17/03/19 21:36:42.46 CAP_USER.net
本名貫いて日本人に
■1981年・決勝
本名で甲子園に出たことへの反響から、韓国人であることを再認識した京都商のレフト韓は、法大で野球を続けた。
20歳の時だ。父から日本国籍取得を勧められた。韓は当惑した。在日韓国人には韓国人としての誇りがある。
それが甲子園で得た価値観だった。しかも、父は自分に本名を使わせたではないか……。
「いや、違う。国籍と自分のルーツは別問題だ」と父は続けた。
「日本国籍をとると、『韓国を捨てた』という意識を持たれがちだが、国際的にはおかしい。米国にいる人たちは韓国系米国人となって、選挙権を持ち、韓国系ということを主張して生きている」
共感した韓は法務局に出向いた。だが、「韓裕(かんゆう)」の名で帰化を申請すると、通名以外は認めないとの対応だった。韓は言った。
「私はルーツを隠すために帰化するのではない。日本で生きる一国民としての権利を得るために帰化するのだ」。後に父も掛け合い、「前例がない」と法務局で言われた本名での国籍取得を果たした。
パチンコ店経営の最大手マルハン社長。さらに戸籍の読みをルーツの「はんゆう」に変えている。
朝日新聞
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