16/09/28 05:26:13.48 CAP_USER.net
かつて関西有数のレジャー施設として人気を博し、平成15年に閉園した「阪神パーク」(兵庫県西宮市)。運営会社の阪神電鉄が昭和初期に発行した観光パンフレットをみると、沿線の行楽地や観光施設に交じって阪神パークのアシカが大々的に紹介され、その人気ぶりをうかがわせている。当時、同パークに数頭いたこのアシカたちの供給元は、竹島(島根県隠岐の島町)だったことが知られている。戦前は竹島周辺でアシカ猟が盛んに行われていたことを示す資料として、同町が運営する久見竹島歴史館にこれらのパンフレットを展示することを検討している。
呼び物だった阪神パークの「あしかの海」
阪神電鉄が昭和13年頃に製作したパンフレット「春・阪神電車」。沿線の観光スポットとして、武庫川遊園や広田山、甲子園浜、六甲山などと並んで「阪神パーク」が紹介され、パーク内の施設として「お猿島」「ペンギンの海」ととともに「あしかの海」が登場する。
写真のそばには「北海そのまゝのあしかの海…」との説明文があり、オリなどで囲うのではなく、竹島周辺の生息域を再現したような池にアシカを泳がせる見せ方を採用していたことをうかがわせる。
また、園内で開催される「動物サーカス」も人気だったようで、ゾウやライオン、オウムと一緒にアシカも登場。「あしかの曲芸」の写真を掲載し、「ボールや日傘を器用に鼻の上にのせて綱渡りしたり、くるくる廻(まわ)る盆を棒の先にのせて階段を上下する盆廻しから、曲藝の中でも至難とされてゐる逆立ちまで見事御覧に入れます」と紹介している。
次々発掘される資料
阪神沿線の行楽紹介のパンフレットとしては、昭和11年頃に製作されたとみられる「阪神電車沿線案内」や、製作時期が不明の「秋のメモ」と題したものなども近年見つかっており、いずれも阪神パークが掲載されている。
「阪神電車沿線案内」では、武庫川のシジミ狩りや甲子園庭球場、甲子園野球場などとともに紹介され、「あしかの海」と「お猿島」が掲載されている。
「秋のメモ」でも「アシカの海」が写真に取り上げられ、「-天下の奇観『あしかの海』北海の荒海に模した大池に潮にうそぶく十数頭のあしかやあざらしが波に吠ゆる壮観はオホーツク海へでも行かなければ見られないでせう」と説明されている。
竹島周辺で営まれていたアシカ猟
こうした関係資料や、島根県が設置した竹島問題研究会によると、阪神水族館をはじめ大阪市立天王寺動物園など、関西地方の動物園や水族館などで当時活躍していたアシカは、竹島周辺で捕獲されたものだという。
同研究会の報告によると、これらのアシカは、かつてカムチャツカ半島南端から九州に至る日本海の沿岸に生息していた「ニホンアシカ」で、島根県・隠岐諸島では「トド」「メチ」などと呼ばれ、明治時代から猟が行われていた。
竹島が日本の領土に編入された1905年以降、島根県は乱獲を防ぐためアシカ猟を許可制の漁業とし、隠岐には「竹島漁猟合資会社」が設立された。
当初は年間で千頭以上が捕獲されたため、生息数が減少。明治末期には捕獲数が500頭を下回り、その後は年間20頭前後を生け捕りする猟が続けられたが、第二次大戦や韓国の竹島占拠などを経て、隠岐の人たちのアシカ猟は途絶えた。
1カ月で2億5千万円稼いだ試算に
戦後の昭和26年に隠岐の漁業者がまとめた「漁労報告書」などを基に、戦前営まれていたアシカ猟の実態を試算した数字がある。漁労報告書は、漁業者が竹島でのアシカ猟再開を求めて、嘆願書などとともに島根県へ提出したものだ。
試算によると、11年6月には成獣30頭、同年9月には幼獣20頭をそれぞれ捕獲。近年のアシカ1頭の価格や、昭和初期には幼獣や成獣がその1.4倍の価格で取り扱われたことを考慮すると、6月は2億5500万円、9月も2億4280万円の収入を得たとみられる。14年まで、同程度の収入が得られた、という。
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