中央集権・最適工業社会の繁栄と限界at ECO
中央集権・最適工業社会の繁栄と限界 - 暇つぶし2ch100: ◆EYAdXfgv.Q
05/05/29 18:54:58


/// 工業モノカルチャー社会 62 //////

 日本が、本当に「豊かさ」を実感できる国になるためには、より多様な供給を許し、
より多くの選択の自由を可能にしなければならない。だが、それは、工業モノカルチャー
社会としての利点、「最適工業社会」をある程度放棄することをも意味している。
規格大量生産型工業の発展拡大によって経済的に成功を収めた日本が、あえてそれに
踏み切れるか否かは、「平成の日本」の重大な課題である。日本がいま、この二十世紀の
末に、そのような「最適工業社会」を形成しているのは、日本国土の風土、そこに
生きた日本人の歴史、そしてそれらが生み育てた日本文化の長い伝統に由来する
ことだからである。

///////////////// 講談社文庫 ///







101: ◆EYAdXfgv.Q
05/05/31 19:58:42

/// 工業モノカルチャー社会 63 ///////

 未来を考えるときには、まず現在を知らなければならない。現在を知る
ためには過去を探らなければならない。日本の未来を考えるためには、
この国の由来を見きわめるべきだ。国際的な位置づけにおいても国内的な
体制改革においても、きわめて重大な時期にさしかかったいまこそ、
「日本とは何か」を、われわれ日本人は見つめ直してみるべき秋だろう。・・・・・

/////////////// 「日本とは何か」 ///







102: ◆EYAdXfgv.Q
05/06/03 19:45:16

/// 講談社文庫 ///////////////

    堺屋太一著 「日本とは何か」, 1991年 講談社発行
    講談社文庫, 税込価格:\580, ISBNコード: 4061855948

URLリンク(www.bk1.co.jp)
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///////////// 絶賛発売中!///







103: ◆EYAdXfgv.Q
05/06/05 21:47:35

/// 日本における「文明の犯人」 1 ////

堺屋太一著 「日本とは何か」 講談社 1991年刊 講談社文庫,
税込価格:\580, ISBNコード:4061855948 より

第五章 文明を左右してきた資源と人口

・・・・・
    日本における「文明の犯人」
        外国文化を取捨選択する習慣

 ・・・・・始代から中世に至る世界の文明の能様を追ってみたのは、ほかでもない。
日本の文化、日本人の性格を考えるうえで、この国の「文明の犯人」、資源環境と
人口と技術の関係を整理してみたい、と考えたからである。

////////////////// 堺屋太一著 ///







104: ◆EYAdXfgv.Q
05/06/06 23:06:28

/// 日本における「文明の犯人」 2 ////

 何度も指摘しているように、日本は島国だ。それも周辺の地域とは「狭くない海」で
隔てられた「半孤島」である。だから、文化や文明、技術、情報、それに少数の
人々が入ってくることは古くから可能だったが、資源を大量に運ぶことも、大人数の
集団が一挙に移動してくることもなかった。絹糸や陶磁器を持ってきたり、銅や銀を
持ち出したりすることはできても、大量の燃料や食糧を輸出入することは明治以前の
日本ではあり得なかった。つまり、資源環境でも人口動態でも、ほぼ日本列島の
内部で完結していたわけである。その意味で日本は、一種の実験室的な国だった
といえるだろう。

////////////// 「日本とは何か」 ///







105: ◆EYAdXfgv.Q
05/06/09 21:33:59

/// 日本における「文明の犯人」 3 ////

 ただ技術や思想だけは、他の諸国以上に外国に依存していた。したがって
日本は、資源環境と人口動態の異なる場で生まれた技術や思想を利用する
ことになる。そのことが、日本の発展を特殊なものにした。
 日本に大陸の進んだ技術や文化が入り出したのは、この国の歴史がはじまる
以前のことらしいが、本格的な流入は四世紀頃はじまったと見てよいだろう。
灌漑、農耕、冶金、工芸、建築などの新しい技術が、仏教や儒教などの思想
とともに、帰化人によってもたらされ、土地と資源の開発が急速に進み古代国家が
形成される。これによって日本は、遅ればせながら始代から古代に転換する
農業革命を経験したのだ。

/////////////////// 1991年刊 ///






106: ◆EYAdXfgv.Q
05/06/13 20:36:03

/// 日本における「文明の犯人」 4 ////

 それまでの日本にも、いくつかの小地域的な「政権」があった。最近の発掘で
「大和王朝」の形成は三世紀に遡ると見られるようになったが、統治力が及んで
いたのは河内平野と大和盆地ぐらいで、その周囲はまだ未開といってよい状態だった。
そしてそれとは別に北九州や出雲にも小勢力があり、越前あたりにも何らかの
政治勢力があったらしい。自然の水流によって米作を行っていた程度では、
いずれの政権でも資源の量も限られ人口も少なかったことであろう。
 そこへ中国から朝鮮半島を経由してどんどん新しい技術が入ってくる。新技術を
持った人々が帰化人として流入する。このため、飛鳥時代後半から土地開発が進み、
関東以西が統一された。この結果、日本は人口の割には物財の豊富な時期を
経験することになる。それが頂点に達したのは、おそらく奈良時代の初期であろう。

///////////////// 講談社文庫 ///







107: ◆EYAdXfgv.Q
05/06/17 21:49:13

/// 日本における「文明の犯人」 5 /////

 このため、奈良時代には華やかな大型文化が花開いた。西暦七四七年に
着工された世界最大の銅溶着像・奈良大仏は、その成果をいまに伝えている。
 大仏建立時の東大寺は、現在見るものよりもはるかに大きかった。大仏殿は
いまの二倍ほどの容積だったし、その左右には九十メートルを超える七重の塔が
あったという。全国の人口が五百万人以下だった当時としては、何とも凄いものを
つくったものだ。しかもそれは、日本古来の文化とは正反対に、建物は朱塗り
仏像は金箔貼りというきらびやかなものだった。奈良時代の日本人は、いかにも
古代文明的な物財誇示の好みを持っていたのである。

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108: ◆EYAdXfgv.Q
05/06/22 21:21:19

/// 日本における「文明の犯人」 6 ////

 しかし、この頃すでに先進国の中国では古代文明が衰退して久しく、宗教的な
社会主観の社会、つまり中世が完成していた。このため、日本への技術の流入も
一通りのことがすむと中断する。そのうえ、これと一緒に流入した思想はいかにも
中世的で、古代文明にあこがれる日本人には受容し難いものが多かった。
素晴らしい先進国で普及しているのだから、よいはずだと思ってみても、どうにも
納得ができない。ごく一部の外国かぶれが感心するだけで、一般庶民にはなじめ
なかった。
 このことから日本人は、外国文化のある部分を受容し、他の部分を峻拒する
選択の習慣を身につけた。古代の日本人は、中国文化の熱心な模倣者であり、
多くのことを中国に学んだが、同時に、他の国々には例を見ないほどの頑固な
拒否者でもあった。

////////////////// 堺屋太一著 ///







109:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
05/06/25 21:29:28

/// 日本における「文明の犯人」 7 ////

 たとえば「宦官」は中国文化の重要な一部であり、朝鮮や西域はもちろん、遠く
ペルシャやビザンチンにまで拡がった。しかし、日本だけはこの制度をついに
入れなかった。遊牧社会の経験がない日本には去勢の技術がなかったからだという
説もあるが、それだけとは思えない。銅の溶着技術を学んで四十年間で世界最大の
大仏をつくったほど技術習得力の高い日本人が、去勢の技術だけは学べなかった
はずがない。日本人はその習慣を真似ること自体を拒否したのだ。
 日本人が拒否した中国文化のなかには、道教思想や易姓革命、同姓不婚、
科挙の制度、北宋画および肉食の習慣などがある。もし日本が、もう五百年早く、
中国において古代文明が栄えていた漢代に農業革命を起こす状況になっていたと
すれば、より多くのことを中国に模倣したかも知れない。

////////////// 「日本とは何か」 ///






110:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
05/06/29 19:24:04

/// 日本における「文明の犯人」 8 ////

        短かった日本の「古代」

 日本が農業革命を進めたとき、先進国・中国は既に中世に入っていた。この時期的
ズレは、日本人に外来文化を取捨選択する習慣を身につけさせただけではなく、
外来文化の「日本化」をも義務づけた。物財が多いことに幸せを感じる古代的発想に
立っていた飛鳥・奈良時代の日本人には、神仙思想や仏教思想にどっぶりと浸った
隋・唐の中国思想は、そのままでは受け入れられなかったからだ。
 このため、奈良時代も末期になると、中国文化のなかから受け入れやすいものを
選んで日本化する動きが強まり、独自の日本文化へと昇華していく。日本人が漢字で
日本語の発音を書き写すことに満足せず、これを簡略化して表音化する仮名文字を
早々とつくり出したのは、その現れである。

/////////////////// 1991年刊 ///






111: ◆EYAdXfgv.Q
05/07/03 19:26:02

/// 日本における「文明の犯人」 9 ////

 しかし、その半面では、中国と日本との文化発展時期の大きなズレは、日本の
古代を急激で短いものにもした。学ぶべき師・中国が新しい技術開発を停止
していたため、蓄積された技術群を学び終えると、それ以上の新技術が入らなく
なってしまったからだ。その頃、中国で発達していたのは、日本人には分かり難い
社会主観、つまり宗教的思想の深化だったのである。
 八九四年、菅原道真の提議によって、日本は遣唐船を廃止する。このとき、
菅原道真は、「もはや中国へ行っても買うものがない」といっている。「学ぶべき
新しい文化が生まれていない」という意味だ。それからの三百年間に、中国から
もたらされた主要な文化は、禅に代表される非生産的宗教思想であった。

///////////////// 講談社文庫 ///






112: ◆EYAdXfgv.Q
05/07/10 21:10:32

/// 日本における「文明の犯人」 10 ////

 だが、その間にも日本の人口は急増、平安時代初期には八百万人近くになっていた
と見られている。奈良時代初期の四百万人に比べると、ほぼ一世紀の間に二倍になっ
たわけだ。このため、技術の進歩が止まり、開発可能な土地と資源が限界に達すると、
日本は資源不足社会になっていく。平安の世は、時が進むにつれて文化が小型化する
のはこのためである。
 平安時代には華やかな王朝文化が花開いたとはされているが、そこで展開されたのは、
きめ細やかな人間関係を中心とする小型文化だった。平安貴族は、物財に興味を示さず、
その生産量を拡大するための施策も採らなかった。彼らの多くは、整った律令制政府
機関の高官だったが、その関心はもっばら主観的美意識の世界に注がれていた。

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113: ◆EYAdXfgv.Q
05/07/16 21:57:45

/// 日本における「文明の犯人」 11 //////

 『源氏物語』の主人公光源氏は、この時期の典型的な貴族像であったろう。
右大臣の要職にありながら、ただただ美意識の世界に耽溺した光源氏の生き様は、
清談にうつつを抜かした晋の司徒(首相)王衍を思わすものがある。「古代」と「中世」
とを、文化の態様と人々の意識によって分けるならば、少なくとも平安時代前半には
日本の中世がはじまっていたというべきである。
 つぎにこの国で資源が豊富になり、モノ余りの社会が実現するのは十六世紀の
戦国時代だ。室町時代の中頃、十五世紀後半になると、また中国から新しい技術が
入ってきた。それは中国の「亜近代」ともいうべき宋代に完成された技術群である。

