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(みちのものがたり)高麗王若光の道 埼玉県 渡来人が故郷を見た土地
2016年10月1日03時30分
高麗川にかかる橋の上を母と子が犬の散歩で渡る。夏は橋の下で水遊びをする子どもたちの声でにぎわう=いずれも埼玉県日高市
炎天下でも、歩きたくなる道はある。この夏、埼玉県日高市の高麗(こま)神社へ通った。
山あいの何げない小道が気持ちいい。
渡来文化の日本への影響を追究した在日朝鮮人作家の金達寿(キムダルス)(1919~97)もまた、この地を何度も訪れ、西武線の高麗駅から高麗神社まで約3キロの道のりを歩いた。「都塵(とじん)のなかではちょっと想像もできないような、いい道」と書き、高麗川のほとりに座ると、帰れない故郷を思う気持ちが慰められるとも語った。「高句麗人が居を定めたのも、この土地に故郷を見たからだと思う」
高句麗とは、中国東北部から朝鮮半島北部にかけて668年まで約700年間存在した古代国家。日本では高麗(こま)と呼ばれ、多くの高句麗人が日本に渡って来たといわれる。
「続日本紀(しょくにほんぎ)」には716年、上総(かずさ)など東国7カ国に住む高麗人1799人を武蔵国に移住させ、高麗郡を建郡したとある。現在の日高、飯能両市にまたがる一帯だ。
1970年代後半、発掘調査に携わり、高麗郡の存在を考古学的に実証した高麗浪漫学会会長の高橋一夫さん(70)は言う。
「風景が似ていることは、渡来人にとって、治水など自分たちが持つ高度な技術を発揮できる場所として、重要な要素だったんですよ」
高麗人は無人だった土地を開拓し、三つも寺院を建てた。建郡は大規模な国家プロジェクトだったとみられる。
「地方行政機構のモデルを示そうとした。対外的には、滅びた王族が国内にいることをアピールし、天皇を中心とする“日本型の小中華思想”を示したのではないか」
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高句麗といえば、韓国ドラマで知った人も多いだろう。始祖の生涯を描いた「朱蒙(チュモン)」、中興の祖・広開土(こうかいど)王をペ・ヨンジュンが演じた「太王四神記(たいおうしじんき)」。日本で放映された当時は、高麗神社に「ヨン様」ファンが大勢訪れた。韓流は朝鮮古代史を一気にお茶の間に持ち込んだ。
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