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「一年後、毛沢東が中央機関を率いて河北の阜平県西柏坡村まで来たとき初めて
王実味らの死を知ったとき、賀龍に向かって「王実味を返してくれ、彼に
どんな罪があったのか」とわざとらしく叫んだという。
革命作家にして、マルクス・レーニン原典の優秀な翻訳家や、毛沢東が自ら
起こした延安整風の誣告・迫害の犠牲となって殺されたので
ある。毛沢東は賀龍に向かって泣いてみせたが、毛が1976年に死ぬまで、
王実味は中共中央のあらゆる文書と党史教材で「トロッキスト分子」「国民党
特務」の罪名を着せられたままだった。1988年になって初めて、党中央
が彼を「潔白、革命、忠誠」として名誉回復したのである」