///////////////////// 堺屋太一著 ///






114: ◆EYAdXfgv.Q
05/07/22 19:47:44

/// 日本における「文明の犯人」 12 ////

 その第一は、沼地から水を抜いて水田に変える排水技術、あるいは山地に水を
供給する高度な灌概技術である。次には新しい作物が流入する。さつまいも、
木綿、莱種、いんげん豆などだ。この二つが相まって、これまで農地に適さないと
思われていた土地が耕作に活用されるようになり、可農地が大幅に増えた。
 こうした新しい技術によって開発された土地の生産力を背景にして、各地の地主
(豪族)が勢力を伸ばし、自立した領主として領地経営に当たるようになる。
室町幕府の中世的支配が崩れ、実力のある者が勢力を拡げる下克上の時代が
はじまったのだ。そしてそのことがまた、組織の強化と人材の発掘となり、一段と
経済を盛んにした。

////////////// 「日本とは何か」 ///






115:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
05/07/22 23:37:11
工業モノカルチャー社会に続いて、文明の犯人とやらも
これから60近くまで貼られるのかー。

116:アポロン
05/07/22 23:47:10
しかし全国的にエコロジー創生、人間的ゆとり潤い創生を無理無く
進めるためには最低でも5%の経済成長が必要であると考える。
お金も無い、技術も無いではエコロジーの創生はできないからだ。
できるなら10%前後の持続的経済成長が望ましい。


117: ◆EYAdXfgv.Q
05/07/28 20:02:35

/// 日本における「文明の犯人」 13 /////

 十六世紀になると、各地の豪族たちは競って新技術を導入し、土地を開発し、
利水施設を建設する。ちょうどその頃には、坑木で支えて深いところまで鉱石を
掘る鉱業技術も入ってきた。精錬や冶金の技術も進んだ。十六世紀後半になると、
これに南蛮の技術も加わった。なかでも重要なのは「金銀吹き分けの術」と
いわれた水銀精錬法である。このお陰で日本の金銀銅の生産量は大幅に伸び、
貨幣用金属が十分に蓄えられた。これが土地開発による農業生産の増加と
相まって商業の発展を促し、適地適産を進めた。

///////////////////// 1991年刊 ///






118: ◆EYAdXfgv.Q
05/08/04 23:29:53

/// 日本における「文明の犯人」 14 ////

 織田信長が関所を廃して「楽市楽座」を行ったのは、増大する商業需要に
対応した政策だった。当初はそれを秩序の破壊と恐れた畿内の商人たちが、
数年後には熱烈な信長支持に転向するのも、統一市場の形成による巨大な
利益を実感したからであろう。逆に将軍足利義昭や本願寺が反信長になったのは、
その政策の革新性が旧勢力全体の基盤を滅ぼすものだったからである。

//////////////////// 講談社文庫 ///






119: ◆EYAdXfgv.Q
05/08/06 23:08:03

/// 日本における「文明の犯人」 15 //////

        日本のルネッサンス - 戦国時代

 「戦国時代」といえば、とかく弱肉強食の戦乱の世と思われ、か弱い
庶民は武将の野心と強欲に苦しんだ悲惨な時代という印象を持たれがちだが、
けっしてそればかりではない。下克上の乱世を呼び起こしたのは技術の
進歩と開発の進展による経済力の拡大であり、生活の向上と人口の
増加であった。

///////// 講談社より絶賛発売中! ///






120: ◆EYAdXfgv.Q
05/08/11 18:55:27

/// 日本における「文明の犯人」 16 ////

 確かに戦争は多く、その都度、家を焼かれ田畑を荒らされ、暴行殺害を
受ける百姓も多かったが、それとて、それ以前の時代の野盗乱輩の被害
よりはましだった。当時は庶民百姓といえどもけっしておとなしい被害者
ではなく、ときには武士になり、ときには落武者狩りをする大胆で獰猛な
集団だった。「本能寺の変」で織田信長が殺されたというだけで、たちまち
各地の地侍や百姓が猛り拉ち、堺から伊勢に出ようとした穴山梅雪の一行は
殺されたし、甲斐にいた河尻秀隆は城ぐるみ潰された。まだ、武士と農民の
区別がはっきりしていなかったのだ。

////////////////// 堺屋太一著 ///






121:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
05/08/13 10:11:53
民主「政権500日プラン」 官僚登用、政策協力迫る
2005年08月13日

 民主党が政権を獲得した後の政権移行の手順を示した「岡田政権500日プ
ラン」の全容が12日明らかになった。局長以上の官僚は、新政権の基本方針
に協力を誓約することを条件に9月末までに任命する。マニフェスト(政権公
約)を「霞が関」に浸透させる狙い。省庁などの無駄遣いにメスを入れる「行
政刷新会議」と、予算の大枠を決める「国家経済会議」を新設。ともに首相が
議長に就く。予算編成の見直しも首相主導で進める。
 同プランによると、総選挙で単独過半数が取れた場合、投開票日翌日の9月
12日午前、首相・官房長官の予定者と幹事長らによる「政権移行委員会」を
発足させ、政権公約に基づく「新政権運営に関する基本方針」を決定。各省庁
の事務次官らに示し、協力を求める。
 第1週内に首相官邸の首相補佐官、首相秘書官ら前政権を支えたスタッフは
全員入れ替える。
 各省の局長以上の人事にも着手。「原則として基本方針に賛同・共鳴し、真
の国益のため情熱を傾ける人材を登用」する方針を掲げた。同意しない幹部は
異動させる。
 一方、首相を議長とする「国家経済会議」は、01年の中央省庁再編で設け
られた「経済財政諮問会議」を衣替えして設ける。経済財政担当の首相補佐官
(閣僚級)を事務局長とするほか、民間メンバーは専任の国家公務員とする。
諮問会議について同プランは「メンバーが非常勤だったため、(議論を)実質
は官僚組織が牛耳る傾向があった」と批判している。
 首相主導で「予算の大枠を決め、その枠内で予算の細目が決定されるような
予算編成方式」を目指す。来年度予算の概算要求基準は白紙にし、年内編成に
とらわれずに民主党の独自の予算編成に着手するとしている。
 「行政刷新会議」は首相を議長とするほか、企業再生の実績がある経営者、
会計・財務などの専門家らで構成する。

URLリンク(www.asahi.com)

122: ◆EYAdXfgv.Q
05/08/13 22:41:32


/// 日本における「文明の犯人」 17 ////

 経済の発展は、人口の増加をもたらした。平安初期から室町中期まで
日本の人口は大して増加せず「応仁の乱」の頃もまだ八百万人前後だった。
ところが、この頃から顕著に増えはじめ、一六〇〇年の関ケ原合戦の頃には
千六百万人に達していたという。百年余りの間に、ほぼ二倍になったわけだ。
そのうえ生産性も向上、国民総生産はこの間に約三倍になったと見られている。
一人当たり国民所得は、一・五倍に増えたわけだ。
 こうした人口の増加と物的生産の拡大を基礎として、専業武士が生まれ、
商工業が発展し、日本は再びモノ余りの時代を迎えた。信長や秀吉の下劣な
までの物欲は、この時代の日本人が光源氏とは逆の形而下的発想を持っていた
ことを示している。

/////////////// 「日本とは何か」 ///






123: ◆EYAdXfgv.Q
05/08/16 22:41:17

/// 日本における「文明の犯人」 18 ////

 豊かな余剰生産物を収奪した権力者たちは、きらびやかな大型文化を開花させた。
建造物は急速に巨大化し、絵画はきらびやかな金貼りとなり、武具は自己顕示の
装飾で埋め尽くされる。安土・桃山文化といわれる絢燗豪華な大型文化時代である。
 十六世紀は、ヨーロッパでは「ルネッサンス」と呼ばれ、古代の合理精神と写実美術が
復興した時期として栄光を以て描かれている。しかし、政治的に見れば写実美術の
花を咲かせたイタりアでも、宗教革命を進めたドイツでも、小国分裂の慢性的戦争状態
にあり、当時の日本よりもはるかに残酷な破壊と悪辣な陰謀が渦巻いていた。
戦国時代の日本も似たような状況にあったのだが、この国では経済の発展や技術の
進歩文化の革新よりも戦乱のほうを重視して「戦国時代」と呼ばれている。それも
この国には、派手な戦争が少なかったためであろう。

//////////////////// 1991年刊 ///





124: ◆EYAdXfgv.Q
05/08/20 22:29:58

/// 日本における「文明の犯人」 19 ////

        成長志向に支えられていた豊臣家の組織

 こうした戦国時代に生きた人々は、物財の豊かさに幸せを感じ、それを求める
成長志向が強かった。そしてそれの強い人物が成功し、強い組織が発展した。
その象徴が豊臣秀吉でありその組織・豊臣家である。
 およそ日本史上に、豊臣家ほどの急成長組織はほかにない。もとはといえば
尾張中村郷の貧しい百姓の子倅の「猿」が、織田信長に仕えて三十年余りで
天下を取ったのだから凄まじい。今日でいえば中学卒の落ちこぼれが、
中小企業に入社、その企業の成長とともに出世し、やがて子会社の責任者から
世界有数の大企業の創業者になったようなものだ。

/////////////////// 講談社文庫 ///






125:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
05/08/20 22:48:02
国策で大阪から経済を吸い取らなければ(例えば金融関係の東京集積とか)
今ほど一極集中にはならなかったんじゃないか?
東京と大阪の差は高度経済成長の時から開き始めたらしいし、東京はここ30年
程度で急激に巨大化してきたんだろう

126:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
05/08/22 13:22:53

⇒世代間の大きな希望格差を、この選挙で絶対に解消させよう!!

  社会保障の世代間格差8100万円に・財総研が報告書

   財務省の財務総合政策研究所は17日、現行の社会保障制度の
   問題点や改革の方向性などを盛り込んだ報告書をまとめた。
   生涯賃金を3億円とし、年金、医療、介護を合わせた世代間格差
   を試算。保険料負担より給付が多い1940年生まれと、逆に給付が
   少なくなる2005年生まれとで8100万円の差が生じるとした。

 ⇒”いやらしい票集め”に励む馬鹿な政党ではなくて、これからの
   『若者』のことを真剣に考える政党にこそ、投票しよう!!


