【朝鮮通信使】江戸の韓流 朝鮮通信使 鎖国下の日本が熱狂 原色の行列 文化誇示 ミニ使節 交流の礎に[7/29]★2at NEWS4PLUS
【朝鮮通信使】江戸の韓流 朝鮮通信使 鎖国下の日本が熱狂 原色の行列 文化誇示 ミニ使節 交流の礎に[7/29]★2 - 暇つぶし2ch1:ダース・シコリアン卿 ★@\(^o^)/
16/07/30 22:50:59.60 CAP_USER.net
江戸時代の日本に「韓流ブーム」があったことを知っていますか? 朝鮮王朝の優れた書や絵画、珍しい踊りや曲芸に、鎖国下の日本の人々は熱狂しました。そのブームを引き起こしたのが、平和使節の「朝鮮通信使」です。今年3月、通信使の日記や絵画などの貴重な歴史資料が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に申請されました。通信使とは何だったのか-。九州に残る足跡をたどりながら、その姿を紹介しましょう。 
【衝撃】
朝鮮通信使は、鎖国政策を取っていた徳川幕府が、ほぼ唯一の例外として朝鮮王朝から招いていた外交使節です。この場合の「通信」とは「信(よしみ)(親しい交わり)を通い合わせる」という意味。徳川幕府成立直後の1607年から1811年にかけて、10~20年に1回程度、将軍が交代する時などに訪れました。
一行は約500人の大行列。当時の朝鮮の首都漢城(ハンソン)(現ソウル)から江戸まで、海路と陸路で往来しました。朝鮮にとって自国文化をデモンストレーションする好機です。原色の衣装を着て、竜を描いた大きな旗を掲げ、楽隊の派手な演奏に合わせて各地を練り歩きました。
海外の風物を目にすることがなかった江戸時代の庶民にとって、それがどれほどの「衝撃」だったか。大坂(現在の大阪)で見物した様子を記した「宝暦物語」(著者不明)によると、通信使の船が通る川岸には「近郷在住の老若男女その数幾千万」。ぎっしり埋まった見物客は「千体仏のごとく」とあります。
中国の先進文化をいち早く吸収していた朝鮮は、漢詩や絵画、武士も重んじた朱子学や医学などの分野で日本に先行していました。庶民の見物とは別に、文化人や裕福な商人たちも通信使に殺到し、書をほしがったり、教えを求めたりしたそうです。
「一生に2回見られれば幸運というほど、大変な人気だった」。通信使の最初の寄港地だった長崎県対馬市で国際交流を担当する阿比留正臣さん(48)は、人々の熱狂ぶりをそう語ります。対馬では今年も、8月の夏祭りの目玉として通信使行列が再現されます。
=2016/07/26付 西日本新聞朝刊=web 7/29
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