05/12/07 21:39:24
>>49
は真性共産党員の書き込みであるだろうと思う。
この腐った世の中に生きている人間に対して私は何を問いかければいいのだろうかと思う。
共産党の人間もたいていの人間も私が異常なまでに神経質に書き込んでいるのを見て
「真面目な人間がああなる」
>>将来のお前の姿でもありそうだ。よーく勉強しろよ。
こういうだろう。だがそうだろうか?
俺はいつでも自分が苦しいときに世の中の不条理と自分の不条理とを重ねて生きている。
最近は親が死んだことの意味を俺は何度も考えていた。これから俺が生きていくにあたって
何度もくじけるようなことがあるかもしれないがその中で俺はこの世の中の多くの問題と自分の
生きてきた道とを親たちが語った言葉とを何度も繰り返し反芻しながらそれを現実の変革へと生かしていくだろうと思う。
人生とはそういうものではないのか?人が生きていくときに決定的にその個人を規定つけるものがなければならない。
そして人が生きていく意味を問いかけていかなければならない。そのとき自分との対話がなければどうなるのだろうか?
私がいいたいことはそのことなのだ。
社会正義に対する強烈な対話意識も自己と社会を結びつける対話もなければ行き着くところは
こいつのようなものだ。そしてこれは共産党員に限ってではないが、はっきりというが共産党員は自覚が全くないくせに自分たちが
あたかも社会のことを考えているような口ぶりで話し、くだらない情報をつなげて満足しているのである。これはこの時勢において到底許しがたい行為である。
共産党は具体策を全く作ることができない。それは彼らがもう何もない、空っぽな人間であることを物語っている。