17/02/27 00:24:01.91 CAP_USER.net
【ソウル=桜井紀雄】世界を揺るがした北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)氏殺害事件。母国で最高権力の座に就いた異母弟、金正恩(ジョンウン)朝鮮労働党委員長の生い立ちと比べると、正男氏の悲哀の人生が浮かび上がってくる。
「私たちは一度も顔を合わせたことのない兄弟だが…。私と家族を助けて下さい」
韓国情報機関によれば、正男氏が2012年4月に正恩氏に送ったとする手紙にはこうつづられていた。家臣が王に嘆願するように、命を狙う命令の取り消しを切々と訴えていた。
正男氏が命を狙われたのは一度や二度ではない。正恩氏が金正日(ジョンイル)総書記の後継者に内定した直後の09年4月、正男氏の支持者が集まった平壌の別荘を秘密警察が襲撃。消息筋は「正恩氏の指示だった」とみる。
中国で10年に交通事故を装った暗殺を計画した秘密警察の要員が後に韓国で逮捕された。中国当局は北朝鮮に「中国でそんなことはするな」と警告し、北京やマカオで暮らす正男氏の警護を強化したという。
だが中国の“神通力”も効かない事態が起きる。中国と深い関係を持ち、正男氏を庇護(ひご)してきた叔父の張成沢(チャン・ソンテク)氏の13年末の処刑だ。正男氏は知人らに「人生は悲しい」と漏らした。
今回の事件の舞台となったマレーシアで大使を務めていた張氏のおいの張勇哲(ヨンチョル)氏もこのとき本国に召還された。マレーシアはもはや安全な地ではない。それでも「記者以外なら誰とでも会う」と公言する正男氏が東南アジアや中国の行き来をやめることはなかった。
正男氏を国外亡命政権の首班に擁立しようとする在英脱北者団体の幹部らとも14年から昨年6月に接触。幹部が韓国紙に語ったところでは、正男氏は「私が首班になっても3代世襲ではないか」と断ったというが、北朝鮮の公安機関は見逃さなかったようだ。駐英公使らの相次ぐ亡命で神経をとがらせていた。
韓国情報機関は、正男氏暗殺命令が正恩氏の「永続的な命令」だったとし、工作機関が実行に移したと分析する。韓国の韓民求(ハン・ミング)国防相は国会議員にこう説明した。「脱北者らへの強い警告であり、金正恩体制に取って代わる存在を事前に排除したという意味がある」
墓石にも刻まれぬ母の名
北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が2010年10月、公衆の前に初登場した「党創建65年閲兵式」を翌日に控えてのことだ。異母兄、金正男氏は「3代世襲に私は反対する」とメディアに公然と語った。権力世襲が決まった弟への当てつけ以外の何ものでもなかった。
金正日総書記の長男として生まれた正男氏は当初、後継者になるのが確実視された。スイス留学中、正日氏が息子と離れるのが寂しく、電話越しに声を上げて泣いたと伝えられる。だが、正日氏が最も愛したという高英姫(コ・ヨンヒ)氏との間に正恩氏や娘の与正(ヨジョン)氏が生まれると愛情が移った。
父の逆鱗にも触れる。1996年、資本主義式の会社を設立し、正日氏が忌み嫌う改革開放を公言した。
2001年に成田空港で拘束されたのは、高氏側からのリークによるものとの見方がある。ウィーンで正男氏を狙った暗殺計画が04年に報じられた際には、高氏を支持する勢力が画策したとされた。後継者争いの激化を危惧した正日氏は「後継者問題を口にするな」と命じたという。
正男氏は国を離れる道を選んだ。ただ、韓国の情報機関は、死の直前まで「かなりの資産があり、生活に困らなかった」とみる。父の遺産に加え、叔父の張成沢氏が援助を惜しまなかったからだ。貿易や金融取引、カジノ経営のほか、父の生前は武器密輸にも携わったという。
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