127: ◆EYAdXfgv.Q
05/08/23 22:40:26

/// 日本における「文明の犯人」 20 ///////

 当然、その組織も拡大したし、組織構成員も出世した。それだけに、秀吉自身も
その家来たちも成長志向に燃えていた。はじめは貧乏足軽で足軽頭の秀吉に
仕えた人たちが、次々と大将になり一城一国の主となった。とくに秀吉が近江長浜
五万石の大名になった頃からは連戦連勝、出世は目の前にぶら下がっているかの
ようだった。そんななかで育った若者たちが、しっかり働き手柄を立てれば、必ず
加増されるという成長期待を持ったのも当然だろう。秀吉の家来の逸話のなかには、
成長志向を賞賛する物語がじつに多いのである。

/////////// 講談社より絶賛発売中! ///






128: ◆EYAdXfgv.Q
05/08/27 21:58:55

/// 日本における「文明の犯人」 21 ////

 たとえば、石田三成だ。彼は十五、六歳で秀吉の小姓となり、二十歳代にして
近江水口四万石の殿様になった。このとき秀吉は、切れ者の石田三成が
おもしろい家来を集めているに違いないと期待し、一ヵ月ほどしてから聞いてみた。
「佐吉や、そろそろ家来は集まったかな」
 佐吉というのは三成の幼名である。これに対して、三成は、
「お陰さまでようやく一人だけ……」
 と答えた。
「四万石もやったのに、まだ一人しか傭っていないとは何ごとか。その一人とは誰だ」

////////////////// 堺屋太一著 ///






129: ◆EYAdXfgv.Q
05/09/03 23:11:15

/// 日本における「文明の犯人」 22 /////

 そういった秀吉に、三成は胸を張って答えた。
「島左近にござります」
 島左近は大和の筒井順慶の家老だったが、順慶の死後浪人となったが
隠れもない当時の名士、多くの大名が十万石で抱えようとしたのを断りつづけた
といわれるほどの男である。しかも、年齢は石田三成よりは二十歳も上だった。
「あんな有名人が、たった四万石のお前のような若造によく仕える気になったな。
お前はいったい何石やった?」
「二万石をやりました」
 四万石のうち二万石やれば、石田三成には二万石しか残らない。さすがに
秀吉も、「古来、殿様と家来の禄高が同じとは聞いたことがない」
と驚くと、三成は、

//////////////// 「日本とは何か」 ///






130: ◆EYAdXfgv.Q
05/09/07 23:54:04

/// 日本における「文明の犯人」 23 ////

「いや、それはこの次、左近を使って私は手柄を立て、十万石に御加増
いただく。さすれば釣り合いが取れまする」
 と答えたという。
 この話は石田三成が人材を非常に大切に、優れた人材のためには禄を
惜しまなかった美談とされているが、もう一つ重要なことは、次に手柄を
立てて加増されることを前提にした人事方針、成長志向の経営思想だ。
 この傾向は石田三成にかぎらず、豊臣秀吉や織田信長の家来には多く
見られる。秀吉の組織が強かった原因の一つも、次の成長を前提として
現存収入以上の人数を集めたところにある。現代風にいえば、強気の
先行投資をやっていたわけである。

/////////////////// 1991年刊 ///






131: ◆EYAdXfgv.Q
05/09/09 21:09:41

/// 日本における「文明の犯人」 24 ////

        「人事圧力シンドローム」による朝鮮出兵

 ところが秀吉が天下を取り、小田原城が落ち九戸の乱を治めて、九州、
東北の先まで平定すると、武士の世界にはもう成長の余地がなくなった。
成長を前提にした経営を行っていた各大名家も、その家来たちもはたと困った。
いまのサラリーマンが、毎年、定期昇給があることを前提にしてローンを
組んでいたのに、急に成長が止まり、昇給が望めなくなったのと同じである。
企業全体としては、先行投資で完成した施設が、国内市場の限界で
稼働できない状況といってもよい。

/////////////////// 講談社文庫 ///






132: ◆EYAdXfgv.Q
05/09/18 22:10:30

/// 日本における「文明の犯人」 25 ////

 では、どうすればよいか。豊臣家臣団ではさまざまに議論があったが、
結局は「日本が満杯なら朝鮮へ行こう」ということになった。今日の企業で
いえば「国内市場が満杯なら海外に輸出を」というのと同じである。
 じつは、これが成長組織の陥りやすい「人事圧力シンドローム」現象である。
最初に内部の人事的理由から「何か新しいことをしなければならない」と
決めてから、できそうな事業を選ぶから、悪い事業にでも飛びつくのである。
 一九九一年に生じた「バブルの崩壊」もこれに似ている。高度成長に
慣れた各企業は、余剰資金と余剰な人材を不動産や株式の投資に集中、
ずさんな開発計画に入れ揚げた。とにかく何かをしなければ、企業の成長と
人事のローテーションが回らなくなっていたのである。

//////// 講談社より絶賛発売中! ///






133: ◆EYAdXfgv.Q
05/09/20 21:13:26

/// 日本における「文明の犯人」 26 ////

 こうした現象は、これから日本の企業では、まだまだ起こるだろう。企業内に
人が溢れ、大卒の社員がだんだん高年齢になる。それに役職を与えるためにも、
定期昇給をつづけるためにも、成長は不可欠だ。結果としては、「比較的まし」
と思われる事業計画を選ぶ。そしてそれはたいていの場合、これまでの
成功体験をくり返す古い方法である。
 豊臣秀吉の試みた新規事業・朝鮮出兵も、軍事的に領土を拡げる古い方法
だったが、結果は大失敗だった。これが契機となって家臣団は分裂、豊臣家は
滅びてしまう。武士社会の成長時代は、百年ほどで終わったのである。

////////////////// 堺屋太一著 ///






134: ◆EYAdXfgv.Q
05/09/26 23:56:53

/// 日本における「文明の犯人」 27 ////

        成長意欲のある大名を潰した家康

 ゼロサム社会で成長を望む者が現れると、安定が失われる。そのことを
知っていた徳川家康は、これからは成長を期待すべきでないことを、武家社会に
徹底的に教え込む必要を痛感した。そのために家康は、いささかでも成長意欲
のある大名は潰した。
 まず福島正則が潰される。関ケ原の合戦では最大の功労者として、安芸と
備後四十七万石の大名になった正則を一難くせとしかいいようがない理由で
取り潰してしまう。ほんとうの理由は、この男に強い成長志向があったこと、
そしてそういう者は潰されることを、世間に知らせるためであったろう。

////////////// 「日本とは何か」 ///






135: ◆EYAdXfgv.Q
05/10/02 20:15:18

/// 日本における「文明の犯人」 28 /////

 関ケ原の合戦で西方についた大名は、敗戦によってほとんどが取り潰されるが、
そのとき、禄高は減っても生き残った者は、その後で潰されることはまずなかった。
上杉、毛利、佐竹、立花などは禄高が一度は減るが、爾後は長く安泰だった。
鍋島や島津に至っては、ほぼ旧領安堵の形である。
 家康と二代将軍秀忠が元和以降に潰したのは、関ケ原の合戦において、
忠勤これ努めた人々である。
 もともと徳川家に反抗した大名を潰しても、「昔の怨み」と見られるだけだが、
忠義な者を潰すと、その理由をみんなが考える。それによって家康は、
成長志向を持つことがいかに危険か、実物教育をしたかったのだ。

///////////////////// 1991年刊 ///






136: ◆EYAdXfgv.Q
05/10/05 22:00:15

/// 日本における「文明の犯人」 29 ////

 現在でも、中小企業のいくつかが倒産した程度では、誰も驚かない。
バブル経済の崩壊、土地神話の消滅を顧うのなら、「絶対に大丈夫だ」、
「まさか政府も見捨てられまい」、と思われている一流大企業が、ただ
土地投機という理由だけで倒産したなら、世の中は非常に衝撃を受けて、
各企業とも二度と土地投機には手を出さなくなるだろう。それを家康は
意図的にやったのである。

/////////////////// 講談社文庫 ///






137: ◆EYAdXfgv.Q
05/10/10 20:38:07

/// 日本における「文明の犯人」 30 ////

 福島正則、加藤清正、加藤嘉明ら、豊臣恩顧の大名でありながら
関ケ原では徳川に加担して働いた人々の家をつぎつぎと取り潰した。
なかでも悲劇的なのは、最上義光だ。この大名は徳川家康に忠実で、
関ケ原の合戦のときには上杉景勝の軍隊を一手に引き受けて大奮戦、
多くの犠牲者を出した。しかも最上義光は、長男が豊臣秀吉に乞われて
大坂城に在って豊臣秀頼と親しかったというだけの理由で殺してしまう。
徳川家康も、織田信長に武田と内通する嫌疑をかけられた長男の
信康と妻の築山殿を殺しているが、最上義光の場合はもっと極端だ。
嫌疑のかかる前に息子を切腹させたのだから。

//////// 講談社より絶賛発売中! ///





138: ◆EYAdXfgv.Q
05/10/16 18:38:49

/// 日本における「文明の犯人」 31 ////

 それほどの忠勤を励んだ最上義光の家を、家康はあえて取り潰した。
最上家には戦国の覇気、つまり成長意欲があると見たからである。
 さらに家康は、武士がヒゲを生やすことも好まなかった。もともとヒゲは
強く見せるために生やすものと見られていたが、強く見せようなどという
考え自体、戦場での武勲を求める成長意欲の発想である。
 このため、大名はみなヒゲを剃り、かえって間が抜けたように見せようと
努めた。加賀百万石の前田家三代目の殿様前田利常のごときは鼻毛を
伸ばしてその先にトンボをつけて歩いた、というエピソードまである。

////////////////// 堺屋太一著 ///






139: ◆EYAdXfgv.Q
05/10/21 21:27:02

/// 日本における「文明の犯人」 32 ////

 ここまで成長意欲を禁止されると、「武士は何のために生きるのか」
という疑問が湧いてくる。
 これに最初の解答を与えたのが鈴木正三(江戸前期の仮名草子作者)だった。
彼は、「武士は物欲を捨てて精神修養に努めるべきだ」という哲学を打ち出した。
 おそらく鈴木正三は、この発想を儒教のなかから考え出したのであろう。
朱子学以降の儒教は、勤勉を奨励するが、その勤勉とはけっして物的生産を
励むことではない。学問的勤勉さや礼法への忠実など、物的生産以外のことを
勧めている。この学説を興した朱熹(茱子の本名。一一三〇年~一二〇〇年)が
生きたのは、中国亜近代の末期の商宋時代、成長が期待し難くなった頃だった
ことは注目に値する。

//////////////// 「日本とは何か」 ///






140: ◆EYAdXfgv.Q
05/11/01 21:27:47

/// 日本における「文明の犯人」 33 ////

 鈴木正三の考えは、徳川幕藩体制下での武士階級には一つの解答と
なった。彼らはもともと生産的な階級ではない。したがって、物質的な豊かさを
競わなくとも、剣の腕や儒学の教養を評価されれば、武士社会ではそれなりの
名誉を得ることができた。幕府はそれに応じるように、物財の豊かさ(禄)と
権限の大きさ(権)と格式の高さ(位)とを別個のものとし、それぞれに
ある程度の満足と不満を分かち合う制度をつくっていく。禄は外様の大名が多く、
権は幕閣に加わる旗本に強く、位は京の公家が高い。物財の豊富な時代から、
それが乏しい時代への転換が、支配階級としての武士社会から用意された
わけである。

///////////////////// 1991年刊 ///






141: ◆EYAdXfgv.Q
05/11/08 21:07:16

/// 日本における「文明の犯人」 34 ///////

    日本的勤勉とソフトウェア文化

        商家の家訓にはゼロサム社会での生き方

 しかし、この時期(幕初)には、経済はまだ急成長をつづけていた。戦乱の
終焉と社会の安定によって、軍事に投入されていた資金と人材が土地開発や
商業活動に投入された結果、経済は発展し人口は増加した。一六〇〇年の
関ケ原合戦から元禄中頃までの約百年間に、またしても人口が二倍近くになり、
国民総生産が三倍になったと見られている。

