08/08/09 20:01:59 iKcrW/Rb0
殺人を容認していたら見境ない殺し合いとなってしまう。
確かに、わが国においても、
ある場合において、特例のような形で殺人は認められている。
殺人は絶対悪なんて倫理はどこの国家、共同体にも
存在しなかったといってほぼ差し支えない。
せいぜい、味方を殺すのは絶対駄目だ、といった程度の強力な倫理が
あったに過ぎない。
敵や侵略者を打ち殺すのはむしろ勇敢で名誉ある行為とされてきた。
「敵を打ち殺すのは当然なのである。」
もっともらしく、そんな二元論は無駄だ、くだらない、と
ほざいても実態に合わない。
攻撃的であり、容赦のなさを備えており、それに無反省であれば、
敵 という他ないのである。
抗議自殺といった類の抵抗運動は、訴える相手に良心がある場合のみ有効なだけだ。
そうでない相手に対しては、圧力行動、暴力が有効となってくる。
追い詰められた、鬱積した個人によるテロ攻撃こそ
クソ外道どもにはもっとも相応しい対応なのだ。
支配層と外道マジョリティが、現在、下層の
人々に向けているのは、もはや敵対的態度に他ならない。
輩どもが、その態度を改善しようともしないのでは、
また、実効的、有力なセーフティネットが欠如している現状では、
組織的テロ集団を形成するのが難しい現状においては、
個人による暴発、テロリズムに至るのは極めて自然、当然なことなのである。