06/03/06 21:44:29
>>192
たしかに、そういう絶対精神に閉じ込められるありかたってのは、結局黒田の
精神に閉じ込められて、教会の権威を拡大していく使徒になるってことを意味
するんだろうけどね。息苦しいことこのうえない。
でもさ、広松の学知と憶見との対話による弁証法的な発展の構図っていうのも、
主体としての精神とか物質ということは立てないにしても、結局、現実の矛盾が
対話的構制によって解決され、「われわれ」がレベルアップしていくことになって
いくわけじゃない。もちろん、われわれはほんとは「共同主観」みたいな実体化
されたものじゃなく、間主観的に成立するものなんだけど、例えば「党」とか「中央」とか「指導者」とか
実体化されて、全ての経験が物象化された主体の成果として回収されていく構図に
なっていく可能性をもっていると思うんだよ。っていうか、実際そういうふうに
使われたと思うけどね。