///////////////////// 講談社文庫 ///






142: ◆EYAdXfgv.Q
05/11/14 21:36:02

/// 日本における「文明の犯人」 35 //////

 しかし、この成長も元禄中頃をピークに急速に終焉する。技術の停滞と
資源供給の限界から、投資対象がなくなったのだ。これによって、経済界
つまり町人の社会にもゼロサム現象が現れた。
 その結果、第一にカネ余り現象が出現、金利が下落する。徳川時代には
高利貸しが多かったが、信頼できる投資対象への貸出金利はじつに安い。
享保以降になると、当時のプライムレートともいうべき大名貸しは三パーセント
以下、はなはだしいときにはニパーセントをさえ下回った。効率のよい開発
プロジェクトがなくなったからだ。つまり、ヒト余りモノ不足になったのである。

////////// 講談社より絶賛発売中! ///






143: ◆EYAdXfgv.Q
05/11/22 22:28:13

/// 日本における「文明の犯人」 36 /////

 第二に猛烈な不況が起こる。元禄末期から宝永にかけて景気は下り坂となり、
華やかな楽観主義は姿を消し、悲観的厭世的な気分が流れる。近松門左衛門の
心中ものが流行したのもこの時代だ。それはやがて享保の大不況、大飢饉へと
つづいていく。
 第三には、町人社会でも成長志向潰しが起こる。新興成金の紀国屋文左衛門、
奈良屋茂左衛門が倒産、投獄の憂き目を見たし、戦国以来の老舗・淀屋辰五郎も
闕所(財産没収、大坂追放)の処罰を受けた。「その贅沢目にあまる」という、
あいまいな理由だった。

//////////////////// 堺屋太一著 ///






144: ◆EYAdXfgv.Q
05/11/28 21:57:32

/// 日本における「文明の犯人」 37 ////

 町人はもともと豊かさを求める階級であり、資産の多寡でこそ評価が定まる
人々だ。それにもかかわらず、社会全体としての成長性は乏しくなり、資産を
蓄え生活をエンジョイすることが悪となれば、深刻な問題に突き当たる。
経済経営の次元だけではなく、人間はいったい何のために働くのか、商人たる
者は何故に勤勉であらねばならないか、という人生論的哲学問題が起こってくる。
元禄末期から享保にかけて約五十年間、日本の町人社会はこの問題を
前にして七転八倒の苦悩を味わう。

/////////////// 「日本とは何か」 ///





145: ◆EYAdXfgv.Q
05/12/08 22:01:50

/// 日本における「文明の犯人」 38 ////

 この間に多くの商家に家訓が生まれた。鴻池家訓や三井家訓などは、この
時代期のはじめに書かれたものだ。したがって、これらの家訓は「守りの教訓」、
つまりゼロサム社会のなかで見失われがちな商人道徳と生き残り策とを主眼
にしている。なかでも強調されているのは、贅沢を戒め、怠慢を叱り、人間関係の
たいせつさ、つまり不況に備えての財貨の蓄積と勤勉慣習の維持と忠誠心の
確保をすることだ。

///////////////////// 1991年刊 ///






146: ◆EYAdXfgv.Q
05/12/14 23:58:11

/// 日本における「文明の犯人」 39 ////

 たしかに個人または一商家としては、その通りであろう。しかし、みんなが
勤勉に働き、みんなが倹約したら、経済のマクロ・バランスが崩れることも
明らかだ。日本国全体としては、生産ばかり増えて需要が著しく不足する。
つまりミクロの正義がマクロの不幸を招く「総合の誤謬」が生まれてくる。
 賢明にも日本人は、この矛盾に早々と気づき、それをどう解決すべきかに
苦しんだ。じつはこれは、古代末期、西暦二世紀から五世紀にかけて、
地中海世界や中国の人々が遭遇した問題である。その結果、彼らは物的な
豊かさよりも内面的充実を図る宗教へと流れていった。日本の場合にもそうした
動きはあった。その典型は、伊藤身禄が提唱した富士講である。

//////////////////// 講談社文庫 ///





147: ◆EYAdXfgv.Q
05/12/23 19:20:15

/// 講談社文庫 ///////////////

    堺屋太一著 「日本とは何か」, 1991年 講談社発行
    講談社文庫, 税込価格:\580, ISBNコード: 4061855948

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148: ◆EYAdXfgv.Q
05/12/24 21:09:06

/// 日本における「文明の犯人」 40 ////

        勤勉と倹約の矛盾に答えた石門心学

 伊藤身禄は、三井家と同じく伊勢・松阪の出身で、江戸に行って商家を興し、
大成功をおさめた。きわめて勤勉かつ倹約の伊勢商人の一人であったらしい。
ただこの人の他と違ったところは、みんなが一生懸命に働いて倹約すると
マクロ・バランスが崩れることに気づき、その解決を探索した点である。彼が
到達した結論は六根清浄を唱えて富士山に登ることであり、実質的な
富士講の開祖となった。

//////// 講談社より絶賛発売中! ///




149: ◆EYAdXfgv.Q
06/01/01 00:08:24

/// 日本における「文明の犯人」 41 ////

 「銭金は浮世を渡る船筏」と唱えるように、富士講はきわめて現世的な
金銭肯定の思想だが、その一方では、六根清浄といいつつただただ富士山に
登る「徒労の勧め」でもある。勤勉でありかつ倹約であることが生産過剰を
生まないためには、「徒労」をくり返すほかはないというのだから、当時の
町人たちの悩みがいかに深かったか分かるだろう。
 それでも、富士講の共鳴者は多く、一時はかなりの勢力にもなった。
しかし批判もあった。あまりにもあからさまな徒労では、積極的な解決には
ならないからである。

//////////////////// 堺屋太一著 ///





150: ◆EYAdXfgv.Q
06/01/06 22:18:28

/// 日本における「文明の犯人」 42 /////

 この問題に最終的な解決を与えたのは、石田梅岩である。この人は丹波の
出身で、京都に出て呉服屋の丁稚になったが、その呉服屋が倒産してしまう。
しかし梅岩はそれを親にもいわず、無給で丁稚をつづけていた。おそらく極度に
厳格だった父親の影響だろう。
 石田梅岩の父親は百姓だったが、梅岩が子供の頃、栗を拾って家に持ち帰ると、
その栗は山の境界線の右に落ちていたか左に落ちていたかと問いただし、
左に落ちていたと答えると、「それはウチの山のではないから戻してこい」
といって夜中に山へ行かせたという。

///////////////// 「日本とは何か」 ///





151: ◆EYAdXfgv.Q
06/01/12 22:43:24

/// 日本における「文明の犯人」 43 ////

 この父親は、梅岩が奉公に行くときも「奉公先は親と思え、親である以上は
奉公先の恥をいいふらすようなことをしてはいけない」と諭した。梅岩はその
教えを守って、奉公先が倒産したことを父親にも言わなかったのだ。結局、
何年か経って親が様子を見にきて、店は閉まり生活は極貧、さすがに憐れに
なって梅岩を連れて帰った。それからしばらく、梅岩は丹波で百姓をしていたが、
二十歳を過ぎてから、ふたたぴ京都に出て黒柳という呉服屋の丁稚になった。

///////////////////// 1991年刊 ///





152: ◆EYAdXfgv.Q
06/01/13 22:56:11

/// 日本における「文明の犯人」 44 ////

 普通、丁稚は十二、三歳からはじめ、二十歳前後になると手代に、三十歳前後で
番頭に出世する。石田梅岩は、手代になる年齢で新入の丁稚として黒柳に入った
わけだ。いまでいえば、三十歳で中卒扱いで入社した落ちこぼれのようなもの
だったろう。
 それでも延々と丁稚を務めて、やっと四十歳ほどで番頭になる。たいていの人なら、
番頭を終えて退職、一家を構えて妻帯する年頃だ。当時の商家では、番頭でも
住み込みの間は結婚できなかった。
 人生五十年といわれた時代に、四十歳近くなってはじめて妻帯できるというのだから、
徳川時代の商売人はきわめて禁欲的だ。モノ不足のゼロサム社会で安定を目指す
ためには、それが必要だったのだろう。

///////////////// 講談社文庫 ///






153: ◆EYAdXfgv.Q
06/01/15 20:02:16

/// 日本における「文明の犯人」 45 ////

 これでは女郎屋通いがはやったのも不思議ではあるまい。江戸の女郎屋は
単身赴任の武士がおもな客だったが、大坂のそれは商家の手代番頭である。
大坂には南の道頓堀に芝居小屋があり、北の新地に女郎屋があった。歓楽街を
市の真中におくと、手代や番頭がちょっとの暇に遊びに行ってしまうから、
それができないように、あえて時間のかかる南北両端においたのだ。ソフトを
考えた都市計画といえる。
 石田梅岩は長い青春をこの禁欲的な世界で過ごし、四十歳になってやっと
番頭になった。ここで彼は退職して塾をはじめるのだが、その間にいろんな
啓示を受けて、石門心学の基本を悟ったといっている。

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154: ◆EYAdXfgv.Q
06/01/20 21:25:02

/// 日本における「文明の犯人」 46 ////

        日本人の労働観、勤勉観のもとになった石門心学

 石門心学の基本は「諸業即修業」、という言葉に尽きる。すべての業 - 農業商業
など - に一生懸命に従事することは人格の修業になる。仕事は生産活動である
以前に人格の修業である、とする考えだ。
 だから人間はまず勤勉でなければならない。勤勉でなければ立派な人格は磨けない。
同時に仕事が人格修業であれば、生産効率にこだわる必要がない。つまり、勤勉と
倹約の両立を、人格養成という教育哲学に転化することで、経済的生産性を無視
するようにと説いたのである。

////////////////// 堺屋太一著 ///





155: ◆EYAdXfgv.Q
06/01/21 21:35:27

/// 日本における「文明の犯人」 47 //////

 石田梅岩の発想をまとめたことばに「人、三刻(六時間)働きて三石の米を得。
我、四刻(八時間)働きて三石と一升を得。何と素晴らしき」というのがある。
三刻働いて三石なら、一刻当たりの生産性は一石だが、四刻働いて三石と一升なら、
最後の一刻は生産性は百分の一になる。しかし、四刻働くことが人格の修業に
なるのであれば、なおかつ一升でも増えれば素晴らしい、というわけである。
 この考え方は当時の日本人の悩みに適切な解答を与えたため、急速に拡がって
いった。石田梅岩が番頭を辞めて京都で塾を開き、最初は通りに向かってただ
一人講義をやった。そのとき聞いていたのは大根をぶら下げた百姓一人だけだった、
と梅岩自身が書いている。

//////////////// 「日本とは何か」 ///




156: ◆EYAdXfgv.Q
06/01/23 21:23:00

/// 日本における「文明の犯人」 48 ////

 ところが、これがたちまちにして共感を得、三年後には大坂分校まで
できている。アッという間に全国に広まり、「石門心学」といわれる思想体系
にまで発展したのである。
 戦国時代以来の歴史と社会風潮を長々と書いてきたのはほかでもない。
この「石門心学」が、今日に至るも日本人独特の労働観と勤勉観を生み、
現在の日本の商品・サービス市場にも重大な影響を与えているからである。
 マックス・ウェーバー(一八六四年~一九二〇年)は、ヨーロッパの
資本主義精神は、プロテスタンティズムから生まれた、と指摘している。

