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大阪)済州島のルーツ 在日の若者、四・三事件の旅へ
編集委員・中野晃2017年4月1日03時00分
韓国の済州島(チェジュド)で約70年前、島民蜂起を機にした軍や警察の弾圧で数万人が犠牲になった「四・三事件」。
済州島で3日に開かれる犠牲者の追悼式に、大阪の在日コリアンの若者たちが参加する。自らのルーツを確かめ、今も続く南北分断の背景をたどる旅だ。
大阪市生野区の看護師、任砂美(イムサミ)さん(27)の母親(55)は済州島出身で、1980年代に来日した。
2年ほど前、母に何げなく「四・三って知ってる?」と聞き、返答に驚いた。「なんでそんなこと聞くの。連れて行かれるから話しなさんな」
生まれる前の出来事を、島から離れた大阪で口にするのを恐れる母。少しずつ話を聞き出すうち、医師だった祖父の兄が事件で官憲に殺害されたこと、祖父は甕(かめ)に隠れて生き延びたことを知った。
日本の敗戦後、朝鮮は、北緯38度線を挟んで、米ソに南北で分割占領された。済州島では47年、統一国家樹立を訴えるデモに警察が発砲し、島民が犠牲に。弾圧が強まる中、48年4月3日、南の単独選挙反対を掲げて一部の島民らが武装蜂起した。軍や警察の容赦ない鎮圧作戦に無数の島民が巻き込まれ、惨殺された。
独裁政権が続いた韓国で事件を語るのはタブーとなり、犠牲者の遺族も「連座制」の名のもと、就職などで差別された。任さんの母は苦しい家計を助けようと大阪に渡り、ヘップサンダルの家内工場で働いた。やがて在日2世の父と結婚し、任さんが生まれた。
自分がいま日本に存在することと事件がつながっている―。
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