06/11/02 14:04:10 M2NXpB4X
「人間を幸福にしない日本というシステム」より抜粋
「市民」は「国民」とは異なり、単にパスポートに記される出生国を意味するのではないし
政府や君主に服従する「臣民」ともまったく違った意味を持っている。
市民とは政治的に意味を持つ存在だ。市民はときに不正(*在日朝鮮人の反社会的行動)に対
して憤り、何とかしなくてはいけないと思い立って、社会に関わっていく。受身の姿勢では
市民としての立場を失うことになる。
日本人が完全に市民として振舞うのは難しい。それは市民に必要な知識の多くを奪われてい
るからだ。日本は政治エリートと在日朝鮮人利権によって管理されているが、その実情は「
タテマエ」の裏に隠されている。日本の市民の明白さやさらにその後の生活に影響する最も
重要な決定も、通常は公に議論されない。「偽りの現実」を生かされ、真の現実がタブー視
され語られる事はない。
日本の市民は、管理された「現実」がどのようなものであれ、たいていはそのなかで行き詰
まりを感じている。表向きの現実が管理されたつくりものにすぎないことに、時には気づく
かもしれないが、結局はそれを受け入れざるを得ない。というのも、まわりの世界がすべて
それによって動いているからだ。日本人がこうした状況にはまりこんだとき、口をついてで
るセリフが「しかたがない」である。
「しかたがない」と言う事は、政治的な主張でもある。おそらくほとんどの日本人はこんな
風に考えた事はないだろう。だが、この言葉の使われ方には、政治的な重大な意味がある。
「しかたがない」と言うたびに、今自分が問題にしている点を改めようとする試みが、すべ
て失敗に終わると言っているのに等しいからだ。周りの状況を正しくないと思いながら受け
入れざるおえないと考えていれば、政治的な無力感を生むことになる。