//////////////////// 1991年刊 ///





157: ◆EYAdXfgv.Q
06/01/29 21:43:34

/// 日本における「文明の犯人」 49 //////

 中世ヨーロッパを支配したカトリックの思想は、中世のモノ不足時代に完成したため、
物財の豊富さには興味を示してはならないという「清貧の哲学」で貫かれている。
プロテスタントもマルチン・ルター(十六世紀の宗教改革者)が宗教革命の火ブタを
切った当初は単純素朴、むしろカトリック教会の権威に名をかりた金集め主義を批判
するものだった。ところが、時あたかもルネッサンス期、イタリアやスペインでは
物財に対する関心が高まり、写実美術と地理的発見が進んでいる最中だったから、
物財の生産に注目するカルビニズム(十六世紀の宗教改革)が起こり、まず「勤勉」が
肯定される。これが中世以来の清貧と結びついたから、勤勉かつ倹約の清教徒
(ピューリタン)思想が生み出された。

///////////////////// 講談社文庫 ///




158: ◆EYAdXfgv.Q
06/02/03 22:12:02

/// 日本における「文明の犯人」 50 ////

 しかし、勤勉で倹約ならマクロ・バランスがとれないのは、日本もヨーロッパも
同じだ。このため一時は、イギリスに清教徒革命を起こすほどの勢力を持った
ピューリタンも、結局はヨーロッパに住めなくなり、アメリカ大陸へ移住せざるを
得なくなってしまう。勤勉かつ倹約を唱える清教徒の安住の地は、資源が豊富で
土地が広いアメリカにしかなかったのだ。
 これに対して、新大陸への移住も輸出拡大もできなかった日本の町人は、
思考的苦闘の末に、「石門心学」に救いを見出した。ヨーロッパで勤勉にして
倹約を唱えた人々が、アメリカに渡って原始林と戦っていた頃、日本の町人たちは
勤勉に人格修業性を認め、少ない資源と土地に「一所懸命」の努力をしていたのだ。

//////// 講談社より絶賛発売中! ///





159: ◆EYAdXfgv.Q
06/02/05 17:34:29

/// 日本における「文明の犯人」 51 ////

 ところが、同じプロテスタントでも、かつてユグノー派(十六~十八世紀のフランスの
宗教改革者たち)と呼ばれた人々は、勤勉を肯定する一方で清貧を否定した。
勤勉に働き財産を築けば、それを使って大いに人生を楽しめばいいではないか、
と考えたのである。この思想も、カトリックからは大弾圧を受け、フランスから
追い出されてベルギーやオランダに移動する。これこそマックス・ウェーバーのいう
資本主義の精神につながるプロテスタンティズムであった。この精神に基づき、
十七世紀のオランダは生産を伸ばし、海運を発展させるとともに、需要豊かな
市民文化をも展開した。

//////////////////// 堺屋太一著 ///





160: ◆EYAdXfgv.Q
06/02/12 17:28:39

/// 日本における「文明の犯人」 52 //////

 日本の石門心学は、勤勉を重視すると同時に倹約=清貧をも善とした点で、
ウェーバー的プロテスタンティズムとは大きく異なっている。しかもそれを
人格修養と結びつけたことによって、外国には見られない独特の労働観を生み、
人間評価をもつくり出した。たとえば、禅宗の修行では、まず最初に拭き掃除を
毎日やらす。そうした仕事を勤勉にやれば禅の心が分かるというのである。
しかし、これは禅本来の思想ではなく、石田梅岩の思想を取り入れた結果である。

////////////////// 「日本とは何か」 ///





161: ◆EYAdXfgv.Q
06/02/17 21:55:32

/// 日本における「文明の犯人」 53 //////

 禅宗だった石田梅岩が石門心学を唱えたことで、日本における禅思想は大きく
変わった。というより、鎌倉時代の禅とはまったく違ったものになった。
 中世の中国で生まれ鎌倉時代に日本に持ち込まれた禅本来の思想はきわめて
禁欲的形而上学で達磨大師のように九年間も壁に向かって思索と内省に努める
ことこそ偉大だとした。壁に向かわないで農耕にいそしんだのでは尊敬されない、
勤勉ではなく清貧を重んじる中世思想の一つである。

///////////////////////// 1991年刊 ///





162: ◆EYAdXfgv.Q
06/02/23 21:03:28

/// 日本における「文明の犯人」 54 ////

 欧米で、現在の日本を誤解させているグループの一つに、禅の研究家たちがいる。
彼らが研究の対象にしているのは、主として鎌倉禅であり、生産活動を嫌い精神修養
のみを求める中世思想である。このため禅研究家のなかには、日本人の労働観を
誤解し、今日の日本人が会社で長時間働くのは、政府と企業による強制としか
考えられないと主張している。
 しかし、今日、日本人が知っている禅は鎌倉禅とはまったく違ったもの、徳川時代
中期以降に石田梅岩の思想を加えてつくられた禅である。同じ名称を受け継ぎ、
同じ組織を継承していても、時代によって内容は違ってくるものだ。

///////////////// 講談社文庫 ///





163: ◆EYAdXfgv.Q
06/03/02 20:54:54

/// 日本における「文明の犯人」 55 ///////////

        勤勉に遊ぶ日本人

 「石門心学」の「諸業即修業」の思想は、モノ不足ヒト余りがつづいた
徳川時代にあらゆる面に広まり大きな影響を与えた。たとえば、かつての
農民は暇さえあれば田んぼへ行った。今日は暇だから草引きでもしよう、
今日は用事がないから麦踏みしようというように、「遊んでいてはもったいない」
という発想で生産性を無視して働いた。そうしなければ、農民としての
人格が疑われたからである。

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164: ◆EYAdXfgv.Q
06/03/07 21:41:27

/// 日本における「文明の犯人」 56 ////

 いまでも果物屋などには、休日なしで夜遅くまで開けている店がある。
そういう店に行って、午後九時以降に買いにくる客の人数を聞くとせいぜい
二、三人、売上げにして五、六千円にすぎないという。照明費などを差し引くと
大した儲けにもなっていない。それでも店を開けているのは「どうせ奥の
部屋に引っこんでいても店番しても大差がない」という。無為なる時間の否定、
何もしない時間を「もったいない」と思う日本人の価値観の現れだ。

////////////////// 堺屋太一著 ///





165:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
06/03/09 02:10:28
これって本を見ながら打ち込んでるの?
誤変換がまるで無いのがすばらしい。

166: ◆EYAdXfgv.Q
06/03/16 20:52:08

/// 日本における「文明の犯人」 57 ////////

 日本人は「無為なる時間」に価値を認めない。このことはレジャーやバカンスに
ついてもいえる。もともと「バカンス」というのは「大いなる空白」という意味だ。
欧米人の発想では空白でなければバカンスではない。だが日本人は、バカンス
といえばスポーツか旅行か観劇か音楽鑑賞か、何かをする時間だと思っている。
新聞論調にも「休日は増えたけど依然としてゴロ寝組が多い」と嘆かわしげに
書いている。ゴロ寝こそが本当のバカンスだ。別荘でも、海岸や野山でも、
「無為なる時間」を過ごすために行くのだ、とは思ってもみない。

/////////////////// 「日本とは何か」 ///



167: ◆EYAdXfgv.Q
06/03/23 20:55:47

/// 日本における「文明の犯人」 58 ///////

 だから、日本人は短い休暇を勤勉に遊ぼうとする。ハワイの観光局の調査では、
日本人が三泊四日でくれば、アメリカ本土の人が二週間滞在するのと同じ額の
お金を使うという。アメリカ人は海岸でブラブラして二週間を過ごすが、日本人は
タクシーを雇ってあちこちを見物し、買い物にまわり、やたらとゴルフに出かけるので、
一日当たりの消費金額は数倍になる。
 これが現在の若者になると、さらに著しい。自分の好き嫌いにかかわらず「スキーを
やらないと嫌われる」、「スキューバ・ダイビングができないのは格好が悪い」と
必死に訓練をする。何が流行か何をみんながしているかを、流行情報誌で探す。
彼らの「遊び」は、格好よく見せ仲間を集めるための「修養」なのである。

//////////////////////// 1991年刊 ///





168: ◆EYAdXfgv.Q
06/03/31 22:54:22

/// 講談社文庫 ///////////////

    堺屋太一著 「日本とは何か」, 1991年 講談社発行
    講談社文庫, 税込価格:\580, ISBNコード: 4061855948

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169: ◆EYAdXfgv.Q
06/04/05 22:30:20

/// 日本における「文明の犯人」 59 //////

        細部重視のトータル下手

 資源の限られた社会において、無為なる時間を嫌って勤勉に働くとなれば、
少ない資源と土地に多くの労働が注がれる。その結果は細部にこだわり、
限られた材料に多くの労働力を注ぎ込む美意識が生まれる。文字通りの
「一所懸命」こそが生産者の勤勉の証、つまり人格高潔の証明ともなるのだ。

///////////////////// 講談社文庫 ///




170: ◆EYAdXfgv.Q
06/04/13 21:02:46

/// 日本における「文明の犯人」 60 ///////

 そうだとすれば、細心の注意と目立たぬ心配りが重要になってくる。これが
極まれば、おのずから製品自体の機能や見ばえからは遊離した部分に凝る
現象が生まれる。ここから、外国のマイスター(職人)とは違って、どうでもよい
ところを指摘して自らの勤勉を実証する日本的「職人芸」または「職人気質」が
生まれた。着物の裏の仕立て様、什器の底の木目、溶接の背面などが、この国の
市場ではいまも重要だ。それが十分に配慮されていない外国製品は日本では
売れないのである。

/////////// 講談社より絶賛発売中! ///





171: ◆EYAdXfgv.Q
06/04/23 20:49:56

/// 日本における「文明の犯人」 61 //////

 かつてあるテレビ会社が、アメリカの家庭用品である鍋を画面に紹介して
注文をとって売ったことがある。ところが、商品が発送されると苦情が殺到した。
その鍋は周辺が塗装されていたが、火がかかる底の部分には当然ながら
塗装がない。それを買った消費者の苦情は、この塗装してある部分と
してない部分との境界がきれいな円ではなく、ペイントの流れや滲みがある、
というものだ。

////////////////////// 堺屋太一著 ///





172: ◆EYAdXfgv.Q
06/05/01 22:34:03

/// 日本における「文明の犯人」 62 /////////

 販売したテレビ会社は、アメリカの製造会社にペイントが流れ落ちている部分を
直すよう要求した。これにアメりカの会社は驚いた。鍋には熱いものが入って
いるから目より高く上げて底を見るのは危険である。鍋の底は見えないのだから
どうでもよいではないか、というのがアメりカ側の回答だった。しかし、日本人は
そういう見えないはずのところにこそこだわる。
 見えないところまで凝る日本的職人気質は、それによって自分の勤勉さ、
引いては人格的高潔さを主張する。そしてそれこそが玄人(専門家)だと信じて
疑わない。結果としては、日本の玄人は細部を重視するあまり、全体を軽視する
傾向が強くなる。

