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火炎瓶武力闘争
昭和26年10月16日(火)
第五回全国協議会で新綱領採択
革命を達するには暴力しかない、とする武闘闘争の正当化。
原文はスターリンが執筆といわれた。
27年2月に蒲田にて火炎瓶が投げられたのがこの綱領を
受けての最初の火炎瓶武力闘争の模様。
山村工作隊
昭和26年12月末~昭和27年1月27日(火)小河内山村工作隊事件
日共が中共にならい「農村解放区」を設定しようとしたものが「山村工作隊」である。
都内では小河内山村工作隊が最も活発であった。
約30人が通称「金城飯場」等に無断で侵入し、
此処を拠点とし機関紙活動等で村民の不平不満をあおり
日共の浸透工作を行うと共に村長、警官等にたいして執拗な嫌がらせを繰り返しながら
立木の盗伐、不法占拠、つるし上げの不法行為の限りを尽くした。
「現代政治史辞典」より