06/08/09 22:02:27
続き。
『生命の實相』は、あくまでも宇宙の法理を説いた(つもりになっている?)ものであって、このジャンルにおいては政治性は脱色されてしまっている。
そして、これを他の生長の家信徒よりも深くまで研鑽して、生長の家の信徒に一目置かせるまでになること。
こうなってしまえば、「まあ、あの人の言うことだから・・・」と、聞く耳を持つようになる。
糊付けはできたわけだから、相手との合意の繰り返しで、徐々に相手との合意を左に寄せていけばいい。
つまり、左への誘導をかければいいわけで、その糊付けというか説得力をつけているならば、いくら極右的で「反共」一辺倒だった信徒も、
ちょっとしたヒントの言葉を以って、それまでの考えがたちまちひっくり返ることがよくある。
彼らの言葉でいうところの「クラリ一転(いってん)」というやつ。
まあ、これも禅宗でいう「一転語」という表現を谷口流に言い換えた言葉ではあるのだが。