//////////////////// 「日本とは何か」 ///





173: ◆EYAdXfgv.Q
06/05/07 20:33:03

/// 日本における「文明の犯人」 63 ///////

 建築物にしても、細部の施工は何とも見事だ。たとえばパネルの貼り方
などはじつにていねいで、床のタイルもセンター(中心)から両側に貼り分けて
双方の隅に同じだけ余らすようにする。外国では一方から順番に貼っていって、
半端は片側にだけ残す例が多い。それでも両側が同時に見えない広い
部屋では、違いもわからないし、何の影響もない。しかし、日本の専門家たちは、
そんな「横着」をけっして見逃すことがない。

//////////////////////// 1991年刊 ///





174: ◆EYAdXfgv.Q
06/05/09 22:23:48

/// 日本における「文明の犯人」 64 /////////

 その半面、ビル全体を見ると、外国のほうがむしろ格好がよい。さらに
街全体となると外国の街はじつにきれいに映える。細部を重視する日本では、
細部担当者の意向を抑えて全体調整を行うことが難しいからだ。
 このことは組織そのものにも影響している。日本の組織は、トップのコントロール
は弱く、部課長や係長の権限が強い。細部を担当する下部にこそ権限がある。
資源が不足しているなかで、勤勉を重んじ労力を猛烈に投入してきた徳川時代、
とくに享保以降の日本人の思想が、そこにも反映されているのである。

///////////////////////// 講談社文庫 ///



175: ◆EYAdXfgv.Q
06/05/12 22:07:09

/// 日本における「文明の犯人」 65 ////////////

 今日、日本の工業製品の輸出競争力の強さの秘密は、この細部のよさ
である。トータル・デザインを外国から導入して、細部を日本的勤勉さで
製作すれば、品質良好な製品が生産できる。逆に、外国製品が日本で
売れない理由の一つは、細部の悪さ、小さな故障の多さにある。これから
日本が世界的な市場になるためには、そうした日本市場の特殊性を
知らせなければならない。また、その特徴は最近生まれたのではなく、
日本の歴史と伝統に根差したものであることをも知らせる必要があるだろう。
 日本の直面する経済摩擦には、集団主義や成長志向による供給者側の
問題点ばかりでなく、この国の消費者の独特の美意識もまた、大きな要因に
なっているのだ。

//////////////// 講談社より絶賛発売中! ///





176: ◆EYAdXfgv.Q
06/05/17 21:50:45

/// 日本における「文明の犯人」 66 //////////////

        資源不足が生んだソフトウェア文化

 モノ不足ヒト余りの時代が長かったことは、もつ一つ重大な影響を残した。
資源を必要とするハードウェアよりも、人手によってその利用価値を
高めるソフトウェアが重視されることである。
 世界中にあって日本にはないものは「都市城壁と手錠」といえる。
前者についてはすでに何度も述べたが、後者の手錠が欠落しているのも、
それに劣らず重要である。

////////////////////////////// 堺屋太一著 ///





177: ◆EYAdXfgv.Q
06/05/21 20:50:12

/// 日本における「文明の犯人」 67 //////

 人間の社会では、犯罪人や戦争捕虜など身体の拘束が必要な人物が
必ずいる。それだけに、手錠や足枷、首枷などの身体拘束器具は、どこの
国でも早い時期に生まれた。ところが日本だけは、西洋文明を真似た
戦国時代にごく少数つくられたらしいほかは、明治に至るまで、まったくなかった。
いや昭和のはじめまでまだ少なく、大部分の警察官は「捕縄」を腰に
ぶら下げていた。
 日本に身体を拘束すべき犯罪人がいなかったわけではない。日本人は、
それを縄という汎用材で間に合わせ、手錠、首枷のような専用具はつくらなかった。
捕縛者の身体を傷つけず、かつ逃げられないように人間を縛ることは簡単
ではない。相手もプロの盗賊や間者になれば「縄抜けの術」などを心得て
いるからなおさらだ。

////////// 講談社より絶賛発売中! ///





178: ◆EYAdXfgv.Q
06/05/28 20:06:43

/// 日本における「文明の犯人」 68 ////////

 このため日本では「縛り術」なるものさえ考えられた。これが徳川時代
中期以降になると様式化され、相手の職業(身分)、性別、年齢によって
十三種類にも分かれる。武士用、町人用、僧侶、女性など、それぞれに
型が決まっており、これだけを習熟するためにも三年の修業が必要とされた。
それでも、この国では、手錠という便利な専用具をつくろうという発想は、
ついぞ生まれなかった。ハードウェアに頼るのは、専門家として恥ずかしい
ことだったのだ。

//////////////////// 「日本とは何か」 ///




179:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
06/05/29 01:32:20
相続税を100%にせよ!

相続税を100%にせよ!

相続税を100%にせよ!

相続税を100%にせよ!

相続税を100%にせよ!

相続税を100%にせよ!

相続税を100%にせよ!

相続税を100%にせよ!


180: ◆EYAdXfgv.Q
06/06/02 21:23:03

/// 日本における「文明の犯人」 69 ///////

 このことは、あらゆる面に見られる。外国の住宅は、食堂、居間、寝室と
機能的に分かれているが、日本の住宅は同じ形式の座敷が並び、ソフトウェア
(利用技術)によって食堂にも居間にも寝間にも使う。襖をはずせば大広間、
冠婚葬祭も自宅で行えるという便利さだ。
 食事に使う道具も箸一つ。ナイフ、フォーク、スプーンからエスカルゴ専用の
ハサミまで並べる洋食とは大違いだ。その代わりに、茶道のようなソフトウェアが
発達した。モノ不足ヒト余りの徳川時代には、専用具に頼らず、ソフトウェアで
解決することが専門的知識と人格高潔の証と見られていたのである。

//////////////////////// 1991年刊 ///





181: ◆EYAdXfgv.Q
06/06/06 21:54:00

/// 日本における「文明の犯人」 70 //////////

        「型の文化」が生んだ教育大国

 専用具に頼る欧米では、特定の専門家が器具を生産して供給すれば、
他の人々はさほどの苦労もなくそれを利用できる。しかし、ソフトウェア
文化の日本では、消費者それぞれが利用技術を習得しなければならない。
当然、そのための伝授、教育が必要になる。このためにまず、伝授する
教師を大量に育成する必要がある。それを可能にするため、徳川時代
中頃からはソフトウェアの様式化、つまり「型の文化」が確立される。

///////////////////////// 講談社文庫 ///





182:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
06/06/09 00:44:05
相続税はもっと累進的にかけ、
金持ちは一代限りで終わらせなければならない。

私腹を壊さないと、資本主義は駄目になってしまう。

政府は取った遺産を法人で所有させるか、所得再配分にするか、
新規ベンチャーへの資本として有効に生かせばいい。

生まれがどこでも競争が出来る社会にするのが好ましい。

生 活 苦 で 自 殺 し て い っ た 無 数 の 霊 魂 が

そ の う ち 優 雅 に 暮 ら す 金 持 ち を 呪 う の で は な い か

も の を 祖 末 に し て は い け ま せ ん

こ こ ろ を 祖 末 に し て は い け ま せ ん

お 金 を 祖 末 に し て は い け ま せ ん

相 続 贈 与 税 は 生 活 困 窮 者 救 済 の 財 源 に す べ き だ




183: ◆EYAdXfgv.Q
06/06/12 21:51:59

/// 日本における「文明の犯人」 71 ///////

武道にも茶・華道にも、囲碁将棋にも、読み書きソロバンの教育にも、
「型」が定められ「定跡」ができ上がる。「型」さえ覚えれば、まず基礎基本は
できるのだから、「型」だけ教えられる者でも初等教育の教師は務まる。
徳川時代後半に、全国の農村にまで寺子屋や武芸道場が広まったのは
このためだ。
 一方、一般庶民のほうも物財よりもソフトウェアを重視、子孫に金銀財宝を
残すよりも教育をつけることに熱心になった。幕末期において、すでに
日本が「教育大国」だったのもこのためであろう。

/////////// 講談社より絶賛発売中! ///





184: ◆EYAdXfgv.Q
06/06/20 21:53:46

/// 日本における「文明の犯人」 72 ///////

 このことは、日本人の平等性と情報共通性を高めるとともに、
「生なりの文化」を純粋化するのにも役立った。万人に教えられる
「型」であれば、特殊技術の必要な、不自然な動作発想では
困るからである。
 その半面、個性と創造力を抑圧することにもなった。まず先人の
定めた「型」を教え込まれ、「型破り」は禁止され、「我流」は
軽蔑された。「我流」こそ個性であり、創造である。
 こうしたこともまた、明治以降の近代化、とりわけ戦後の
規格大量生産型工業社会の確立に大いに関係している。
この国では、欧米先進国から流入した技術や知識を「型通り」に
真似る中堅技能者が大量に養成できたのである。
・・・・・

////////////////////// 堺屋太一著 ///





185:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
06/06/21 00:25:39
スレタイ通りだ

186:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
06/06/27 01:02:14
相続税はもっと累進的にかけ、
金持ちは一代限りで終わらせなければならない。

私腹を壊さないと、資本主義は駄目になってしまう。

政府は取った遺産を法人で所有させるか、所得再配分にするか、
新規ベンチャーへの資本として有効に生かせばいい。

生まれがどこでも競争が出来る社会にするのが好ましい。

生 活 苦 で 自 殺 し て い っ た 無 数 の 霊 魂 が

そ の う ち 優 雅 に 暮 ら す 金 持 ち を 呪 う の で は な い か

も の を 祖 末 に し て は い け ま せ ん

こ こ ろ を 祖 末 に し て は い け ま せ ん

お 金 を 祖 末 に し て は い け ま せ ん

相 続 贈 与 税 は 生 活 困 窮 者 救 済 の 財 源 に す べ き だ


187: ◆EYAdXfgv.Q
06/06/27 21:53:13

/// 講談社文庫 ///////////////

    堺屋太一著 「日本とは何か」, 1991年 講談社発行
    講談社文庫, 税込価格:\580, ISBNコード: 4061855948

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URLリンク(www.7andy.jp)
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///////////// 絶賛発売中!///





188:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
06/06/28 01:59:47
貯金が貯まれば貯まるほど誰かの負債が増えるわけで、一方的に負債が増えれば、それ以上借りることができない状態になる。
つまり、貯蓄は最悪の不経済。

189: ◆B77lBU26qk
06/07/02 21:10:26

/// 繁栄と限界 1 ///////////////////

堺屋太一著 「日本とは何か」 1991年 講談社発行より

・・・・・
第六章 最適工業社会の繁栄と限界
    最適工業社会への道
        「豊かさ」への仕組みとは

 これまで五章にわたって「日本とは何か」を論じてきた。
 日本には世界に類のない数々の特色のあることを述べ、その由来を
風土と歴史とから語ってきた。そうした特色が、今日の「豊かな日本」を
築くうえで大いに役立っていることをいいたかったからである。

