんに一つの特定の類的存在であるにすぎず、
しかし、個人(個体)とは一個の限定された存在(Individual,分かたれたもの)として、種の一員(サンプル)
に過ぎないという矛盾である。
>そのようなものとして死をまぬがれないものなのである。
そのような特殊性の限界(種の限界)内にある個体は死をまぬがれ得ない。
すなわち、個体の必死性とは普遍が特殊なものとして種に固定化されているという、実体的生命がもつ
矛盾の現れである。
ここでは<実体>という概念がキーですが、生命とは最初の主体的実体ですから、個体と類が直接に
一体化されているために、かえって特殊な種の限界が生じる。
<種は進化する>(ダーウィン)ことにより、類的な生命(フェニックスのごとき無限に変様する統一)の
働きが顕わになり、ヒトが人間になり、社会そして精神という媒介的・コミュニケーション的形態において
その統一がそれとして現実的になる。
ヘーゲルはそれを<具体的普遍>という概念で表現しました。たとえば、どのような人間個人も特殊な
規定性(人種、性、職業等々)のうちにあっても全人類の一員として振舞い、その豊かな内容を教養
あるいは能力として自己のものにできる存在者ですね。「私は一個の人類である」(個は一つの普遍
である)とは、社会的主体において、個人の生理的死が何らその人間的死と見なされなくなる地点で、
始めて真実となるでしょう。



次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch