06/10/21 11:39:28 AgnLsMXl
・日本の個々の政治家は、「金権政治」の体質に直接の責任はない。彼らがつくりだしたわけではないし、変えるのが仕事だと思われて
いるわけでもないし、変えたいと思っても個人の力では変えられない。
「金権政治」を完全に追放した政治システムを変えることができても、これほどの大きな仕事は一人の政治家の力ではとてもやれるもの
ではない。だとすれば、平均的な政治家に対して「金権政治」の倫理的な責任を追及することはできない、ということになる。新聞は
個々の政治家に責任があるかのように偽るのをやめなくてはいけない。
さらに、このシステムをそっくり支えているのはだれか、と考えはじめると、日本の政治家が「金権政治」に道義的な責任があるとい
う認識の妥当性は、ますます疑わしくなってくる。
日本の構造腐敗についての論評はたいてい、それが独立した現象であり、主として政治家の問題であると論じる。政治家以外にもとき
どき容疑者とされる者はある。
野心的で厚かましいビジネスマンがメディアの集中砲火を浴びるのだ。
(引用者注・この著書が発売されたのは、ほりえもん逮捕より十年以上前)
しかし、分析はふつう、そこで終わりになる。「金権政治」をはびこらせるについて大きな役割を果たしている一大容疑者集団のこと
がすっかり忘れ去られている。
それは官僚たちだ。
・日本の市民たちは、この状況を真剣に考えてみなくてはいけない。
市民には、政治家は信用できないなどと呑気に考え続けている余裕はない。本当は政治家を必要としているのだ。
市民は、自分たちの政治家を、いま現にしていうように、こきおろして喜んでいる場合ではない。
政治家だけが、日本の社会を閉じ込めている檻の鍵を見つけ、その扉を開けることができる。
以上、“政治家叩きの弊害”についての引用者抜粋。
>>2以降は引き続き、“官僚独裁主義”、“堕落したマスメディア”、“去勢された中間層”についての抜粋