///////////////// 「日本とは何か」 ///





190: ◆B77lBU26qk
06/07/07 22:47:04

/// 繁栄と限界 2 ///////////////

 しかし、それだけでは日本が豊かになった説明にはなっていない。
日本の風土は有史以前からのものであり、日本人が実際主義の
気風を持ったのは千四百年も前からである。この国に共同体への
帰属意識の強い集団主義の気性が生まれたのも、情報共通性が
でき上がったのも、大昔のことだ。比較的新しい石門心学的勤労観や
細部重視の美意識が確立されてからさえ二百年以上も経つ。それにも
かかわらず、長い間、日本は貧しかった。この国が世界一流の豊かさを
誇るようになったのは、二十世紀の後半、とくに一九七〇年代からである。

////////////////// 1991年刊 ///






191: ◆B77lBU26qk
06/07/18 23:10:51

/// 繁栄と限界 3 ////////////////

 したがって、日本の風土や歴史文化は、この国を豊かにする潜在的な
要素ではあっても、直接的な原因ではなかったのは明らかである。
一九七〇年代以降の日本が大いに豊かになり得たのには、これらの
諸要素を結合して生まれた「豊かになる仕組み」があったからだ。
この最終章では、その仕組みについて論じ、それと風土や歴史文化との
関わりをまとめることにしたい。
 だが、その前に、いま一度、日本の現状に立ち戻って日本社会の
構造と体質および気風と気性を明確にしておく必要があるだろう。
正確な現状認識がなければ、正しい結論には達しないからである。

////////////////// 講談社文庫 ///




192: ◆B77lBU26qk
06/07/23 20:40:34

/// 繁栄と限界 4 //////////////////

        生産者の天国、消費者の地獄

 いま、日本がたいへん豊かな国であることは、誰もが認めるところだろう。
第一章で述べたように、一人当たりの国民所得は世界最高の水準に達し、
一人当たりの資産は世界断トツになり、国際収支は大幅な黒字をつづけている。
外国に対する投資も世界一なら、経済協力金額も世界一(一九八九年、
ただし九〇年にはアメリカに次いで二位)だ。しかも物価は安定し、失業者は
少なく、犯罪件数も事件発生率も少ない。このような豊かさを生み出したのは
何かを一言でいえば、「最適工業社会」である。つまり、近代工業の特色である
規格大量生産に最も適した世の中を、この国がつくり上げることに成功した
のである。

////////////////// 絶賛発売中! ///





193: ◆B77lBU26qk
06/07/30 22:55:21

/// 繁栄と限界 5 //////////////////

 ところが、日本人一人一人の実感として、世界一の豊かさが信じられるか
といえば、必ずしもそうではない。確かに、戦前や終戦直後よりははるかに
豊かになったことは、誰もが認める。十年前に比べても豊かになった、という
人は多いだろう。だが、「世界一」といわれると首をかしげたくなるに違いない。
 「日本人の所得はアメりカを上回っている」といわれても実感がない。
「君たちは世界に稀なる資産家だ」といわれても白けた気分になる。
「日本の住宅は世界一流の広さ」といわれると、疑わしい気分になってしまう。
われわれの生活は、「豊かさ」とは無縁な不安と苛立ちに満ちているのである。

//////////////////// 絶賛発売中 ///





194: ◆B77lBU26qk
06/08/04 22:57:53

/// 繁栄と限界 6 ///////////////////

 何故に日本人は、世界一豊かな状況にありながら、これほどまでに余裕と
安心のない生活に追われているのだろうか。それを一言でいえば「最適工業社会」、
つまり誰もが選択の余地の少ない規格品で暮らさなければならない世の中
だからである。
 人間は生産者であり消費者だ。生産者(稼ぐ人)として見れば、今日の日本人は
まことに幸せである。給与も高いし失業の心配も少ない。企業の経営も商店の
営業も保護されている。生産の現場は安全で清潔、労働秩序もきわめて厳格、
そのうえ相当数の人々は、会社の交際費でかなりの娯楽まで楽しむことができる。
日本の交際費は年間約五兆円、GNP比率で見れば、アメリカ、イギリスの六倍、
旧西ドイツの八倍にもなり、株式総配当額をはるかに上回っている。

///////////////////// 堺屋太一著 ///





195: ◆B77lBU26qk
06/08/12 22:28:20

/// 繁栄と限界 7 ////////////////////

 その半面、消費者としての日本人はいたって不幸だ。物価は高いし家賃も高い。
電車も飛行場も満員だし、病院のベッドを取るのもコネがいる。役所の手続きは
やたらに複雑で書類の数は多い。何よりの不幸は選択の自由が乏しいこと、
小・中学校は厳格な通学区域で縛られていて、居住地によっていやな学校でも
強制的に入学させられる。病院の種類も少ないし、商店の種類も少ない。遊びも
安全基準と各種規制でがんじがらめ、ちょっと気の利いた買い物や遊びのためには
何十万円もかけて海外に行かざるを得ない。お金はあっても好きなことができない、
それが日本の現実である。

///////////////// 「日本とは何か」 ///





196: ◆B77lBU26qk
06/08/18 21:42:39

/// 繁栄と限界 8 ////////////////

 要するにこの国は、「生産者の天国、消費者の地獄」なのだ。そうなったのも、
最適工業社会のせいである。
 では、何故に日本は最適工業社会になったのか、世界百数十ヵ国のなかで、ただ
日本だけが、最も厳密な最適工業社会をつくり得たのか。いま日本でまた世界で
論じられている日本論や日本人論は、結局のところこの問題に帰結するだろう。
 それだけに、この問題の解答には、これまで論じてきた日本的特色のすべてが
絡んでいる。この国の風土、牧畜と都市国家の経験を欠いた歴史文化を体系として
考えない実際主義、稲作農業の永い伝統から生まれた集団主義、初等教育を
広めるために便利な「型の文化」、そうしたもののすべてが、今日の最適工業社会の
形成に重大な影響を与えていることは間違いない。

////////////////// 1991年刊 ///





197:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
06/08/19 01:58:36
貧民主主義革命を!
貧民中心の経済政策!
累進課税強化最大90%
相続税100%
法人税70%

198: ◆B77lBU26qk
06/08/24 22:19:07

/// 繁栄と限界 9 ////////////////

 しかし、日本が古くから最適工業社会であったわけではないのも事実だ。
この国が規格大量生産型の工業において巨大な生産力と高い技術力を持ち、
自動車や電気製品の分野で世界を席捲せんばかりの勢いを示すように
なったのは、一九七〇年代から、たかだか二十年ぐらい前からである。
そのことを思えば、日本の風土や伝統が、日本人の集団性や実際性が、
それに役立っているというだけでは十分でないことは明らかだ。

///////////////// 講談社文庫 ///





199: ◆B77lBU26qk
06/09/02 01:18:17

/// 繁栄と限界 10 ///////////////

 そこには、長い歴史のなかにつちかわれてきた日本社会の伝統的気風と
気性を、最適工業社会の実現に向けて働かせる決定的要素があったはず
である。そしてそれは、この国が飛躍的な産業発展を遂げる時期、つまり
この二十世紀において起こったことでなければならない。
 そのようなものを探すとすれば、やはり一九四一年(昭和十六年)に
確立された政策体系、いわゆる「官僚主導型業界協調体制(官導体制)」に
行き当たるであろう。

/////////////// 絶賛発売中! ///




200: ◆B77lBU26qk
06/09/08 20:47:45

/// 繁栄と限界 11 //////////////////////

        産業革命の本質

 周知のように、近代工業は産業革命によってはじまった。そしてその
産業革命とは、十八世紀後半にイギリスではじまり十九世紀前半のうちに
西ヨーロッパやアメリカに拡がった産業経済の変革現象を指している。
日本にこの現象が波及したのは、十九世紀末から二十世紀初頭、
明治維新によって欧米の近代工業技術と近代的制度が流入、それを
完全な模倣で学びはじめて三十年ほど経った頃であった。

/////////////////////// 絶賛発売中 ///





201:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
06/09/08 20:50:02
>>197
死ね

202: ◆B77lBU26qk
06/09/15 22:03:57

/// 繁栄と限界 12 /////////////////

 前述のように、欧米人が近代工業技術を発明し利用し、それに適した制度や
組織をつくり出すまでには、三百年にわたる精神的遍歴と社会的葛藤があった。
その成果をたった三十年で受け入れたのだから、日本の速度は驚異的である。
だが、それだけに日本の「近代」の受け入れ方はごく表層的だった。その日本が、
七十年後にはどこの国よりも完全に近い近代工業社会(最適工業社会)を
築き上げたのだから、不思議といえば不思議である。
 しかし、そこには不思議ばかりではない理由もあった。日本は後進工業国
であったが故に、諸外国が経験した戸惑いや妥協なしに純粋な近代社会を
つくり得た面も多いからである。

///////////////////// 堺屋太一著 ///





203: ◆B77lBU26qk
06/09/21 22:40:26

/// 繁栄と限界 13 ////////////////////////

 産業革命は、現象的に見れば、蒸気機関で動く大型機械群を使った
工業生産が社会の主要な生産形態として確立される現象、つまり、
一連の技術革新現象だった、といってよい。
 しかし、単なる技術革新ならそれ以前にもあったし、その後にも起こっている。
そのなかで、「十八世紀の後半にイギリスではじまり十九世紀のうちに
西ヨーロッパやアメリカ、日本に広まった蒸気機関で動く大型機械群の導入現象」
のみを、とくに「産業革命」として特記するのは、これを契機として、産業のみならず、
経済社会の全般が変革したためだ。つまりこの時期の一連の技術革新によって
近代工業社会が出現したのである。

////////////////////// 「日本とは何か」 ///





204: ◆B77lBU26qk
06/09/29 00:11:01

/// 繁栄と限界 14 /////////////

 蒸気機関で動く大型機械群を備えた工業が登場すると、そのための
生産設備を一人一人の個人(労働者)が持つことはできない。また、
一人(または一家族)で、そのような生産設備を操業し運営することも
できない。このため、生産設備(生産手段)を持つ「資本家」と、
生産手段を持たず労働力のみを提供(販売)する「労働者」とに
分かれることになった。

///////////////// 1991年刊 ///




205: ◆B77lBU26qk
06/10/05 23:11:08

/// 繁栄と限界 15 //////////////////

 産業革命以前の社会においては、働く者はそれぞれに生産手段を持っていた。
農民は耕作する土地の権利を持ち、スキやクワを持っていた。鍛冶屋は道具を持ち
仕事場を備えていた。馬車屋は車を持ち馬を飼っていた。商人は商品と屋台と
商売をする権利を持っていた。ところが、工場制工業生産がはじまると、生産手段を
持たない労働者が大量に発生した。彼らは、何の生産手段も持たないが故に、
どこででも働けたし、どこにでも居住できた。力ール・マルクスが、「自由なる労働者」
と呼んだ人々の群れである。近代工業社会とは、こうした「自由なる労働者」が
多数を占める社会なのだ。

