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房園博行社長 略歴
昭和37年(1962年)10月28日鹿児島県南さつま市生まれ 45歳
山口県内の高専に入学するがケンカで退学、別の高校を卒業、
呉市にある近畿大学工学部経営工学科に入学し、在学中勉強は全くしなかったと本人
アルバイト先の飲み屋にて、出荷を請け負う運送会社社員が「積み荷の日だけ多くの人を集めるのが大変だ」と漏らしたのを聞き、学生ながら人材派遣業を開始。輸出用の新車をマツダ工場で運転する仕事
当時「カペラ」「サバンナRX-7」などマツダ車の輸出が好調な時期。新車に乗れるという仕事、大学生や若者にとっては面白みがあった。次第にその数は広がり、多い日には100、200人を工場などに派遣した
。仕事は急に入り、回数は少なかったが賃金は一人15000円と高かった。房園博行はその中から5000円もの中間マージンを取り、100人の日は1日だけで50万円もの収入になった。
その金で新たに儲けクラブや呉市や広島市で天ぷら屋、雑貨の輸入を始める。しかしある時、多額の小切手を渡したのにも関わらず品物が来ず2,000万円近い借金を背負う。マツダの仕事も減り飲食店もうまくいかなくなる
昭和60年近畿大学工学部経営工学科卒業
昭和60年4月(株)大京入社(広島支店)
経営していたクラブの常連にマンション分譲大手の㈱大京
(東京)の広島支店長がいて今までの経緯を話し面接、
見事に拾われる。これが不動産業との最初の出会い。
マンションが欲しいが収入の足りない夫婦、
その専業主婦の奥さんに短時間で楽に働ける割の良いアルバイト
を紹介するという元手配師としての腕を遺憾無く披露する突飛な
アイデアなどでセールスをあげていく。わずか入社3年で売り上げ
全国トップセールスをあげるなどして活躍、同社史上最年少の課長となる。
その頃、朝7時から深夜2時まで年に10日も休まなかったという。在職期間は5年
平成2年5月
弱冠27歳、元(株)大京の同僚ら4人で
(株)アーバンコーポレイションを設立し代表取締役社長に。
一方で経営を安定させるため同時にパン屋を運営
夜中にパンを作り朝に店へ並べ、昼間は不動産の仕事をした