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島崎ろでぃーさんのこと。
16.11.24 by 李信恵
2年前の12月のある日、私は京都にいた。朝鮮学校襲撃事件から5年が過ぎたその日、「勧進橋児童公園奪還行動5周年記念」と題したデモが行われようとしていて、何とかしてそのデモを阻止したいという思いで、丸山公園にかけつけた。
デモの集合場所では、私の妹分の日韓ダブルの女性が泣きながら、トラメガを使って叫んでいた。私も、泣いて叫びたかった。ヘイトの現場にいる時は、私はいつもそう思いながらも感情を押し殺している。黙り込んで唇をかみしめながら、ただいつも、隣に立つことしかできないけれど。彼女の姿は、私の心の中だ。
ふと気が付くと、彼女の姿を撮影しようとしている写真家の島崎ろでぃーさんがいた。ろでぃーさんは反差別の本当に初期から現場にいつも掛け付け、みんなの姿を映していた。2013年の4月に鶴橋で大規模なカウンターがあった日、差別街宣を阻止した後に一緒に路地裏を歩いた。その時、ろでぃーさんは、急にしゃがみ込んでカメラを向けた。金網越しのその先には、野良猫がいた。カウンターの現場であるけど、鶴橋は多くの在日や日本人が共に暮らし、日常を営む普通の街でもある。そんな、普通の風景をきちんと切り取ってくれて、なんだかうれしかったことを覚えている。
ろでぃーさんは京都のデモの際、泣いている彼女に向かってレンズを向け、数枚シャッターを切った。私は、いつもなら誰かが写真を撮っているときは出来るだけ邪魔にならないように避けるんだけど。彼女の顔があまりにも悲しすぎたので、ろでぃーさんのレンズを遮ってしまった。
「あんた、泣くのはいいけど、鼻水いっぱい出てるで。子どもちゃうんやから、ほら。汚いなあ」
と冗談を云いながら、その涙をぬぐった。
彼女が泣いているシーンをもっと撮ってもらって、そのひどい現状を多くの人に伝えてもらわなきゃいけない、と思ったし、その涙は美しかった。だけど、私はその涙をすぐにでも止めてやりかった。そんな悲しい姿は、ほんとうは見たくなかったし誰にも見せたくもなかった。ライターや、ジャーナリストとして失格なのかな、とは思ったけど。まあ、涙はいいけど鼻水はね。
その後、デモ隊は警察に守られるように出発した。座り込みをしてでも止めたかったし、実際座り込もうとした時には周りの友人たちに押しとどめられた。
「リンダさん(私のあだ名)が座り込めば、きっとみんな座り込む。そうすれば、最悪逮捕されるだろう。リンダさんはもちろん、誰も逮捕されたらあかんねん。俺かって座り込んで止めたいよ。気持ちはわかってる。けど、お願いや、ここは堪えて」
「裁判してる最中やろ、リンダさんが座ったら、逮捕されたらあかん。みんなそう思ってんねん、我慢して」と。
「ヌナ(朝鮮語で男性が年上の女性に対しての“お姉さん”)、吐きそうや。こんなん、耐えられへん」と云う声も聞いた。
デモ隊が笑いながら通り過ぎるのをなすすべもなく見ていた。噛みしめていた唇から、血が噴き出していた。
ひどいデモが終わって、しばらく過ぎたある日。ある用事があってろでぃーさんから連絡があった。その際に、12月の京都でのデモの話になった。
「リンダさんがカメラの前で、泣いている女性の涙を拭いたときにはっとしたんだよね。何かを気付かされたような気がする。あの写真は、たぶん公開しない」とろでぃーさんが話した。
「ありがとね、ろでぃーさん。レンズ遮ってごめんな。でも、鼻水も出てたしなあ」というと、ろでぃーさんは笑ってた。
あれから2年が過ぎ、ろでぃーさんは今年に入ってからは、沖縄・高江にいた。ヘリパットが建設されようというその場所で、今何が起こっているのかを撮影し、毎日のように発信していた。ろでぃーさんは、いつもこの日本社会の、最前線にいる。機動隊と抗議する人々の写真はもちろんだけど、ろでぃーさんが写すそこにある自然、生き物、日差しや水辺の風景が好きだった。美しい写真を通じて、何がいま破壊されようとしているのかも伝わってきた。森林だけが破壊されているだけではなく、この社会への信頼が、人の営みが壊れて行くようで、不安にもなったのだけど。
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