//////////////////// 講談社文庫 ///





206: ◆B77lBU26qk
06/10/11 23:14:03

/// 繁栄と限界 16 /////////////////

 一方、機械が発達してくると、人間を機械に置きかえるほうが有利になる。機械は
人間よりもはるかに強力であり動きが正確だ。だが、機械は動きが単純で判断能力が
ない。したがって、人間労働を機械に置きかえるためには、単純な動きで生産できる
ように製品を定形化し、判断が要らないように材料と完成品を規格化しなければならない。
 つまり、規格化が大量生産には不可欠なのである。すべての製品を単純な形態の
部品に分解して規格化し、大量に生産して、それを一定の順序で組み立てるように
すれば、機械化の応用範囲は広まり、人間労働の必要量は減少する。つまり、労働
生産性が向上し、製品の品質と均一性が高まる。したがって、こうした規格大量生産に
適した社会こそ、近代工業に適した社会ということができる。そしてそれを最も徹底
させたのが最適工業社会である。

/////////////////// 絶賛発売中! ///





207: ◆B77lBU26qk
06/10/18 20:53:06

/// 繁栄と限界 17 ////////////////////

 日本が最適工業社会をつくったというのは、「規格大量生産に最も適した世の中に
なった」ということだ。現在、日本が世界に誇る国際競争力を持っている分野は、
規格大量生産が可能な分野に限られている。工業のなかでも規格大量生産ができない
伝統工芸品や一品生産的な大型航空機、原子力機器では、日本の生産量と競争力は
けっして強くない。コンピュータでも、規格大量生産になじみ難い大型機器が志向されて
いた間は、日本の競争力は弱かったが、八○年代に入って小型量産機器が普及すると、
たちまちにして日本の独壇場と変わってしまう。農業やサービス業、知価創造的な
分野などで劣るのも、規格化と大量生産化ができないからだ。

////////////////////// 絶賛発売中 ///





208: ◆B77lBU26qk
06/10/23 21:58:26

/// 繁栄と限界 18 //////////////////

 明治以来日本は、欧米列強に劣らぬ近代工業国家をつくろうとした。それは、
とりもなおさず、規格大量生産に適した世の中をつくり上げることであった。
日本が量、質ともにそれに成功したのは戦後、とくに一九七〇年代以降である。
戦後の日本は、そのためにすべての政策を動員したばかりでなく、情報機関と
教育と生活規制によって、それが当然と信じるような社会環境をつくり上げた
のである。

/////////////////// 堺屋太一著 ///





209: ◆B77lBU26qk
06/11/03 22:16:22

/// 繁栄と限界 19 ///////////////////

        「安定」から「効率」へ - 正義の転換

 前述のように、近代工業社会を生み出した精神は、合理主義、つまり物財の
多さを幸せと感じる美意識と、効率を正義と信じる倫理観だ。それが日本に
定着したのは、けっして古いことではない。
 徳川時代の日本では、最大の正義は「安定」であって「効率」ではなかった。
成長志向を弾圧した徳川家康の築いた政権・徳川幕府は、どれほど「効率」を
犠牲にしても「安定」を追求してやまなかった。あえて大井川に橋をかけなかったのも、
複数帆柱の船舶の建造と運航を禁止したのも、人と物との移動が容易になる
(効率がよくなる)ことで、人口の均衡と地域市場が崩れて安定が損なわれるのを
恐れたからである。

///////////////// 「日本とは何か」 ///




210:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
06/11/03 22:56:05
お前たち猿には工業も農業も魚業も林業も商業全部無い

211: ◆B77lBU26qk
06/11/09 21:54:41

/// 繁栄と限界 20 ////////////////////

 勤勉と倹約とをともに強調して、マクロの均衡とミクロの安定を両立させる一方、
労働を人格修養の手段と考えて労働の効率を無視するようにと説いた石田梅岩の
石門心学が、人々の共感を得たのも、安定を第一とする社会コンセプトがあった
からである。
 ところが、アメリカからきた「黒船」は、「安定」よりも「効率」を重視する近代思想を
提示した。このことは、日本社会を一変させるに十分だった。これによって、
それまでの最大正義だった「安定」が否定され、すべてを革新する効率追求が
正義になってしまう。いわゆる「尊皇攘夷」から「文明開化」への転換である。

///////////////////////// 1991年刊 ///





212: ◆B77lBU26qk
06/11/15 23:26:44

/// 繁栄と限界 21 ////////////////////////

 この変化の激しさは世界史上にも例を見ないほどであった。それというのも日本人
には、そのときその場の多数の意見を正義とする相対的正義感が定着していたから、
日本の伝統的な気風と気性が、明治維新では見事に発揮されたわけである。
 一方、これに対する抵抗はいたって弱かった。「黒船」が現れるまでは圧倒的な
権威と権力を持っていたはずの徳川将軍も、それに忠誠を誓っていたはずの諸大名も、
たった十年のうちに自ら進んで権力を放棄した。「三河以来三百年」の天下の旗本
たちも、幕府を擁護しようとはしなかった。このとき、あくまでも徳川家と徳川幕府に
忠誠であろうとしたのは、会津・桑名などの大名とごく少数の旗本御家人、および
新撰組のような臨時雇いのガードマンだけだった。
 それというのも、この国にはみんなと違うことを恐れる集団主義の気性があった
からである。

////////////////////////// 講談社文庫 ///





213: ◆B77lBU26qk
06/11/19 21:25:35

/// 繁栄と限界 22 /////////////////////

        死よリ怖い仲間はずれ

 人間は誰しも他人に好かれたいと思う。だが、その度合が日本人ほど
凄まじい民族はいない。とくに日本人が、自分の属する集団のなかで
嫌われることを恐れるのは、極端である。日本人が恐れる死以上に
こわいのだ。外国人は(ときには日本人自身も)、日本人は死を恐れぬ
民族だと思い込んでいるが、これほど大きな誤解はない。むしろ、
他の民族以上に死を恐れる。

//////////////////// 絶賛発売中! ///





214: ◆B77lBU26qk
06/11/25 20:49:07

/// 繁栄と限界 23 //////////////

 たとえばガンと診断したときに、患者本人に告げるべきかどうか、
日本の医学界ではしばしば問題になる。日本では多くの場合知らせないが、
外国では成人の場合はたいてい本人に知らせる。
「あなたはガンです。あと三ヵ月の寿命でしょう。いまのうちに遺言を書き、
牧師を呼んでお祈りをしなさい」というわけだ。キリスト教の終油の秘跡は、
死ぬ前に行う儀式であり、「お前はこれから死ぬぞ」といって額へ十字に
油を塗る。

///////////////// 絶賛発売中 ///





215: ◆B77lBU26qk
06/12/02 21:21:47

/// 繁栄と限界 24 ///////////////////

 ところが、日本の仏教の引導は、死んでから棺桶の前で渡す。生きているうちに
坊さんがきたら、患者はびっくりしてしまう。不治のガンも同様で、日本では大体に
おいて本人には告げないことになっている。このため、患者が遺言を書くこともなく、
相続問題をこじれさせる例が少なくない。しかし、それにも合理的な根拠がある。
ガンを告知すると、結果が著しく悪いのである。
 外国の統計では、患者に不治のガンを告知した場合も告げない場合も、ほぼ
同じくらい生きるそうだ。つまり確実に死ぬといわれても、それで気を病んで寿命を
縮めることは少ないらしい。

/////////////////////// 堺屋太一著 ///





216: ◆B77lBU26qk
06/12/09 20:58:02

/// 繁栄と限界 25 ///////////////////////

 ところが、日本での統計では、告知した場合には、断然死期が早まってしまう。
ある有名なお坊さんが、
「自分は若い頃から修行して仏に仕え、精神修養をしてきた。けっしてガンを
告げられても驚かないから、本当のことをいってくれ」
 というので、お医者さんが、
「じつは、ガンです。あと六ヵ月ぐらいの寿命でしょう」
 といったところ、翌日から食事もできなくなり、二週間で死んでしまったという例もある。
医者が病状から判断した期間に比べて、日本人の場合は、告知された人は
告知以前の予想余命の平均三分の一ぐらいの期間で死んでしまうといわれている。
 要するに、日本人は死を恐れるのであり、生命に対する執着、現世的欲望の
強い民族なのだ。

//////////////////////// 「日本とは何か」 ///





217: ◆B77lBU26qk
06/12/16 20:46:52

/// 繁栄と限界 26 //////////////////

 では、それほどに死を恐れる日本人から、特攻隊を志願する若者が相当数
出たのはなぜか。外国には、切腹や特攻隊が喧伝されているため日本人は
死を恐れぬ民族だと思いがちだが、じつは違う。特攻隊を志願して、幸いにも
出撃前に終戦になって生き残った人々にインタビューした記録を見ると、志願の
理由を「国のために死ぬ気になった」と答えた人は、一割以下だった。
あとの人々は、「行きたくはなかったけれども、みんながやかましく行け行けというから、
断れなくなった。仕方がなかったのだ」

/////////////////////// 1991年刊 ///





218: ◆B77lBU26qk
06/12/23 21:08:05

/// 繁栄と限界 27 ///////////////////////

 というのである。日本人にとっては、みんなの意向、つまり自分の属する集団の
意思と見られるものに逆らうことは、恐ろしい死以上に恐ろしい。水利に頼る
水田農業に親しみ、村落共同体を離れては生きていけなかった日本の伝統が、
集団に逆らえない性格と習慣を、日本人全体に植えつけたのである。
 こうした集団主義の気性が、神と仏とを同時に祭る相対的正義感の気風と
相まって、日本社会のムードと日本人の倫理観を一挙に激変させることが
しばしばある。幕末から明治維新にかけての十年余りの間にもそれが起こったのだ。

///////////////////////// 講談社文庫 ///





219: ◆B77lBU26qk
07/01/01 00:51:53

/// 繁栄と限界 28 ////////////////////

        文明開化から官僚主導ヘ

 アメリカの黒船がはじめて現れたとき、全国民のほとんどが攘夷を唱え、
安定社会の継続を主張した。もっともこれには、徳川幕藩体制を守ろうという
積極的理由よりも、外国の要求に屈したくないという民族意識のほうが強かった
だろう。しかし、馬関戦争や薩英戦争によって、それが大きな損失を伴うと
分かると、たちまちにしてムードが変わった。

////////////////// 絶賛発売中! ///





220: ◆B77lBU26qk
07/01/13 00:13:46

/// 繁栄と限界 29 //////////////////

 そしてそうなれば、従来の体制はすべて否定され、誰もこの流れに抗し難くなって
しまうのが日本だ。二百五十年にわたって圧倒的な権威と実力を誇った徳川幕府が、
抵抗らしい抵抗もできないままに倒壊しただけではない。各地の大名も武士階級も、
その地位と特権が主張できなくなる。寺院も神社もヨーロッパ風の発想で再編成
させられる。土地所有や職業団体も一挙に近代資本主義の概念で決定されてしまう。
歴史や国語の教科書さえも、欧米の近代理論によって書きかえられてしまうという
有様だった。「文明開化」が流行語となり、「脱亜入欧」が叫ばれた。単に「入欧」
(ヨーロッパ近代文明に親しむ)だけでなく、「脱亜」(これまでの東洋的学識と慣習を
捨てる)までいわれるのだから凄まじい。明治の人々は、仏教を推奨しながら
「敬神の詔」を出した聖徳太子よりも性急だった。

//////////////////// 絶賛発売中 ///



221:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
07/01/17 00:48:19
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